「行ってから踏ん張んべ」 (3)

渡米当日、ホームスティ先に到着して数時間。まだ落ち着かない深夜。

「あの音はなんだべ?」と、なんとなく銃声なような気がしながら窓の外に目をやるが、路地に木がソヨソヨと揺れてるだけで結局なんだったのか不明。

ソワソワするが、仕方なく「ふむ」と少し目を閉じながら考え事をしたら、「ハッ」といつの間にか朝。ホストファミリーの二人はすでに仕事に出ていて、何やらメモを残してくれていたが、字が汚くて読めない。

冷蔵庫にあるジュースを一杯飲み、朝ごはんを食べたいが、なんか遠慮する。

仕方なく「ふむ」と玄関の外を見る。北西部特有の「若干曇ってるが隙間隙間がスカッとしている」天気。

ドアを開け、外のカラッとした空気を肌で感じ、改めて「渡米した自分」に気付く。

テレビを点けても、ダイニング上の新聞も、トイレ内の掛け物も、全部英語。

「ちっとも分からん」とチャンネルを回しまくる(昔ながらのガチャガチャ回すタイプね)。

「言葉が全然分からない」というこの経験。今思い返すと非常に貴重ではあったが、正直もう二度と経験したくない緊張感でいっぱいでした。

ただ、同時に「もう後戻りはないな」という今まで考えたこともない覚悟もこの瞬間に少し芽生えたような。てか、帰りたくても帰国の飛行機のチケットなんて注文できる英語力ないし、みたいな。

とりあえず、母に電話(当時は馬鹿高くてもコレクトコールをかけたものです)。「ん。ま、マジ不安だらけだけど、なんとかします」という言葉を最後に手っ取り早く切る。

「さてと…」と次に日本から持参した手帳内を探したのは、一人いる知り合いの連絡先。

当初タコマに来ることにした決定打は、この「高校の頃の友人」がシアトル在住だったため(あと、当時はまだ好きなバンドがシアトルでわんさか活動していた)。

その友人・リン君(林君)のアパートに電話すると、聞き覚えある声が応答。とりあえず「今日空いてるから、今から行くわ」と言ってくれた。

この友人。渡米前から英語は(NHKラジオにて独学で)ペラペラだわ、横須賀米軍基地の高校生とバンド組んでバリバリだわ(ギターが本当に有り得ないレベルであった)、TOEFLのスコアは高くてESLクラスを飛ばして直接カレッジ入学だわ、渡米半年でアメリカ人の友人とアパート借りてるわ(←当時こんなことにも「すげぇ」とか感心してたもんです、苦笑)、すでにアメリカ人のバンドに入っているわ、とりあえず「やり手」。

一方、タコマ2日目の小生。ひたすら分からないながら辞書を片手にテレビの英語にかじりついていると、しばらくしてから「ピンポーン」とベルが鳴る。ドアの外にはニヤニヤしてるリン。日本にいた頃からのお馴染みの第一声:「どうよ、調子は」。

「英語を喋れるようになりたい」という一番重要な目的に反するのかも知れないけれど、この頃彼には本当にお世話になりました。タコマ市街、シアトル市街、バンクーバーなどなど、すべて車で連れて行ってくれて、その先々で手助けをしてくれたものです。

まだ「俺のカタカナ英語が通じるのだろうか」「相手から何か質問されたらどうしよう」とか恐れおののいていた頃の自分には、バーガーキングとかに入っても、カウンターのメニューを指差して注文し、レジに映る金額で値段を察知し、「え~と、10セントでどの大きさのコインだっけ」と一々コインに書かれた文字を確認しながら、支払いするのがやっと。うなづくか、「イエ~」みたいな応答しかしてなかった記憶が…

だいたい「クオーター(25セント)、ダイム(10セント)、ニクル(5セント)、ペニー(1セント)」なんて突然言われても分かんねぇって、みたいな。

その度にリンが「一度英語でちゃんと注文しないとヤバんじゃね?」と釘刺してくれたものです。

そんな彼にも「屋根裏部屋が住まいの僕」は若干悲壮感に満ち溢れて見えたのか、「これはいかん」とホストファミリーと交渉をしてくれることに。

「とりあえず、アメリカという国は『言わにゃきゃ分からん』『文句を言わなきゃ、不満はないとうこと』という考え方。日本でいう『クレーマー』になってなんぼ、みたいな感じ」とリンが言う。

当時ほとんど他人事のように「英語のやり取りが速くて分からんのですけど~」とアワアワしていただけでしたが、渡米三日目の夜に最初のホストファミリーと決裂。次のホストファミリーが見つかるまで、シアトルにあるリンのアパートにお世話になることに…

つづく 

「行ってから踏ん張んべ」 (3)” への8件のフィードバック

  1. たつやさんの記事を読んでると、初心に返れますね~・・・しみじみ。

    外国暮らしを始めるときは、すでに住んでいる日本人の知人の存在は大きいですね。私自身も、先輩学生たちに本当にお世話になりました。こうやって、大変な外国暮らしの中でも、色々な人のおかげで基盤が出来上がって、自分の生活が成り立っていくって実感します。

    ホストファミリーは残念でしたね・・・。

  2. アメリカでは言わなきゃわからない、抗議しなきゃ不満はないとみなされる、ってお友達の言葉、そのとおりですねー!
    「おー、言ってみるもんだな」っていう体験はよくあります。
    私もエリナさんと同じく、Tatさんの記事を読んでると渡米直後のことを思い出します。まぁ、もういい大人だったんですけど、それに1つ前の記事に書いたようにTOEFLの点とかは高かったんですけど、それでも滞在先のテレビをつけたら子供向けのアニメでも何言ってるかさっぱりわからないし、スーツケースが届かなくてどうしていいかわからなくて途方にくれたり、「うわぁーーん、帰りたい、おかあさーーん」って気分でしたよーー笑

  3. mixi上の留学関連コミュなどに、よく「何をしていけば良いですか」みたいな質問の書き込みが絶えませんが、なんか日本にいる間に(入学条件を満たす以外では)準備できることって極めて限界があるので、「行ってからが問題」ということを伝えたい、みたいな。

    現地到着しちゃったら、結局もう「気合いだけ」みたいな。

    ただあの頃の苦しみはもう二度と味わいたくない、みたいな(苦笑)。
    いやぁ若い皆さん頑張ってね、みたいな…

  4. たつやさんがなんか、しおっ、ってなってる感じが伝わってきますね~。

    わからないのは言葉だけじゃなくて、社会のシステム自体(バスとか電車の乗り方とか、自販機のジュースの買い方とか、エレベーターのボタンの押し方とか、そういう小さなのも全部)がまったく別のものだから、言葉の通じない外国で生活を始めるというのは大変なことですよね。特にまだ人生経験そのものが限られてる若い人たちには、ちいさなことでもどう対処したら良いかわからなくてオロオロしちゃうだろうし。でもそうやってみんなたくましくなっていくんですよね。頑張れ、若者。

  5. いや、本当に「落ち」てました、当初は。オロオロ度なら負けないよ、みたいな。
    今、思い出しましたけど、車の免許を持っていないころ、米国バスの初体験には相当焦りましたね。あれ、人生経験あっても、まだ辛いっす、きっと(苦笑)。こっちの化石みたいな家庭用電化製品と同様、販売機も「いつの時代の?」みたいなのばっかしですし…(たぶん高校時代に米軍基地で見かけたのと差はない)。

    頑張れ、若者。
    おじちゃんはもう疲れた。はは

  6. 更新待っておりました!って急かしてすみません(汗)
    コメ読んでると皆さん、海外行った当初を懐かしく思い出してますね。
    みんな一緒や(笑)行ってすぐの想い出のほとんどがカルチャーショックと言葉の壁での苦い思い出ばかり。
    当時海外のアーティストではミーハーですがマドンナが好きでマドンナのCDがほしくて、買い物に行きたいか聞かれた時、マドンナ、マドンナと繰り返したら、OK!(smile )→ドライブ→到着先マクドナルド→私凹

    わたしはホストファミリーが日本大好きなドイツ系アメリカ人で
    とってもよくしてくれはったんですが、たっちゃんの決裂。。
    次回楽しみ!

  7. 私も行った当初はカルチャーショック&言葉の壁(習った英語なんて意味ない!)だらけ。マドンナのCDがほしくて買い物に連れていってもらおうと頼んだら行き着いた場所はマクドナルドでした。正直凹みました。
    牛乳もでかくて色も味も薄いし、これ牛乳?みたいな。レジでも元気?なんて聞かれて、ギャクにオドオドして苦笑いされるし。
    私の場合は日本大好きなホストファミリーだったので、とても親切でした。今思えばすごい若いホストファミリーでした。当時ママは27歳で、5才と3才のかわいいkids(女の子)がいました。奥さんが日本のノエビアという化粧品会社に勤めていて、日本に興味があったみたいですね。

    次回の更新が待ちきれないのはアタシだけかな?

  8. りょ~ちゃん、
    マドンナをマクドナルドと発音してるよう聞こえてしまうのは結構高度なような…(苦笑)
    もう毒蛇以来のブログだから(笑)結構楽しく書かせていただいてます、時間が許す限り。
    てか、ホストマザー若ッ。

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