アジア移民と働くソーシャルワーカーのお仕事

先日、JFSCを通して知り合った、日本人女性Fさんのオフィスにお邪魔し、彼女のお仕事について勉強してきました。

Fさんは、UPAC (Union of Pan Asian Community)と呼ばれるNPOで働いています。

 

彼女はGeriatric Specialist(シニアの方を対象としたスペシャリスト)として、アジアだけでなく世界各地からの移民・難民で60歳以上の方を対象にしたカウンセリングをお仕事としています。

そうは聞いても、あまりピンと来なかった私。今回、自分の住む社会にはどんなケアを必要としている人がいて、Fさんがどんな人たちと毎日出会い、どんな時間を過ごすのか、ゆっくりとお話し、見る機会ができました。

 

Karen Organization of San Diegoのなおさんの建物からは徒歩で1分というオフィスで働いている、Fさんのオフィスにお邪魔しました。

とは言っても、Fさんはhome visit(訪問)ケアがメインなので、リサーチや電話対応以外は、オフィスにいることはありません。この日も、午前中に周ったクライアントのおうちから帰ってきたところでした。

Fさんのところにやってくるのは、ベトナム人とカンボジア人が多く、それに次いで、ラオス、中国、カレン民族(ビルマ)、タイ、そして韓国と日本だそうです。

 

建物に入ってまずあるのは、「クリニック」と呼ばれる場所で、ここでは時間や曜日ごとに、メンタルヘルスのカウンセリングが行われるそうです。

これを利用するのは、アジアからの移民のみなさん。自分のバックグラウンドを理解し、自分の言語で、アメリカ生活について専門家と話ができるということは、心強い以外の何者でもないと思われます。

 

その次に通してもらったのは、広いクラスルーム(教室)。

長机と椅子が並んでおり、部屋の前方にはホワイトボードや、お馴染みのアルファベット・感情・天気・職業など見慣れた英単語の表が壁に貼られていました。そしてもちろん、大きな世界地図。

しかし、私が今まで見てきた「教室」とはだいぶ違ったものがありました。それは、横の壁に貼られている写真。

そこに写っているのは、子供たちでも若い留学生たちでもなく、大人—特に高齢のアジア人の方々でした。御年80歳は超えているだろうアジア人の夫婦の写真が、”ESL”というタイトルのついた画用紙に貼られています。つまり、英語を学ぶシニアのアジア移民の写真です。

 

私はFさんに聞かざるをえませんでした。

私:「この年になっても、新しいもの(英語やアメリカ文化)を学ぼうとする姿勢は素晴らしいですね。」

Fさん:「そうなんです。えりなさん、私はこの仕事をしてね、気づかされたことがあるの。」

私:「何ですか?」

Fさん:「人間はいくつになっても、”resilience”、つまり、プレッシャーに対してそれを跳ね返そうとするチカラ、それは消えうせないんだなぁって。」

私:「なるほど・・・・。」

Fさん:「こんなおばあちゃんがいたのよ。彼女の年齢は70歳を超えていました。アメリカに来たことを悲観的な言葉にする人だった。でも彼女ね、アメリカ市民権のテストを受ける前に、テスト対策のCDを一人で何回も何回もかけてね。誰の手も借りず、市民権のテスト、パスしたのよ。」

私:「それは・・・すごいですね。」

 

私は自分の祖母が元気だったころと同じ年代の女性が、一人でアメリカ市民権テストのためにCDを聞き続ける姿を想像した。

彼女は、どんなことを思っていたんだろう?

 

私:「それは、その年齢になっても、今の状況より良いものがある、という気持ちがあったからでしょうか?」

Fさん:「そう、私はそのときに思ったの。年齢に関係なく、『希望』って誰にでもあるものなのよ。人が、『今の状況を変えたい!』と思う気持ちってすごく強いのね。」

 

私は、それは現代の日本人、そしておそらく多くのアメリカ人も忘れてしまったものの一つかもしれない、と思いました。

モノに溢れ、情報に溢れ、食に溢れ、「希望」なんてものはいらなくなってしまった。

自分の中の可能性なんて、知らなくても良くなった。

そういう社会に生きている自分は、いつの間にか、このクラスルームからすごく遠いところに来てしまったのかもしれない、と思いました。

 

クラスルーム横の廊下には、思わず目を引く水彩画が二枚、飾られていました。

それはベトナムの農家の風景が描かれたものでした。

両方とも、おそらく同じ人によって描かれたものでしょう。繊細でやわらかい色彩と描写は、廊下からその風景にタイムトリップできそうなエネルギーを感じました。

これを描いた人は、どんなことを思っていたんだろう?

 

60年、70年と、同じ国、同じ町、同じ家、同じ仕事、同じ顔ぶれで生きてきた。

その年齢になってアメリカにやってくる人は、自分の子供が先にアメリカにやってきており、生活が落ち着いて呼び寄せられたというケースがほとんどらしい。

自分の全てを残し、新しい国にやってくる。もしかしたらもう二度と戻れないかもしれない。

その思いはどういうものなんだろう?

 

高校を卒業し、日本の社会のことすら知らないまま、自分の選択でアメリカにやってきた私とは、根本が違う。

 

 

その後、Fさんとなおさんと3人でランチを食べに、同じ構内のベトナム料理レストランに行きました。

ここは、Bunと呼ばれる、温かいお米の麺の下に生野菜、上に春巻きやお肉が載せられていて、フィッシュソースをかけながら食べる料理がおいしいと評判。

(Bunと呼ばれるベトナム料理 from pianofight.com)

 

私はいつも、Phoばかり食べていたのですが、FさんとなおさんオススメのBunを初めて食べることにしました。

食べ物を待っている間、私はFさんに質問します。

 

私:「Fさんは、この仕事、長いんですか?」

Fさん:「5年くらいです。2007年からだから。」

私:「じゃあその前は?」

Fさん:「その前は、学生だったんです。Tさん(Mikaさんの記事にも出てきました)とEさんと一緒でした。」

私:「えっ?そのお二人ともそんなに前から知り合いだったんですか。大学院ですよね?専攻は?」

Fさん:「ソーシャルワークです。」

そうか・・・これがソーシャルワーカーのお仕事なんだ。私は自分の無知さがとにかく恥ずかしくなりました。

 Fさん:「私もSDSUに行ったんです。学士号でもソーシャルワークで。そのときに尊敬していたプロフェッサーが、あるプログラムのことを教えてくれてね。それは一年間、ある難民支援NPOで働くと、Social Workの修士号を取るための奨学金がもらえるというものだったの。」

私:「えぇっ!それで大学院に行ったんですか?」

 

すごい。この人たちのエネルギーはなんて大きくて強いんだろう。それしか思いつきませんでした。

 

Fさん:「すごくないのよ~。こういうプログラムって、日本人とかのマイノリティグループの人材を育てようっていう動きがすごくあるの。だからすんなり入れたのよ~。」

 

Fさん、笑ってるけど・・・・すごい。

言われてみれば納得だけど、そういうプログラムや動きがあるなんて全く知らなかった。まして、それを理解してキャリアにしてきた日本人女性がこんな近くにいたなんて。

 

初めて食べたBunは想像以上においしく、アメリカという国の真ん中で、アジア移民の歴史と生命力がそこに集まったような気がしました。

レストランを出て、なおさんとFさんの二人に別れを言うと、「こういう仕事、必要だよなぁ・・・・」という言葉がつい口から出ました。そしてそれぞれのオフィスに戻っていく二人の背中を見ていて、それはとってもかっこいいものだと思いました。

 

Fさんとなおさんのお話は、2月のJFSCワークショップで直接聞けます。

サンディエゴで行われる、2月23日土曜日午後1時からの無料ワークショップにぜひいらっしゃってください。 日本人としてアメリカで生きるということ、日本人としてできることは何か、ぜひ一緒に考えましょう。

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