アメリカに移住するまで 【Erina編】

こんにちは、Erinaです。

アメ10ブロガーが、それぞれにアメリカ移住を決めたきっかけ、どんな状況から渡米に至ったのかを書いている、「アメリカに移住するまで」シリーズ。

私自身、日本での経験で誇れるものを持っていないどころか、かなり恥ずかしいくらいですが(笑)、こんなケースもあるんだよということを知ってもらうために、今回は「アメリカに移住するまで Erina編」です。10年前のことなので、記憶があやふやな部分もあるかもしれませんが、お付き合いください。

 

留学を決めた2001年初夏。私は地元・札幌で予備校生でした。

 

高校で部活のテニスばかりしていた私は、予習も復習もせず、勝負はすべて授業中にかけ、ここで学んだことをいかにテストまで持ち越せるかという、かなりの勉強知らずでした。

テスト前にはいやいや机に向かうも、勉強という癖がついていないため長くは続かず。苦手な数学は追試、再追試、再々追試・・・・と担任の善意で果てしなく続く日々。(ごめんね、関ピー)

その時に好きだった生物学を勉強したいという気持ちだけで、なんとか大学受験を考えていたほどで、高校時代の勉強にはかなりムラがありました。

 

そんな気持ちで行きたい大学に合格できるはずもなく、「浪人」決定。札幌駅前の、某大手予備校に通うことになりました。

ただ、予備校での勉強は思いのほか面白く、大学受験合格のためのテクニックに頼らず、学問の本質を学ぶきっかけになり、初めて勉強が面白いと思いました。

 

 

でも、本当にこのまま日本の大学へ行くのか?

アメリカで生活したいという夢は、いつ叶うのか?

 

なんて考えていた、ある夏前の日の夕方のことでした。

その日、予備校から帰ってきた私は、なんとなく床にごろんと仰向けになりストレッチをしたところ、なんとなく目をやった本棚の、ある背表紙が目に留まりました。

 

「アメリカの大学へ行こう!」

 

と赤い字で書いてある、一本のビデオテープ。高校時代に資料請求をして送られてきていた、ある留学エージェントからの資料ビデオでした。

 

私はこれをなんとなくビデオデッキに入れて、見ることにしました。

 

ウィ~ン、ガチャ、とDVDではない当時のビデオを再生。

 

そこには、驚くくらいキラキラしている日本人留学生の先輩たちの姿がありました。授業の様子や、留学生の交流の様子、毎日の生活の様子などが紹介されており、楽しむ姿だけでなく、悩む姿や頑張る姿までキラキラしていました。

ほんの10~15分間の映像中の留学生たちを目にした私は、そのとき持っていた受験に対する中途半端な気持ちや、周りに流されているだけの自分が恥ずかしく、そしてなんだか、激しく自分が取り残されている感じがしました。これは現役合格して大学生になった同級生や、志望大学合格に向けて一生懸命勉強している友人たちを見ても、感じられなかった、初めての「自分への焦り」でした。

 

大学受験は私のやりたいことじゃない。

 

そして漠然と、「自分もこうなりたい!ここに行かなきゃ!」と強く思ったのです。

 

 

 

その日の夜、仕事から帰ってきた母に早速たずねました。

「アメリカの大学に行きたいんだけど、どう思う?」

前々から、私が英語やアメリカに興味があるのを知っていた母は、「ふ~ん、いいんじゃない?」というあっさりした返事。

 

そんなわけで、私の気持ちはそこからすでにアメリカに。

そしてそのビデオを送ってくれたエージェントとのやりとりが始まり、留学へ動き出しました。ちなみにこのとき、現地アドバイザーとしてアメリカに住んでいたのが、アメ10にも記事を書いてくれているMarioさん。こういう出会いでした。きっかけはあの一本のビデオテープですからね、不思議。

 

母にアメリカに行きたいと打ち明けた日には、具体的にアメリカのどこに行きたいとか、留学とは実際にどんなものか、TOEFLの言葉すら、全く何も知りませんでした。が、とにかく「向こう側に行かなきゃ」という気持ちが、自分を動かしていました。リサーチをしたり、エージェントと連絡を取ったり、「アメリカ」という国について深く知るようになりました。

 

 

ただ、留学を決めたからって、既にお金を払っている予備校での勉強を無駄にするわけにはいきません。できるだけ勉強はして、センター試験を受けようと思いました。

理系だった私は、苦手だった古典や歴史はアメリカでは必要ないだろうと決め込み(笑)、アメリカの大学でも勉強したい生物・化学・数学、そして英語に力を入れました。

 

 

そしてそんな中、2001年9月11日。

忘れもしないあの出来事が起こります。

 

その日の夜、たぶん10時ちょっと前でした。

居間から「ちょっと来なさい!」と珍しく大きな声で母が私を呼びます。

ナニナニ?と飛んでいくと、そこにはテレビに映る、あのワールド・トレード・センターが煙をあげています。

 

「何コレ・・・・?」

 

そう思いながら目を凝らしているうちに、そこに二機目が突入。

臨時ニュースのアナウンサーもショックに言葉が出ない様子で、「今、二機目が墜落しましたね・・・・?」

 

私は「映画じゃないの?」という疑問をなかなか拭えず、頭がプロセスできなかったのを覚えています。

ただ、そんな衝撃的な映像を見た後も、「アメリカは怖い」という気持ちより、「こういうことも起こりうる国だ」という現実的な考えしか起こらなかったことや、あまりに冷静な自分が不思議でした。

 

 

そこから冬先にかけて、渡米へのオリエンテーションなどに参加します。

センター試験も目の前。日本での生活も残りわずかです。戦々恐々としている受験生の友人たちを横に、私の気持ちはすでにカリフォルニア・・・・青い空、白い雲。

参考書の代わりにアメリカの地図を買い、当時つながり始めたインターネットでアメリカのウェブサイトを探し、本屋では実践英会話や留学体験談の本を読み漁る。生の英語に触れたくて、予備校にリスニング英語講師としてきていたアメリカ人と休み時間におしゃべりをしたり、アメリカ生活について教えてもらいました。

 

早くアメリカに行きたい。

早く英語で生活したい。

そんな新生活を夢見ていました。

 

 

センター試験も後悔しない程度に盛り上がり、すっきりと日本の大学への未練を断ち切ると、渡米前日の2002年3月29日。

その日、故郷の札幌では、まだ雪が降っていました。

そしてアメリカ西海岸時間の3月30日、LAXに降り立った私には想像もできなかった世界と生活が待っていたわけです。

 

 

その後、目標だったアメリカ大学を卒業し、アメリカ人旦那と結婚、今のような永住に至ります。

10年前は、まさか自分がこのような道をたどってくるとは想像もできなかったけれど、大きな一歩を踏み出した自分と、それを理解しサポートしてくれた母、そして周りの人たちに感謝です。

みなさんにはどんなストーリーがありますか?

 

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