四足の仲間を見送るということ…

在りし日のラエフ
在りし日のラエフ

こんにちは。Nayuです。新緑が目に眩しい季節ですね。前回の投稿時に、今回はスポーツのことを書こうと考えていたのですが、ちょっと私にとって大切な仲間を思い出す時期であることに気付いたので、そのことを綴ってみます。

日々青さを増す木々の新芽や、咲き誇る花達に生命の息吹を感じるこの時期、私はいつも天国にいった愛猫のポォを思い出します。もう10年前になります。

ポォは私が高校3年の時に、我が家の一員になったオスの黒猫でした。

いまでもポォが来た日を覚えています。ダンボールの中で”ピャァ、ピャァ”とか細い声を出し、痩せた体に金色の目だけがギラギラと目立ち、しかも母猫に噛まれた痕もあって、まるでメダカのようでしたので、第一印象はお世辞にも可愛いとは言えないものでした。

そんな子猫でしたが、父親が、Edgar Allan Poeに因んで”ポォ”と命名したらと提案したときは、そのギャップがいいなと思い即賛成しました。

多感な時期から毎日一緒に過ごすうちに、ポォは我が家には無くてはならない存在となっていきました。両親と喧嘩した時、浪人生活を過ごした時、大学時代によく酔っ払って朝帰りしてしまった時、深夜残業でクタクタになって帰宅したときや仕事で上手くいかなかった時、いつも私の傍らにはポォがいました。”大丈夫だよ”とでもいうように、寄り添っていつもの綺麗な金色の目で見つめてくれました。

そんなポォも私達よりもぐんと早く年を取っていきます。エドと出会った時は16歳になっていました。食も細くなり、去勢手術の影響からくる腎臓不良で、所々に毛が抜けはじめました。あれだけビロードのような毛艶と黒豹を髣髴とさせるような体を持ったポォが、ほとんどを寝て過ごし、撫でるとゴツゴツとした骨だけを感じるような体になっていました。

“ポォを看取るまで、私は結婚しないよ(できないよ?)”と30歳を過ぎてから、親に言い訳してきたことが本当の様になっていきます。

エドとの結婚が決まってから急激にポォの具合いが悪くなっていきました。

定年を迎え、私以上に愛情を掛けていた父が、毎日朝一番で、ポォの心臓の周りに溜まった水を抜くため病院へ連れて行くという日々が約3ヶ月ほど。私は会社から朝夕二度、家に電話をしポォの様子を聞きました。

最後の数週間、病院嫌いのポォを毎日通院させることに疑問を持ちました。”これはポォの気持ちを無視しているだけじゃないか。”

でも必死に少しでも苦痛をといてやろうとしている父の気持ちを思うと、とてもそんなことは言えません。私も週末は一緒に病院へ行きました。動物病院の先生も途中から治療費を黙って値下げしてくれました。

10年前の5月1日。その日は土曜日だったので、私もポォを入れた箱のベッドの隣の座席に座って父と病院へ行きました。

車が走りだした瞬間、横たわったポォが首をもたげ、あの金色の目で私を見ながら”ミャオ!ミャオ!”と、まるで抗議するように鳴くのです。こんなに弱った体からこれほどの声が出るのかと思うほど力強い声で。

私にはポォの云わんとしていることがはっきりと分かりました。

”もう死にゆく身なのに、どうして病院へ行くんだ?そっとしておいて!”

私は、黙々と運転する父に伝えました。”お父さん、ポォが’もう病院はいい’って言ってる…。” 私は泣いていました。

その日、病院から帰ってくると、私はずっとポォのそばにいて背を撫でたり、一緒になって横になったりして過ごしました。

午後11時過ぎ、寝る前にもう一度膝に乗せて背をさすっていた時、ポォは少し気持ちよさそうな表情をしていたと思うと、突然ひきつけを起こしたように体を震わせた瞬間、息を引き取りました。

彼の目の金色は消えました。

享年17歳。人生の半分を一緒に過ごした仲間が逝ってしまいました。

しばらくは何をしても何を見ても、ポォを思い出して場所もはばからす泣いてしまう日々が続きました。ペットロスというのでしょうか、心にぽっかりと大きな穴が開いてしまいました。ポォを火葬して庭にお墓を作ったとき、もう動物を飼うのは無理だと思いました。


でもアメリカに来てからは、そんなことは言ってられない(!?)生活となります。

すでにエドはラエフというオーストラリアンシェパートと、猫のスティーブを飼っていました。それに日中はエドの弟のラブラドール犬のデュークもいましたし。

その一年後には2匹の犬達、そしてそのまた一年後には1匹の猫が新しく家族として加わることとなります。

渡米して今日までの間に、エドの家族の飼っていた動物達を含めて、5匹の犬達と3匹の猫達を見送りました。うち、1匹はラエフです。

ラエフも、先立った仲間と同じように安楽死(Animal Euthanazia)でした。アメリカでは日本に比べると、動物の安楽死に対する考え方が前向きな人が多いですね。動物との関わり方も、飼い主と飼われている側というより、”Buddy”といったイメージが強いです。ですから、苦しむのを長引かせるより楽にしてあげることのほうが彼らには幸せなのではないかという考えから、私の周りでは安楽死を選ぶケースが多いようです。

安楽死など考えた事もなかった私は、エドに、安楽死は考えたくない、ラエフを家で看取りたいと言いつづけました。16歳のラエフは、目もほとんど見えなく、耳も僅かしか聞こえてないようで、最後の数週間は自力で用を足すことがほぼ無理でした。時々どこかが痛むのか”クゥ、クゥ”と声を漏らすラエフにに向かって、エドが”Are you happy now?”と問いかけているのを見て、私はポォのことを思い出し自問しました。

”家で看取りたいなんて、自分のエゴじゃないか?”

2013年の9月19日にラエフは天国に行きました。

学校から帰った午後、気持ちよく晴れ上がった日だったので、ラエフを抱いて裏庭へ出てみました。日を浴びて気持ちよさそうなラエフでした。しばらくして少し苦しそうに呼吸をし始めたので、急いでエドに電話をし、ラエフの様子が急変したことを伝えました。

帰ってきたエドはラエフを抱くと私に言いました。”なゆ、先生に電話しよう。これ以上はラエフが可哀想だよ。”

私達の動物病院の先生や看護婦さんたちは、エド家族が長い間お世話になっている方達です。エドが電話をすると、診療後の静かな時間にいらっしゃいとのことでした。

病院に着くと、まず私は先生に尋ねました。”注射でラエフは苦しみを感じるのでしょうか? どれくらいで息を引き取るのでしょうか?” 先生は”何も感じないよ。眠りに落ちるような感じ。15秒くらい…いつでも準備が出来たら呼んでね。”といってラエフと私達の最期の時間を取ってくれました。

エドと二人でラエフ抱きしめながら、”ありがとう”と”大好きだよ”を繰り返すこと10分ほど。先生が来てすっと針を刺すと、本当に15秒も経たない内に、ラエフが大きな息をつくと同時にその心臓の鼓動も止まりました。先生は帰り際、”小さいときに一度は死にかけたラエフが、こんなに長生きしたんだから。彼は幸せだったね。”といって下さいました。

”これでラエフは楽になれたのかな。でもラエフの最期を私達が決めて良かったのかな。”

私の安楽死に対する考えはまだすっきりしないものがありました。

昨年、National Public Radioのプラグラムで、動物行動学者John Bradshawのインタビューを聞いたときに、そのモヤモヤがかなり解消されました。

彼自身もう何匹もの犬達や猫達と生活しその死を見届けてきたのですが、安楽死を選んで一度も後悔をしたことがないと言いました。彼曰く、そもそも動物達には人間が持っているような死に対するコンセプトが無いと。彼らは今を生きているんだと。だから寿命など関係ない。延命のために時間やお金を費やすことは全く持って彼らには理解できない。何よりそれは飼い主の自己満足とも言えると。そして、動物は彼ら自身であて、毛をまとった人間ではない。だから”今、彼ら動物達がQuality Lifeを送っているのか?”と問うことが大事だと言っていたのです。

そうか、今を一緒に大切に生きる。

どう最期を看取るかよりも、我が家の犬猫たちが仲間として毎日を幸せに生きていけることに心を傾けよう。いまでは、そう思います。

そういえば、ラエフがなくなる前にこんなビデオに出会いました。

いまごろ天国で、ポォは、ラエフや先に逝ったほかの仲間と一緒に、私達と過ごした日々を、あの金色の目をギラギラさせて語っているのでしょうか。

私も、毎年ポォの命日にはお経をあげている日本の両親に電話してポォの思い出話などしようと思います。 

四足の仲間を見送るということ…” への4件のフィードバック

  1. 僕も小学五年時にイトーヨーカ堂の掲示板にあった、「一歳・雑種」「飼い主の体調不良により」という写真付き張り紙で見つけた、初めての飼い犬・シロも17年一緒に居れました。

    もうこれでもか、というくらい溺愛していたし、近所のおじちゃんおばちゃん達にも物凄く可愛がられていたのですが、やはり最期のあり方は辛かったです。

    実家の長さん、まだまだ元気だけど、もう十年超選手なので、色々と考えさせられました。

    日本て、安楽死はあまり聞かないですね。

  2. たつやさん、早速コメントありがとう。
    彼らは全人生を私達を信頼して預けてくれるでしょ。だから余計にその最期かいかに安らかであるかを考えますね。

    今でもうちの父は、ポォを通院させていたことに胸を痛めていると、言ってます。

    動物の安楽死の在り方、人それぞれの思いがあるでしょうね。

  3. Nayuさんの愛情あふれる記事に涙しました。私は、アメリカで最初に迎え入れた猫の最後は安楽死で二番目の猫は家で看取りました。どちらにしても、これでよかったのだろうかと今でも思います。アメリカでは確かにQuality of Lifeというのをよく言いますね。手術すれば多少は延命できるけど、本当にそれが猫ちゃん(ワンちゃん)にとって幸せなことなのか。Nayuさんの記事の中の動物学者さんが言うとおりなのかなと思います。

  4. Keiさん、コメントありがとうございます。そうですね、私もQuality of Lifeという言葉はアメリカに来てから頻繁に耳にするようになりました。人間も動物も同じ生きとし生けるものとして、思い遣って人生を全うできると素敵だなと思います。

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