アメリカで通訳の仕事 -1

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通訳の仕事を始めて10年少し、今までで一番「楽しい!」と思った仕事について書こうと思います。

仕事が楽しい、と言うとき、もちろん、大変な仕事をやり遂げて達成感を味わえた、などという例もあるのですが、今日書きたいのはもっと単純に「いや~この仕事はおいしかったわ~」という、「役得」系の仕事の例です。

場所はアメリカのとあるリゾート地。

そこに、ある業界に属する企業が世界中から集まり、その業界で共通して使われるシステムについて、「普段は競合しているが、このシステムについては情報を共有して統合することで業界全体の効率をあげよう」という目的のもと、一週間会議を続けることになっていました。

私はその会議に参加する日本企業から依頼を受け、その企業の代表者が日本語でプレゼンする際の逐次通訳、他社が英語でプレゼンする際のウィスパリング通訳をすることになりました。

依頼を受けたとき、「これは大変な仕事になるかも」と思いました。

というのは、毎日8時間、一週間で5日間続く会議なのに、通訳は私一人だけ。

普通はこういう長丁場の会議には最低でも二人の通訳をつけて交代制にするものなので、「もう一人つけてもらえないか」交渉したのですが、諸事情により私一人で担当することに。

そして、「ウィスパリング」という通訳の仕方が私は苦手です。普段、ワイヤレスマイクをつかって同時通訳することがほとんどなのですが、ワイヤレス機器を使うことで動きまわることができ、スピーカーの近くに移動したり、資料に顔を向けたりしても一定の声で話すことができてとても便利です。この便利さに慣れていると、常に聞いている人の近くに座って、そちらにだけ顔を向けて話さなければいけないウィスパリングは私にとっては難しい(一応、通訳業界ではウィスパリングは初歩の技術とされているのですが・・・)。

それから、その企業からの代表者は2名だったので、2名ともに聞こえるようにウィスパリングしなきゃいけないと思うとさらに「大変そう・・・」と気が滅入りました。

でも!

飛行機代、ホテル代は当然ながら企業側が払ってくれるわけで、場所はリゾート地、海が見える素敵なプールつきのリゾートホテル、広々~とした部屋に一人で5日間滞在できる。このリゾート地の地名を聞いただけで私は「大変だけど引き受けよう!」と思ってしまいました。

さて、会議が始まる前の日の夕方、クライアント企業の代表者と滞在先ホテルのロビーで待ち合わせてご挨拶、簡単な打ち合わせを終えると、「今晩は会議参加企業の代表者たちでディナーがあるので、ぜひ来てください」と代表者の方が言ってくださいました。

普段私は、仕事が終わったあとのディナーに同席、というのはちょっとためらいます。

というのは、ディナーでは結局英語と日本語が飛び交い、流れでつい通訳をしてしまって、結局「仕事」をしてしまうことが多々あるからです。

ディナーの会話を通訳しだすと自分は食事ができないし、報酬もないのに昼間の会議を同じような労力が必要になるし・・・

クライアントさんがごちそうしてくださることがほとんどですが、それでも仕事の続きになってしまうくらいなら、自費でゆっくり一人静かに食事したい、と思ってしまいます。

でも、このとき、リゾートホテルのロビーで「あちらでディナーの準備が始まっていますから・・」と言われてクライアントさんが指し示す方を見ると・・・

時刻は夕方、海がオレンジ色に染まり、その手前のプール沿いには鮮やかな赤いパラソルが並んで、その下に遠目にも豪華さがわかるディナービュッフェのプレートがどーんと並んでいます。

グリルされたラムチョップ、おいしそうな焦げ目がついたビーフ、そして丸まるとしたロブスターがぎっしりと・・・!

ロブスターが出るディナービュッフェといえば、かなりハイレベル!

ロブスターに目が釘付けになりながら、私は「はい!ぜひ!!ありがとうございます」と叫んでいました。

そして翌日、仕事開始です。

蓋を開けてみると、私の心配は次々と払拭されていきました。

まず、二人のうち一人は英語の聞き取りにほとんど問題がなく、「ウィスパリングは要りません」と言われました。

もう一人は「だいたいわかるので、全部は訳さないで、まとめて言ってくれればいいです」とのこと。

1時間くらいしたところでその方も「このアジェンダはあまりうちに関係ないので、午前中いっぱいは休んでいてください」と言ってくれました。

そんなわけで午前中は何もせず、クライアントの後ろに座って会議を眺めるだけ。

11時くらいになると、午前中のアジェンダがすべて終了してしまいました。

議長が「ではちょっと早いですがもうブレイクにしましょう。ランチは12時からです。午後は2時からスタートしましょう」。

つまり11時から2時まで、3時間の休憩!

ランチまでやることがないので、みんなプールサイドでのんびりリラックスしたり、自室に戻って休んだり。

私もプールサイドで、参加者の中に数名いた女性社員たちとおしゃべりして楽しく過ごしました。

ランチがまた豪華!!アメリカで会議中のランチといえばサンドイッチとサラダ、とか、無難で味気ないものがほとんどですが、この1週間の仕事では毎日、毎日、「今日はメキシカン」「明日はアジアン」と趣向を変えて、どれもレベルの高いグルメ料理ばかりが出てきました。

その理由は会議が始まってすぐにわかりました。

この1週間の会議は、毎年、業界の中で各社が順番に開催し、それぞれの国のリゾート地に他社を招いておもてなしをする、というのも趣旨のひとつだったのです。

今回はアメリカの大企業がホストとなっていました。だからアメリカ有数のリゾート地が選ばれ、豪華な食事がふるまわれたのでした。

フランスの企業がホストになったときは、古いお城をホテルに改装した場所で同じ会議が行われたそうです。参加企業の社員たちは「たしか、○年前は○社がホストで、あのときはすごかった」とか「とにかく○社のときが一番良かった」などと過去の比較をしています。こういう比較をされるので、ホストとなった企業は「自分たちこそ!!」と気合をいれるのでしょう・・・

豪華だったのは食事だけではありません。

会議二日目、参加者全員にギフトが配られました。それは、当時最先端デバイスだった「iPod」。iPodの山がどーんと運ばれてきて、スタッフが無造作に机の上にぽんぽんと箱を配り始めたときはびっくりしました。

通訳として参加している私にも、ぽん!と気軽にiPodが配られました。私はあわてて「あの、私は通訳ですので・・・」と辞退しようとしましたが、クライアントさんが「もらっておけばいいよ~」と笑いながら言い、配っていたスタッフも「全員分あるので大丈夫よ」と笑顔。

そして会議三日目の夜。参加者全員がクルージングに招待されました。海沿いに建つリゾートホテルのロビーから、にぎやかにおしゃべりしながら港まで歩き、豪華な船の中へ。

客室に入るとカクテルが振舞われ、夕日に染まる海を眺めながらうっとりと良い気分に。やがてディナービュッフェが始まり、星を見上げながらおいしい食事を楽しんでいると、「そろそろロケットが打ちあがるからデッキに上がってください」とアナウンスが。

このクルージングは「海からNASAロケット発射の瞬間を見よう」というパッケージだったのです。

クライアントさんや、すっかり友達になってしまった他社の女性社員たちと歓声をあげながら、私は「こんなおいしい仕事があっていいのかしら・・・」と信じられない思いでした。

会議はずっと初日のような調子で進んでいて、すぐに「今日のアジェンダは終了したから休憩」になってしまうのです。

ウィスパリングもほとんどしなくて良い状態で、私が本格的に仕事をしたのは、クライアントさんが日本語でプレゼンをしたほんの20分くらいの間。

一日の実働時間、1時間未満というところでしょうか。

休憩時間にはまた、豪華なデザートが提供されました。

一度アイスクリームが出たことがあります。これはなんと、小型の冷凍庫がプールサイドにどーんと運ばれてくるのです。みんなで冷凍庫を覗き込んでハーゲンダッツのチョコレートバーなどを選び、デッキチェアに寝転んで食べたりしていました。

あまりに休憩時間が多いので、会議そのものが一日の半分くらいしかない感じです。通訳として来ている私は会議に参加するわけではないので、働いている時間がさらに少ないのです。

月曜から金曜日までびっしり、のはずだった会議が、木曜の夕方の時点で一応終了となってしまいました。

最後の金曜日は午前中だけ集まって、今後のスケジュールを立てることに。

と言ってもそれは形式的なことで、「次回の会議は1年後、ホストは○社」と確認するだけで終わりです。お昼になる前にすべて終了。

でもフリーランスの通訳というのは、最初に「一日8時間」と契約したら、会議が早く終わっても8時間分しっかり払っていただくのが普通です。また、このときの会議のように実働時間が1日1時間だったとしても、拘束時間で考えるのでやっぱりきっちり8時間分いただきます。

その8時間のほとんど、ただ椅子に座っていたり、プールサイドでアイスクリームを食べたり、iPodをもらって喜んだりしていただけなのに・・・!!

誤解のないよう書いておきますが、こういう仕事は本当に稀です。私にとっても10年間でただ一度の経験であり、たいていの場合通訳の仕事は丸一日稼動して食事や休憩は最小限、クタクタになって帰宅する・・・とうものです。

この当時、この業界はプチバブルと言われていました。数年後にリーマンショックが世界をゆさぶり、この業界も打撃から逃れることができず、様々なコストダウン対策が行われたと聞いています。このようなお金をかけた親睦会を兼ねた会議が今でも開催されているとは思えません。開催していたとしてもずっと地味に、会議のアジェンダにきちんとフォーカスして効率よく行われていることでしょう。

もうひとつ印象的だったのが、世界各国から企業が集まる会議だったのにもかかわらず、通訳をつけていたのは私のクライアントさん一社のみでした。

ヨーロッパはともかく、韓国や中国からも企業が参加していたし、同じ日本からも、私のクライアントさん以外の別の企業が参加していて、彼らは堂々と英語でプレゼンをしていました。

今となっては、何もかもが「あのときだけだったなぁ」という幻の通訳体験のようなものです。

日本企業も世代が若くなるにつれて通訳を必要としない英語力の高い社員が増えているし、リーマンショック以降のコストダウンでは「通訳費用」なんて真っ先に削られてしまう対象だし、あんな楽しいリゾートホテルの通訳の仕事はきっと、当分回ってくることはないでしょう。 

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2 comments on “アメリカで通訳の仕事 -1”

  1. こんにちは。私は、今San Diegoの大学に通っているんですけど、とても通訳の仕事に興味があって連絡させてもらいました。どのようにして通訳になられたのですか?
    急にすみません。

  2. タガミさん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。通訳になるのにはいくつかの方法があると思いますが、やはり通訳の学校に通って卒業後に通訳派遣会社の試験を受けて登録して…というのが一般的なのではないでしょうか。最初は来た仕事はどんなものでも受けたり、ボランティアでもいいので実績を積んで、次第に通訳同士のネットワークができて紹介を受けたり、優秀な人は「また次回もぜひ」と繰り返し依頼を受けてお得意様ができたり…と広がっていくものだと思います。
    私個人の場合ですとこの通訳の学校というのがアメリカの大学院留学に相当し、通訳の学位を取り、卒業後に社内通訳者を雇っている会社に就職し、数年後にフリーランスとして独立しました。
    もしこの記事をご覧になってぜひ通訳をやってみたいと思われたのでしたら、記事にも書いたようにもうこんな楽しい仕事は業界に残っていないと思いますよ、残念ながら…笑
    体力勝負で実働時間以外にも勉強することがたくさんあり、専門技術であるにも関わらずバイリンガルなら誰でもできるんじゃないかと誤解されたり、キャリアを重ねても数年後にはAIに取って代わるという可能性も高く、基本的におすすめできるお仕事ではありません。言葉が好きで、耳から入った言葉を瞬時に別の言語に変換するという作業そのものの不思議な魔力に取り憑かれてしまった私にとっては、とても楽しい仕事人生だったので何の後悔もありませんが…もし、そんな業界でも真剣に目指したいということでしたら心から応援します。頑張ってくださいね。

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