アメリカに移住するまで Tamami編 -2

前回の続きです。

では、ロースクールやMBAではなくて、翻訳・通訳の大学院、Monterey Institute of International Studiesに行こうと決めるまでの顛末を書こうと思います。

前回書いたように、当時私は商社に勤めるOLだったのですが、あるとき、所属していた部門でアメリカと日本国内の取引先を集めてコンファレンスが開かれました。

私はその受付業務を担当していたので、イベント開始前、会場前の受付テーブルで資料を並べたりしていました。

 

そのとき、そのイベント用に依頼していた通訳者が入ってきたのです。

入り口から入ってきた彼女は、私たち受付の事務職を一瞥もせず、まっすぐ会場に向かいました。年齢は40代半ばくらいでしょうか。黒いビジネススーツ、両手に資料をかかえ、背中をまっすぐのばしてキビキビとした足取りで歩く姿があまりにもかっこよくて、私は思わず作業する手をとめて彼女を目で追いました。

会場の方から、「あ、今日はよろしくお願いします」と挨拶している営業の男性社員たちの声が聞こえます。

 

しばらくして、通訳機器をテストするための音声が、私のいる受付台まで響いてきました。

「Test, test, one, two…, Test, test, one, two three…」

純日本人に見えた彼女の発音のくっきりとして美しいこと。One, two、という非常に単純な言葉なのに、日本人の発音とはまるで違うことがはっきりとわかりました。そしてなにより、ほんの数秒の音声テストなのに、とにかく彼女の「自信」が伝わってくるのです。低く落ち着いたトーン。毎日鍛錬している人、目的を持って生きている人の声。

今でも忘れられない、衝撃的な出会いでした。

何がそれほど衝撃的だったかというと、私にとってそれが、「尊敬されるプロフェッショナルな年上の女性」を生で目撃した初めての経験だったことです。

 

前回も書いたように、当時の商社の事務職というのは、何年働いても役職がつくわけでもなく、仕事の内容は変わらず、専門職にはなれない。

とても居心地の良い職場だったので、定年退職まで勤める女性はたくさんいました。でも、ちょうどその頃多くの日本の会社が事務職の正社員採用をやめて、派遣社員に切り替えていたこともあり、誰にも何も言われなくても、年々肩身がせまくなってくる女性は多かったと思います。なかには、毎日同じ仕事をしていてもお給料があがる、これほど楽勝な仕事はない!という考え方の人もいたかもしれないし、私は別にそれは個人の自由だと思うので、そういう考え方を批判するつもりは毛頭ありません。ただ、私にとっては、毎日同じ仕事をしながら、「将来はあんなふうになりたいな」と思える先輩女性がいない職場で、自分の未来が見えないまま、ただ年をとっていく日々は、とても苦しいものだったのです。

そして、その日目撃した40代半ばくらいの通訳者が私にとって初めて「将来はあんなふうになりたい!」と思えた、かっこいい年上の女性だったのでした。

 

最初に彼女が入ってきて、私たちに目もくれず歩き去っていったとき、私は自分が透明人間になったように感じました。まるで彼女の目には映らないように素通りされたことがちょっとショックだったとともに、自分と彼女の間には見えない壁があって、それぞれ違う世界にいるんだということがはっきりわかりました。

あれから20年近くが経過して、自分も通訳になった今、彼女がなぜそんな早足で会場に入っていったのか推測できます。イベント開始までの限られた時間内に、やらなければならないことがたくさんあるのです。会場内のレイアウト確認、自分の使う機材の確認、そして資料に関する質問。

一番的確に技術的な質問に答えてくれるのは誰かつきとめて、しっかり教えてもらいたい。正確に通訳できるように、自分が通訳しやすいように、できるだけ事前に打ち合わせておきたいことがたくさんある。

そんなときに、受付台で資料をそろえている事務の女性は、最初から視界に入りさえしない。

そのとき私が一瞬にして悟ったのはこういうことでした。

「ここにずっといたら、私はああいう人には一生なれない。私と、あの人を隔てる壁。それを乗り越えるには、今、動かなければいけない。今動いて、ここを出れば、ああいう人に近づく道が開けるかもしれない」。

こう書くと、まるで、あの日、衝撃を受けて一念発起した私が、その日以来努力を続けてついに通訳になった、というイメージを与えてしまうかもしれません。

しかし実際はそれほど単純ではなくて、この出来事の後も、まだまだロースクールだ、MBAだ、いやオーストラリアで日本語教師か、いや、アメリカじゃなくてカナダ移住もありか・・・としばらく紆余曲折していました。

 

その詳細については次回に書くとして、20年後の現在についてひとつだけ。

今の職場でも、大規模な会議になると電子機器の管理担当者が通訳のマイクテストを会議前に行います。

「マイクテストします、通訳さん、何か話してください」

と言われると、通訳によって言うことはさまざまです。「テストでーす、きこえますか?」「This is a test, can you hear me?」など、何でも好きなことを言っていいのですが、私は初めて通訳の仕事をしたときから今まで、言うことはいつも同じ。

「Test, test, one, two…, Test, test, one, two three…」

あの日出会った通訳さんと同じマイクテストをするのが習慣になっています。

会議通訳の仕事は私にとってすっかり日常業務となってしまい、ともすれば以前はあんなにあこがれて目指していた、という気持ちを忘れがちなこのごろですが・・・、マイクに向かって「One, two, three…」と言う瞬間、やっぱり今でもなんともいえない嬉しさと達成感がこみあげてくるのです。

 

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2 comments on “アメリカに移住するまで Tamami編 -2”

  1. Tamamiさん、素晴らしい記事でした!
    「すごいな~」って思えることをやっている人って、必ずこういう出会いがあるんですね。

    名前も知らない、顔もはっきりと覚えてないけど、その人の声とか立ち居振る舞いとか、エネルギーみたいなものを鮮明に覚えていて、もうそれまでの自分とは違う!とはっきりとわかる瞬間。
    私も留学を決めたとき、まさにそうでした。
    “It was what I needed.”っていう感じでしょうか。

    Tamamiさんの記事を読んでいて、私もまたエネルギーが湧いてきました!ありがとうございます。
    いつかどこかで、この通訳の方にめぐり会えるといいですね♪

  2. Erinaさん、ありがとうございます。

    上に書いたように、この出会いで単純に「私も通訳になろう」と思った、ってわけじゃないのですが、このときに漠然と「ここじゃないどこかに行かなきゃ」と思ったんですよね。

    それは地理的な「ここ、どこか」ではなくて、未来に対するスタンスのようなもの。

    で、漠然とですが、「海を渡りたい」と思ったんです。物理的な実際の「海」じゃなくて、抽象的な意味で・・・、日本国内でも海外でもいいのですが、何か境界線を超えて違う場所に渡りたかった。

    その延長線上に「留学」があった、という感じです。

    そうですねぇ、この通訳の人にもう一度会えたら・・・でも、もう現役ではないかもしれないですね。(はあ・・・時の流れを感じます 笑)

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