学問の勧め 【大学院編】

こんにちは、美加です。

今回はSDSU(サンディエゴ州立大学)の心理学科の卒業から大学院アジア研究で修士号を取るまでの流れをお話しします。大学院進学を考えている方の参考になれば幸いです。

 

アメリカの大学院

わたしの修士号は、一言で言ってしまえば偶然のたまものです。SDSU入学時には大学院進学など夢の夢でした。卒業近くなって、次はどうしようと思ってた頃にまわりからのアドバイスをいくつかいただいて、大学院入学を志すことを決めました。大学での留学生アドミッションの仕事は好きだけれど、何か物足りないと思っていた矢先に、大好きなカレッジでアメリカ人の生徒に日本の文化について教えるという選択があることを知り、そのために修士号を取る決心をしました。

「偶然は起こるべくしてやって来る、偶然には意味がある」という説を今のわたしは信じます。

どんな偶然の出会いのおかげで大学院入学から卒業まで生き延びることができたかをお話しましょう。

 

偶然1:クラスメートのTさんとの出会い

SDSU編でもふれましたが心理学専攻で編入して、日本人学生Tさんと共通の友人を通じて知り合いました。Tさんはフルタイムの学生で当時から将来はホスピスで働く計画を持っていて、心理学で学士号をとりその後は大学院へ進みソーシャルワークの修士号をとるというプランをしっかり持っていました。彼女は私より1年さきに大学院へ進み、わたしにも絶対SDSUの大学院へ進むべき、と大いに応援してくれたのです。この出会いがなければ大学院進学はしなかったかも、と思うとTさんに足を向けて眠れないなと思います。(思っても直ぐ忘れます。)

彼女はとてもしっかり者で計画性があり、自分を律することが出来る人なのです。わたしと正反対。。。あとにも先にもわたしたちが同じクラスをとったのはたった1回だったのですが、わたしたちは一緒にテスト勉強をするようになり、かけがえのない親友になりました。話はそれますが、わたしたちがでこぼこコンビなのに仲良くなれた理由は以下のような思い出があるからです。このしっかり者の彼女は講義がはじまると必ず1度は居眠りするのです。4時に始まる講義で彼女はこの時間は眠い時間なのよ、と言い訳しまくっていましたが、わたしは仕事先からクラスへ直行でもっと忙しかったのにせっせとノートをとり、テスト勉強のときには居眠りで抜けている部分を補ってあげました。逆に、夜一緒に勉強のときはわたしが眠くてもう勉強終わりにしたいのに、Tさんががんばってるので続けたこともありました。二人とも晴れてAがとれたのはこの二人三脚のおかげでした。それ以来わたしたちは親友となりました。

 

偶然2:マクダニエル教授との出会い

当時SDSUのコミュニケーション科で教えておられたDr.マクダニエルのクラスをとったのもまったくの偶然でした。クラスのタイトルは”Japanese Society”人類学のクラスでした。このクラスで日本の文化を教えるという選択があるのを知りました。そしてこれが日本の文化について教えるなら自分でも出来る、アメリカに貢献できる、と思うようになるきっかけになったのです。そのクラスでゲストとして日本美術史を教えている日本人教授Dr.ヒロコ ジョンソンと当時アジア研究のボス、Dr.ワイナー教授の日本の部落民についての講義を受けたことも刺激になりました。

このクラスは心理学のクラスを取り終え、卒業に必要な単位を取るために必要だったので選択するときにはまず自分の仕事のスケジュールに合わせて、が基本でした。たまたま、夕方のクラスでこんな面白そうなクラスがあったので取ることにしたのです。日本の文化をアメリカ人がどのように講義をするのかにも興味がありました。彼のクラスでますます日本文化について研究し、カレッジで教えたいと思うようになりました。

 

偶然3:英語のテストスコアで学科変更

そういうわけで、マクダニエル教授が所属していたコミュニケーション学科のインターカルチャルコミュニケーションの大学院へ進むことに決めました。ところがGRE(大学院入試の一斉テスト) のテストの英語のスコアが足りません。それを教授に話したら、「じゃあ、アジア研究科を考えてみたら。」とアドバイスをくださり、こちらは点数がゆるくすんなり合格しました。

 

偶然4:大学院アドバイザー ウィッテンボーン教授との出会い

DR.ウィッテンボーンは当時大学院アドバイザーをされていて、Dr.ワイナーが急遽おやめになってしまった後はアジア研究の要の教授でした。Thesis Committee =卒論審査委員会の長になっていただき、テーマや構想などの相談、途中のアドバイスなど親身になってお世話してくれました。執筆にはのべ1年半かかりました。そのつらい期間も教授にアポをとって経過報告や相談に行った後は元気がでて、またがんばるぞ、という気持ちにさせてもらったことをよく覚えています。そんないいアドバイザーとめぐり合えた幸運に感謝せずにいられません。

卒論を書くと決まったら三人の教授に審査をお願いし、最後に各教授から合格をもらって初めて卒業ができます。卒論は製本して大学図書館に納本されます。SDSUのライブラリーホームページでわたしの名前を入れて検索をするとわたしの卒業論文が出ます。タイトルと本の所在記号やらがでるだけなのですが、ストレスで元気がないときこれをみると「あのころに比べればいまのストレスなんかへっちゃら。」と思えます。そのくらい卒業論文執筆は長丁場で辛いものでした。ちなみに卒論は『戦後の日本における離婚の増加と結婚概念の変化』です。

 

偶然5:大学院クラスメートSさんとの出会い

もう一人忘れてはならないのが日本人留学生のSさん。予算カットでアジア研究科のクラスがカットされたため、アジア関係のクラスが非常に少なくなり、アートからオファーされている日本の美術史を取りました。そのクラスで大学院生のSさんと知り合い、同じアジア研究専攻と知って、いくつか同じクラスを取り、卒論を書く時期も同じになりました。彼女はこれが二つめの修士号で、卒論委員会のシステムや書類関係にも詳しく、いろいろ教えてくれました。なによりも卒論書きの苦しい時期が同じで励ましあうことができたことが良かったと思います。

 

振り返ると、人との偶然の出会いを大切にして、背中を押してくれる人に感謝しながらがんばったと思います。大学院は入るのにそれなりの成績が必要でしたし、その後の勉強も卒論も大変でしたがなんとかくぐり抜け念願の修士号を取りました。フルタイムの仕事を続けながらよくできたな、と今となっては正に喉もと過ぎれば熱さ忘れる状態でいい思い出のみ残っています。

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2 comments on “学問の勧め 【大学院編】”

  1. 私も大学を卒業して5年になりますが、大学院に行きたいと思っています。一度、仕事をしてみて、大学とは別の世界を見てまたそう思えました。仕事の幅が広がりますね。
    また、私は学士号は数学だったんですが、この5年間のおかげで、院では数学ではなくてビジネスを勉強したいと思ったし、それがなくてあのまま数学に進んでたらどうなってたんだろう?と不思議に思います。

    こうやって、人に影響され、影響しながら世界が広がることって素晴らしいですね。大学ではそんなこと全く感じず、勉強だけして自分勝手に卒業しちゃったなぁと思うと、ちょっと残念です。

  2. えりなさんは卒業してもう5年なのですね。若いからいくらでも時間はありますね!いいなあ。。。そうですよ、えりなさんはビジネスが合ってますよ。大学院にはいると勉強は大変だけど、クラスメートも大変なので助け合いでつながりも濃くなるし、教授からの影響も大でいい関係が築けます。楽しみですね。

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