幼児教育への疑問〜遊びから学ぶ。森の学校を選択、キンダーを半日にしてみた。

こんにちはYukaです。

皆さんは自分の子どもに将来どんな子になって欲しいと思っていますか?

私はアメリカで教員免許を取得していますが、現在は絶賛3人の子育て中です。
今日は常にホットなトピックである幼児教育に関する記事を書きます。

 

目次:

 

1. 娘、キンダー開始:消えた自信・意欲・輝き

2. どうして自分で考えて自由に遊ぶ時間が必要なのか?

3. 私が幼少期の頃は何をしていただろうか?

4. 私に勉強の機会を与えてくれた大人の存在

5. 『遊び』から得た『人生の勉強』の例を紹介

6. 近年の幼児教育への疑問

7. 『学校の勉強』の土台とは?

8. Forest School (森の学校)という選択

9. 取り戻したい、消えた自信・意欲・輝き:キンダーを半日にしよう!

10. キンダーを半日だけにしてみた結果

まとめ

 

 

 

1. 娘、キンダー開始:消えた自信・意欲・輝き

5歳になった娘は9月からキンダー(Kindergarten)へ上がりました。
つまり義務教育の開始です。

私はいわば主婦をしておりキンダーへ上がるまで
週2回の午前中、幼稚園に通っていたのみでした。

全日制のキンダーが開始されて思ったことは
毎日忙しそうだな〜、と。

そして毎日持って帰ってくるものといえば

– 大量のプリント(数字・アルファベット)
– 工作

決められた時間割を週に5回、毎日6時間ほどこなす毎日。
9月から徐々に 彼女の自信・意欲・輝きがどんどんなくなっていきました。
アルファベットも単語も次々と覚え
たくさんの工作をさせてもらって
お友達とも楽しく過ごし、毎日家に帰ってきていました。
・・・なのになぜ自信・意欲・輝きが消えていったのか?

確実に変化したのは彼女が自分で考えて自由に遊ぶ時間が格段に減った、ということ。

 

2. どうして自分で考えて自由に遊ぶ時間が必要なのか?

わかりやすい例を例えると、一人暮らしって初めの頃は本当に楽しいですよね。
自分で家具の配置を考えて、新しいレシピを開拓して、たこパを開催したり
100均の雑貨を工夫してオシャレに飾ったり、 プチDIYなんてしちゃったり。

ところがどうでしょう。

『楽しい』が『やらなきゃ』に変わると『自由』がなくなり『義務』に感じてやりたくなくなります。
主婦業で毎日お皿を洗い、洗濯物をたたみ、掃除機をかける。
結構苦痛に感じることもやはりあります。
ましてやそこに『子供が泣いた』『言うことを聞いてくれない』などのハードルが加わると
夕方までに終わらせたかったのに・・・とイライラします。
そんな日に『ピザを生地から作ろう!』なんて思えません。
そんなの冷凍ピザで終わってもいい日です。

娘を見ていて子供もそうなんだろうと思いました。
いきなり自由な環境から、全てタスクを与えられそれをこなす毎日。
まだアートを完成しきれていないのに次の教科へ。
まだプリントが終わっていないのに休み時間になった。
家に帰って来ても宿題だ?部屋の掃除だ?家の手伝いだ?
『やらなきゃいけないことばかり!』と嫌気がさすのでしょう。

あれだけ好きだったお散歩も、レゴも、お絵かきも、前ほどしなくなりました。

自由にできて楽しかった頃は余裕があり『ピザを生地から作ろう!』と思える気持ちがあったのに
時間に追われ義務が生じ余裕がなくなると『冷凍ピザで済ませたい!』となるのと一緒だと気付きました。

だからキンダーにあがって自信・意欲・輝きが消えたのか?と考えてみるようになりました。

 

3. 私が幼少期の頃は何をしていただろうか?

と、ふと考えてみました。
共働きの両親で保育園で長い時間を過ごしました。
小学校に上がると放課後は祖父母の家で過ごしました。
でも田舎の学校だったのでとにかく外でたくさん遊び、たくさんの体験をさせてもらった記憶があります。小学校時代に至っては勉強なんてしていただろうか?と思うほどです。
畑、火起こし、ご飯作り、どんぐり拾い、川遊び、ザリガニとり、砂遊び、山登り、散歩・・・
キリがないほど鮮明で新鮮な思い出があります。

学校の徒歩圏内に畑、森、湿原、草むら、冬になれば大雪(笑)というなんとも今では本当に恵まれていたんだという環境で育ちました。
小学校に上がっても、クラスで『たんけんバッグ』を持って散歩に出かけ、探検・観察から “勉強”していた記憶があります。
また、田舎すぎて少子化が進んでおり全学年1クラスしかない!という環境のおかげで
クラス替えが一度もなく、先生たちも色々挑戦しやすかったのかな、とも思います。

アメ10でもおなじみErinaさんがIn Nadeshiko Wayというブログで書いておられた記事

「学校の勉強以外のことも、今のうちに一生懸命にやっておきなさい」と子供たちには伝えたい。子供にはそういう「自由」が必要であり、そこでの「人間になるための勉強をする権利」は、たとえ親や教師でも奪ってはいけないと私は思うのです。

という一文があり思わず共感しました。
思い返せば漢字を20回書いた・テストで100点取ったといったような記憶ではなく
自由な『遊び』から得た記憶がどんどん蘇ってきます。
そして、その『自由』な『遊び』の記憶が後々の人生の勉強に全て繋がっていると納得できるからです。

 

4. 私に勉強の機会を与えてくれた大人の存在

私の通っていた小学校では各学年1クラスのみでクラス替えをしたことがありませんでした。
なので今思うと一からクラス作りをする必要がなかった分(クラスの関係も親との関係も)
色々経験させてもらえる環境にあったんだと思います。

– かまくら作りが休み時間に終わらなかった時には、次の授業の時間を潰して完成させるまで見守ってくれた先生。

– あまりにも熱中して体育でドッチボールをしていたので、一時間延長してさせてくれた先生。
(少人数の学校だったので体育館の使用にも余裕があったんでしょうがw)

– 元気な男の子が多いクラスだったので極力外でできる授業は外でさせてくれていた先生。
(散歩・山登り・かわ遊び・腐葉土作りなどなど)

– 灯油ストーブだったので、お湯を沸かしてお茶を入れたり、スルメを持って来て焼いたりするのを許してくれた先生。

– 理科で火おこしの単元をやった際、気になって気になって家に帰ってから地域の公民館の軒下で火おこしをしてしまった私。もちろん学校に苦情がいき校長先生に叱られました。
でもそれを見ていた担任の先生は、校庭の真ん中で火をおこす”授業”をしてくれました。
そこで『建物の近くで火をおこす危険性』などを教えてくださいました。

このように、カリキュラムをこなす、守るべきルールという義務の中でも、融通を利かせてくれた先生たちのおかげで、本当に自由な小学校生活を送ったのを覚えています。

 

5. 『遊び』から得た『人生の勉強』の例を紹介

– 田んぼに自転車で突っ込んで泥まみれになったこと
底なし沼のような田んぼからどう脱出すべきか自分で考えました。
まず靴は脱いだ方が歩きやすかった。
でも泥にはまった自転車はどうしても自分で救出することはできませんでした。
とりあえず道端で助けを呼び
自転車はおじさんにロープでつなぎ引っ張り出してもらいました。
→学び:ロープ(道具)で引っ張る、状況説明をして助けを呼ぶ、濡れた靴は重いなどなど

– 大雪が降って川沿いでそりすべりをしていたら勢い余ってスキーウエアのまま川にハマって痛くて寒かったこと
言うまでもなくしもやけになりました。痛かったです。
普段は暖かいスキーウエアも濡れたら重くて氷のようでした。
→学び:坂+雪+体重という負荷がかかって滑ると、『止まらない』ということを身をもって体験。
(この痛い経験は後々の運転経験に役立っていますw)
濡れる+寒い=凍る・しもやけ (着る服を天候に合わせてちゃんと自分で考える、自然の脅威)

– 雪で大きな滑り台・かまくらを作ったこと
雪を積み上げていくとどんどん遠くの方遠くの方から雪をとってこないといけなくなります。
重い雪をソリを使って運びやすく工夫したり、パウダースノーの時は少し雪を濡らさないと雪が固まらなかったり、、、。作り上げる段階で色々工夫して完成させるという過程が学べました。
太陽の光が思いっきり当たる方向にかまくらの入り口を作った時は早く溶けて潰れてしまった。
→学び:積み上げる、運ぶ、固める、
太陽の位置を考える、失敗から学ぶ

– 気をつけて掘らないとせっかくのサツマイモが折れてしまうこと
見えてくるサツマイモの頭から大きさや形を想像して掘り下げていく。
スーパーで見るような綺麗な形のものだけでなく曲がっているものもありトリッキー。
空間でどんな形・太さのものがあるのかを見えない状態で丁寧に掘っていく。
→学び:空間認識、見えないところで形を想像する、丁寧に作業をすると折れずに掘れる
折れてしまうと、折れたところから腐ってしまう(“腐る”という言葉を体験より認識)。

– 脱皮したてのザリガニはとっても柔らかいということ
硬いイメージのザリガニ。
脱皮したてはとってもとってもデリケートで柔らかいです。
→学び:小さな生命を大事に育てること
丁寧に触らないと死んでしまうこと
ザリガニのハサミに挟まれると痛いということ(じゃあ次からは後部から捕まえよう!)

– キュウリの苗がチクチクしていて腕がかぶれて痒かったこと
痒いんです!!!夏でも半袖短パンの農家さんを見ないのは、だからなのか!と体験から納得。

–  缶ケリをするには炭酸(アルミ )よりコーヒーの空き缶(スチール )の方がやりやすかったなぁ〜ということ
アルミ缶は潰れやすくスチールは多少荒く扱っても潰れないのでちゃんと立つ。
→学び:種類・材質の違いで形状・強度・触った感じも変わるのか〜という気づき。

– 自分たちが作ったルールの中でケイドロ、缶ケリ、はないちもんめ、大縄跳び、ドッチボール、、、をやりまくったな〜ということ
→学び:駆け引き、ルールを話し合って決める、ズルする子と喧嘩(交渉)する、チームワーク、ボールが顔に当たると鼻血が出るなどなど・・・

– ケナフという植物を育てて紙を作る
今でも覚えています。タネからケナフを育てて、調理室でコトコト。
紙って作れるんだ!!!と感動しました。
→学び:紙だけでなく普段消費している商品は育てられ・作られる過程があって流通している。

 

このように自由な遊び・経験から得た学びが、のちに勉強・人としての生きる力に繋がっています。

 

6. 近年の幼児教育への疑問

もちろん『学校の勉強』は大事です。
でも、Erinaさんの記事の中でおっしゃるように
それはただの一面であるという認識も重要です。

– ○○式勉強法
– 3歳までに○○!
– フラッシュカード
– 小さい頃から入念に練り込まれたカリキュラム

などなど近年の『お勉強』の低年齢化を私は『怖い現象』だと思っています。

例えば実体験がない状態で『さくら』という『単語』と『写真』を見せて教えたところでどうでしょうか?

一方で私が通いつめた公園には桜の木が植わっていました。
満開の桜が風が吹いてわ〜っと散って、新葉が出て、実がなり、色が変わって、落葉、つぼみ、花が咲くという四季を通しての変化を遊びながら見ていました。
—-どうでしょうか?たった一つの『さくら』という単語ですが私の中では5感をフル活動させ、四季・天候を感じだ1年分の体験として残っています。

 

小さいころの『遊び』の『経験』が『学校の勉強』と繋がった時に『なるほど』と思えて『定着』します。そして『遊び』の経験が、実は『学校の勉強』に必要な土台なのです。

 

7. 『学校の勉強』の土台とは?

ハイハイし始めの頃、床のゴミをつまんで拾っている赤ちゃん。
この『つまむ』という作業、後に鉛筆を持つ(筆圧)という能力につながっています。

木登りをしている子供。
握力や体力・体幹を鍛え、これが後に『座って勉強する』という能力につながっています。
座り続ける体幹・体力、そして鉛筆を持ってノートをとる『握力』

ずっと同じことをして遊んでいる子供。
『いつまでやってるの?』『早く行こう!』『まだやってるの?』
と思ってしまうくらい集中している子供。
でも後々にそれが『忍耐力』『集中力』につながっています。

外でずっと遊んでいる子供。
体いっぱい季節や天候を自分で感じることで、『今日は雨が降りそうだからカッパがいるな』『朝は冷えているけど雲がないし日中暑そうだな。中に半袖着て行こう』などと見通し・想定の能力につながっています。
そしてさらに後々理科で天気や季節の勉強が出てきた時に、雲からみる雨の降りやすさをすでに理解できていたり。さらには地球の地軸の曲がりの単元が出てきた時には日照時間の違い・季節の体感での理解が教科書の内容と結びつく瞬間が来ます。

汚い!危ない!やめて!いつまで遊んでるの!と思ってしまうような子供の『遊び』でも
実はちゃんと、どんな形であっても『学校の勉強』につながっています。

だから教科書で学ぶ『学校の勉強』というのは人を形成する上でのたった一部なのです。

 

8. Forest School (森の学校)という選択

 

自分の幼少期の経験から、体験をたくさんしてほしい!と思っていたので
子供の幼稚園探しの際は迷わず『お勉強』重視の幼稚園は却下していました。

後になって嫌でも座って勉強する座学の機会は増えるからです。

私はForest Schoolという教室なし、一年中外!という幼稚園を子供に選択しました。
雨がドシャ降りでも上下防水カッパ、防水帽子、長靴で何時間も外で遊んでいます。

泥んこになってただ遊んでいるだけ、ではなく
『お母さん、今日なんか雨降りそうだね。傘持って行こう』と予測を立てたり
薪を持って木のトゲが刺さった経験から『次からは手袋をはめよう』と反省点を自分考え改善したり
ミミズが半分地中に埋まっている状態で引っ張るとちぎれることを学んで次からは優しく掘ってから出したり
秋になり葉っぱが落ちて何もなくなって『木が死んじゃった!!!』、と泣いていた数ヶ月後に蕾が見えて来て感動したり。

このように与えられたカリキュラム・時間割をこなすということをする年齢の前に
『自分で考えて自由に遊ぶ』という経験があります。

『キンダーに行ったらちゃんと座れるのか』『外遊びだけでキンダーに入ってからの勉強に置いて行かれないのか?』という心配もされましたが、

外遊びで得た体力・体幹でちゃんと座っています。
木登りで得た握力で字を書いています。
水蒸気・水・氷の単元の際は森の学校で凍っていた水たまりのことを思い出したそうです。

『遊び』経験・体験がちゃんと『学校の勉強』に結びついています。

 

9. 取り戻したい、消えた自信・意欲・輝き:キンダーを半日にしよう!

 

一番初めの娘の話に戻ります。
森の幼稚園を卒園し、9月にキンダーを開始した娘、学年の半分というところまできました。
初めは学校に慣れない、長時間も家から離れるのに慣れていない、だから疲れているのかなと思っていました。

でもなんか違う、とずっと感じていました。

入念に練り込まれたカリキュラムやプリントをこなす。
与えられたスケジュールをひたすらこなす。

時間がなくて中途半端にしかできなかったプリントで自信がなくなる。
もっとこのプリント終わるまでやりたいと思っても次のタスクへ動かなくてはならずに意欲がなくなり
お絵かきで『髪の毛の色はピンクじゃないでしょ』と言われ輝きを失う。

そういうことなのか?と娘との会話をかいつまんで考えるようになりました。

私はもうとっくに一人暮らしを始めた頃のドキドキ・ワクワクを失っています。笑
家事はただの義務だと感じ終わらないとイライラするし『やらなきゃー』と思って過ごしています。笑

でも子供には、少しでも長く、一人暮らしを始めた時のようなキラキラした心(意欲)を持って、

子どもらしく自由に楽しく学んで欲しいと思っています。
座学・教科書の勉強はいつでも、そして嫌でも後々やることになります。

だから今は消えた自信・意欲・輝きをなんとか取り戻して欲しい!と思っていた私は、思い切って
『キンダーを半日だけにする』という選択をしてみました。

 

 

10. キンダーを半日だけにしてみた結果

結果、心に余裕が生まれたようです。
もともと学校は楽しそうに行っていたので学校に行くことを継続した状態で
午後から『自分の時間』として自由にできる時間・心の余裕が生まれたようです。

2、3時間邪魔されることなくぶっ通しで外遊び。
好きな色を使ってタイムリミットがない環境で絵を描く。
葉っぱと枝を使って何通りもの遊び方を見出す想像力と意欲。
学校でおわらなかったプリントをこなす時間ができたり、
そこから掘り下げて視野を広げたいと思う意欲。

 

そして前のように『これやりたい』『あれやってみたい』と目を輝かせて言うようになりました。

 

—-生まれた余裕のおかげで『自分で考える』という時間が増えたのです。

与えられたことだけをこなすだけでなく、自分で考えて、自分にタスクを与え、やりきる。
そこから生まれる自信・意欲・輝きは、変えられない経験・土台となるのでは、と思っています。

 

まとめ

 

私は自分の子どもに将来『生きていく力のある子』になって欲しいと思っています。

教科書の勉強・学力だけではない色々な力を持って生きていける人になって欲しいです。

切り身の鮭が海で泳いでいて、冷凍のグリーンピースが冷凍のまま木になっていると思う子が増え、『おもちゃがないと遊べない子』が存在する今の幼児教育のフォーカスはどうなってるのかと疑問を持ちます。

 

5歳でどんなに難しい漢字・単語が書けることでも
どれだけ早くプリントがこなせることでも
2桁の計算がもうできる!ということでもなく・・・

私は、ただただ一生懸命遊んで欲しい。
身体いっぱいに四季を感じ、5感をフル活用して、自分で考える力を培って欲しい。
ちょっと深呼吸。SLOW DOWNして
今しかできないことを目一杯、体験・体感して欲しい。

 

そう願っています。

こういったフレキシブルな選択すらできてしまうアメリカの学校システムに
感謝しつつ、私の親としての旅はまだまだ続きます。

freedom

 

 

 

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3 comments on “幼児教育への疑問〜遊びから学ぶ。森の学校を選択、キンダーを半日にしてみた。”

  1. Yuka さん、はじめまして!まさに私の娘も9月からキンダーを開始して以来Yukaさんのお嬢さんと同じ様子です。この記事を読んで驚くと同時に心強く感じました。そして発見が沢山ありました。
    以前のような溌溂とした笑顔は消え、いつもどことなく寂しそうだったり不安そうだったり。学校に着くと行きたくないと必ず涙ぐみます。
    Yukaさんと同じように環境に慣れていないだけ、拘束時間が長いから少し寂しいのかも、でもじき慣れると信じて疑いませんでした。でもさすがになにか違うのではないかと年明けから真剣に何かを変えてあげなければならないのかもしれないと思い始めました。
    キンダーを半日にする、というのは先生に相談してOKしてくれたのですか?州や地域でも違ってくるのでしょうがYukaさんがどのようにしてキンダーを半日にしたのかぜひ教えてください。

  2. >NAOさん
    コメントありがとうございます。
    結論から言うと、先生には相談しませんでした。
    州・地域・そして校長先生によっても違うようです。
    まずは州の法律を調べることから始めました。
    そして校長先生のさじ加減で詳細は変わるそうですが、パートタイムで学校に通わせることのできる権利があることを知りました。
    中にはホームスクールをしつつ取りたい科目だけ公立の学校に通う選択をしているホームスクーラー達もいるようで。そういった様々な意見を聞くためにホームスクーラーのグループを探してミーティングに参加しました。そして個人的にメッセージを送って質問をしまくりました。
    なぜ半日のキンダーにしたいのに、ホームスクールも視野に入れてリサーチを進めていたかと言うと、『ある学校では校長先生が半日を許してくれなかった』というホームスクーラーの体験談を聞いていたからです。なので半日が不可能なのであればホームスクールをしようと、輪を広げる準備・カリキュラムのリサーチをしておきました。

    そしてある程度どうしたいかのプランを自分で先に決めてしまいます。
    『半日にした方がいいですか?』『半日にしてもいいですか』と質問するのではなく
    『半日にすることに決めました。いつから開始できますか?』と校長先生と担任の先生に伝えました。
    『半日にしてもいいけど、午後からの○○などの教科が受けられなくなるよ』といった忠告も受けましたがそれに揺るがない気持ちと、自分でも家でどうカバーするかと言うプランを立てていたので全く問題ありませんでした。

    まずは法律を調べ、色々な体験談を聞くことをお勧めします。

  3. Yukaさん、とても参考になりました!ありがとうございます。
    ホームスクールまでは考えていませんでしたが視野を広げて再考しようと思います。
    アメリカのパブリック校における裁量がかなり大きい事に驚かされます。

    ヒントや発見が沢山ある記事をありがとうございます。

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