Reunion: ルーツへの愛着

Coulters

こんにちは、カンザス州ウィチタ在住のNayuです。ご無沙汰しています。

皆さん、”Roots”というドラマ、ご存知でしょうか? 少々古すぎましたかね。

”クンタ・キンテ”という、西アフリカで生まれ、アメリカへ奴隷として売らて生きていった彼とその家族の壮大な物語です。自分はどこから来たのか?祖先はどんな人生を歩み、どうやって今の自分にその血が流れるに至ったのか?このドラマをきっかけに、日本でも”自分のルーツ探し”が流行ったそうです。(ちなみに、来年このドラマのリメイクができるとのこと。)

アメ10で以前Ayaさんが書かれていたように、アメリカに来て以来、この”Roots”という言葉を見聞きするたびに、多くのアメリカ人達が自らのRootsにこだわりを持っている、もしくは愛着を持っているなぁとひしひしと感じます。

私の主人であるエドの家族も、集まると何かと自分達の曽祖父母達の話や、親戚の人達の古い思い出話などするのが好きです。

一番のその思いの表れは”Reunion”ではないかなと思われます。日本でいえば、そうですね、”親戚会”みたいなものでしょうか。日本でも職場や学校などの同窓会がありますよね。その親族版です。

エド母の父方の親族、Coulter家は、4、5年おきに独立記念日あたりにReunionをします。この夏はその開催年で、コロラド州はColorado Springsでの集合となりました。

ホテルに三々五々集まり、一緒にある日の夕食、明くる日のブランチを囲む以外はそれぞれに過ごすので、観光に便利な地の利であるところが選ばれることが多いです。

ここでCoulter家の話を少し。Coulterの家系は、イギリスからの移民で、西部開拓時代に夢を託して西へと向かった人達でした。その途中, このカンザス州で牧場を始めたわけです。エド母の父、ジョージは六人兄弟の長男で、エンジニアの道を諦めて、現在のエドの両親の実家である土地で、家業である牧場経営を引き継いだ人。それが今から107年前。そのひとり娘のエド母は大学出たばかりのエド父と結婚。エド父はビジネスマンで牧場経営は全くもって専門外でしたので、Coulter家がここで牧場を営むことはなくなりました。今は、土地を他の人に貸す形で代々の土地を守り続けています。

ReunionではそんなCoulter家の古今問わずいろいろな話がホテルのバンケットのテーブルを飛び交っていました。

昔、移動中の幌馬車で産まれた子供の話、誰がどのおばあちゃんのお気に入りだったとか、エドの祖父であるジョージの両親の馴れ初めの話などなど。楽しい話だけでなく、離婚だったり、破産宣言だったりろ少々重い話もでますが、そこは皆で励ましあったり、叱咤激励したり。

暫くはみな着席して話しているのですが、30分もすると歩き回って積もる話に花を咲かせていました。

日本人はもちろん、海外出身者は私だけ。初日はちょっと気後れ気味。

でもそんな心配は無用で、すぐにおじさん、おばさん達が次々にやってきてCoulter家の昔の思い出話をあれこれと話してくれ、その合間に日本のこともよく質問されました。国勢図絵でも持参すればよかったと反省。

古い写真を素敵なアルバムにしたり、その写真を使ってテーブルセンターを作ったり。Generationごとに写真撮影、そして思い思いにバンケットのPodiumに立って、思い出を語ったり。我が家の息子は、パワーレンジャーのことを熱く語って拍手喝采でした。

Coulters

Coulter家の辿ってきた道を垣間見ただけでしたが、正直、渡米して以来、初めてやっと自分もCoulter家の一員として、これからも続く道のりに参加し始めた気がしました。

ヨーロッパからの移民たちが国という形にし、その後も様々な国からの移民も入り混じって、たった230余年で世界の頂点を極めてしまったアメリカ。アメリカ人の自らのRootsに対するノスタルジックな思いはその反動からくるものなのでしょうか。

Colorado Springsに向かう道中、エド母が”あ、この街は母がしばらくいたところ。” ”ここは親戚の誰々がしばらく住んでたな。”と、私に説明しながら、もう一度記憶に刻み込むように車の中から景色を見つめていたのを思い出します。

自分は見たことのなかった家族の過去の記憶。それを辿る今を生きる家族。

これもまたエド母なりの自分探しの一つなのでしょうね。彼女は歴史が大好きですが、よく”アメリカの歴史は日本と違って歴史が浅いから。”と言います。その分、自分の家族の過去を良く知っていますし、誇りに思っている気持ちがよく分かります。

日本人のような単一民族にはない、アメリカ人の強いアイデンティティを感じます。

そういえば私の曽祖父は若い頃、妻子も省みず、外国で一旗上げるんだと飛び出していった先がシアトルでした。そして私のアメリカ本土初上陸地もシアトル。エドもシアトル生まれ。今でも大勢の親戚がシアトルにいます。

私のアメリカでのルーツはシアトルにもあるのかなぁ。

最終日にホテルを出るとき、新たに他の家族のReunionのウェルカムボードが出ていました。

渡米して9年目になるこの夏。改めて日本人としての自らのアイデンティティを感じると同時に、Reunionを通じてアメリカで生きる自分のルーツも根を張り始めたのを感じます。

そしてReunionのもう一つの副産物。アメリカに会いに行きたい親類ができたこと。これはすステキ。

Reunion。縁あってアメリカという国で繋がっている人達を知るだけでなく、そこで頑張っている自分を知る機会でもあるかな。お勧めです。 

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2 comments on “Reunion: ルーツへの愛着”

  1. 国の歴史については色々な観光名所などにより旧き良きを一部で保てている日本でも、あまり曾お爺ちゃんからさらに遡れる人に会ったことないですし、僕なんか祖父母の人生すらも曖昧なので、興味深い話でした。

    本人は恥ずかしがってあまり話したがらないのですが、お母さんから電話越しに昔の話を聞くのが近年では結構楽しいです。戦争前後の昭和世代は熱い話が多いので。

  2. Tatさん、早速コメントありがとう。世界遺産などからの視点で見る歴史も素晴らしいけれども、そこで生きてきた人々の営みは格別なものがありますね。

    私も父方の祖父が存命だった時、お酒も手伝って、祖母との馴れ初めや中国での戦争の話をポツポツと語るのを聞きながら、結構ドキドキしてたのを思い出します。もっといろいろ話をしておけばよかったなと。いつの時代も人が必死に生きていた時の話を聞くのは学ぶことが多いですよね。戦後70年を迎えるにあたって改めて思う今日この頃です。

    ちなみに2018年のReunionはWichitaに決定です。

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