続「行ってから踏ん張んべ」(1)

1995年冬の初渡米から季節は変わり、春。

TOEFLのスコアはまだ低く、ESLのままではあったその頃。

ワシントン州タコマ(Tacoma)にある「Tacoma Community College」から、シアトルにより近いベラビュー(Bellevue)にある「Bellevue Community College(現Bellevue College)」に転校。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」(10)

シアトル内にあるリンの住まい(この頃には、豪邸一軒家の間借り)に着き、一息をついたところで、「あ、そういや暫く会ってないからジョーのところでも行こうか」という話。

ジョーは俺とほぼ同い年のハーフで、苗字は山田。父は日本人、母は軍居住区(横浜市根岸)の小学校教師。こんなに日本人男児らしい名前なのに、日本語は片言のみ(彼の兄ケンは日本語独学なのにペラペラかつ朝日新聞を愛読するのだが、ジョーとその妹エイミーは日本語が苦手)。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (9)

冬真っ只中の「留学開始」も季節が変わり、もう春らしい陽気の中に芝生が青々と広がり始めている。

三月のワシントン州の気候はほんとに穏やかで爽やかだが、通学時の片道40分徒歩はすでにかなり汗ばむ。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (8)

夕方に帰宅後、ムンちゃんから貰った彼女の電話番号の走り書きを自室の机に取り出す。

サササと書いてた割に彼女の几帳面さが伺える、はっきり描かれた「Moon Kim」の文字を見ながら、「さて、これは…」と脱力。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (6)

キャンパス近くでのレイプ事件の話を聞くと、いよいよ「これ、英語しゃべれないと死ぬな」と若干呆然としながら恐怖を実感。当時まだ記憶に新しかった「服部くん射殺事件」を思い出す。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (5)

僕が渡米した1995年の冬、日本は本当に大変な時期でした。

阪神大震災の後は「オウムの地下鉄サリン事件」。留学生には追い風だったが「史上最高の円高(確か1ドル=80円前後)」。母は何かを郵送する度に、その時の一大ニュースの新聞一面を一緒に包んでくれました。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (4)

アメリカ到着直後、お世話になるはずだったホストファミリーから「屋根裏しか用意していなかった、もう他に部屋はない」と言われ、交渉の余地はなし。「不満があるなら他のファミリーを探す」以外なくなってしまった渡米後三日目の朝 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (3)

渡米当日、ホームスティ先に到着して数時間。まだ落ち着かない深夜。

「あの音はなんだべ?」と、なんとなく銃声なような気がしながら窓の外に目をやるが、路地に木がソヨソヨと揺れてるだけで結局なんだったのか不明。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」(2)

タコマに到着後、すぐに向かったのは、とりあえず活動資金を預けるための銀行。

市街中心部を車で走り抜けると、両側に色々な銀行が点在している。その中から「まぁまぁな規模」という「KeyBank」を選択。 続きを読む

「行ってから踏ん張んべ」 (1)

高校卒業と同時に「留学したい」とは強く思っていたものの、高校生にありがちな「勢い中心」の進路希望。あまり具体的な対策も立ててないから、TOEFLは受けてもスコア「360」が壁という低レベル。よく考えたら最低点が「330」のこのテスト、すべての選択問題を「1」で統一してもそのスコアははじき出せないと言われたのが当時のレベルでした(高校では赤点だらけで「よく卒業できたね」という状態)。 続きを読む