UCLAの寮で過ごした夏 -2

 

laphoto.com
laphoto.com

 

(前回のお話はこちら

 

さて、気ままに放浪していた私がその夏、実際にはぐったりと落ち込んでいたその理由です。

基本的に当時は5年ぶりの日本で「逆カルチャーショック」に悩んでいたころで、また夏だけアメリカに戻ってきても「しょせん一時滞在者、夏が終わったらまた日本に戻らなきゃいけない」という空しさと将来が見えない不安がありました。

そして、私は放浪生活するにはやや年をとりすぎてました(笑)

当時30代の後半に突入していたのです。

日本にいる友達はみんな結婚して子育て中。

一応、東京の実家を拠点にしていたのですが、月の半分以上が出張だし、通訳の仕事がないときは沖縄やハワイで翻訳をしながら過ごしてみたり、スーツケースを完全に空にしたことが一度もないまま1年以上が過ぎていました。

沖縄やハワイ?!やっぱり楽しそう!と思うかもしれませんが・・・

自分の部屋、自分のベッド、というものがないまま、1年以上が過ぎると、さすがに疲れがたまってくるのです。

アメリカの仕事を辞めたときに引き払ったアパートが、自分の部屋と言えた最後の場所。そのあとずっと、あるときはホテル、あるときは実家の一室(物置部屋みたいなところに布団を敷いただけ)、あるときは長期滞在用マンション、そしてUCLAの寮。

落ち着く自分の部屋で熟睡するということがないので、体力的にも疲れてくるし、精神的にもやっぱりさみしさがつきまといました。私にしてみれば、ブログを読んでメッセージをくれた、もうお子さんもいてしっかりと家庭を持っている主婦の方のほうがずっと確実な人生を歩んでいるようで、うらやましかった・・・。

LAのフレンドリーな人々、開放感たっぷりのビーチ、明るい日差し。でもその中を歩く私は気持ちが沈むばかりでした。

観光ビザは3カ月が最大滞在期間なので、夏の終わりが近づくにつれてまた日本に帰国する日がせまってきます。

LAで過ごす夏の最後の一週間はUCLAの寮もひきはらって、LAにあるいくつかのビーチシティを訪ねました。

一人でホテルに泊まって桟橋を散歩したり、家族連れに混じってホテルの朝食を食べたり。アメリカに住む友人にもたくさん会った2カ月でしたが、最後はやはり一人でしみじみと孤独を感じて、海に沈む夕日を眺めてたそがれてしまいました(笑)

最後の2日間は翻訳の仕事を仕上げるため、空港近くのRadissonというホテルに泊まっていました。ホテルの窓からは巨大な石で出来た巨大な「LAX」という文字が見えます。翻訳の合間、疲れた目を休めつつ、その巨大な「LAX」をぼんやり眺めていたときのことをよく覚えています。「これからどうなるのかな・・・」「アメリカにはもう観光ビザでしかこれないんだな・・・」「どこかに落ち着きたいけど、東京じゃない気がする・・・」「でもアメリカには住めない・・・」また日本に戻るしかないのがとてもさみしかった。

このとき私はまだ知らないのでした。

その年の年末には結婚してまた渡米することを。

このとき観光ビザで2カ月過ごしたLAに住むようになることを。

寮にもぐりこんだUCLAを横目に見ながら、Wilshire大通りをしょっちゅう車で走り抜けることを・・・

数ヵ月後に結婚する相手とはこの2カ月の滞在中にもビーチ沿いのカフェでお茶をしていたのでした(アジアの大富豪の息子ではない 笑)。1年後の夏には娘を妊娠していて、なんとツワリに苦しんでいたのでした。人の運命ってわからないものです。

現在私が夫と娘と住むアパートから、あのUCLAに滞在したころ遊びに行ったサンタモニカ・ビーチまで車で数分です。

一日にいくつもはしごしたお気に入りのカフェのいくつかは、もう閉店してしまいました。

出張するとき、旅行するとき、空港にさしかかり、巨大な「LAX」の文字が目に入るたび、その後ろに立つRadissonホテルを見るたび、私はあの夏を思い出します。

あのときは永住することが遠い夢に思えたこの場所に、私は今確かに住んでいる・・・

在住年数が増えるにつれてすべてが日常になり、今は「海外に住んでいる」という意識さえないアメリカ生活ですが、私はあのときの気持ちをいつまでも忘れないでいたいと思います。

もう観光ビザがきれて帰国しなければいけない日が来ることもない、家族と一緒にしっかりこの場所に根付いている自分の生活に感謝して、大切にして暮らしていきたいと思います。

Visited 16 times, 1 visit(s) today

2 comments on “UCLAの寮で過ごした夏 -2”

  1. 人生ってフシギですよね・・・とHanaさんの記事を読んでつくづく思いました。
    こういう、「見たらあの時の感覚がすごく鮮やかに蘇るもの」って私もあります。外国人だからかな?アメリカ人の旦那にとってはそうでもないのかな?

    自分にとって当たり前のものが、人生のパートナーというものすごく近い人にとってすごく特別だったり、またはその逆だったり。
    それも個人が通ってきた道が違うからそう感じるんでしょうけど、そう思うと、今ある結婚生活、家族、友人たち、そういうものにつくづく感謝です。・・・・ってelaborateしすぎかもしれませんが、やはり外国人として生活するとありがたみは増すものですね。
    貴重な体験談、ありがとうございました。

  2. いつも拝見していますが、はじめてコメントさせていただきます!
    私は今32歳なんですが、渡米を考えていまして、
    只今の安定した仕事と、年齢的なものと、いろいろ考えて悩んでおり、
    すごーく気持ちが重なりました。
    人生ってわからないものなんですね。。。
    結婚かシングルか選ばなければならない、なんてないんですよね・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です