UCLAの寮で過ごした夏 -1

 

私はUCLA(University of California, Los Angeles: カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の寮でひと夏を過ごしたことがあります。

そう言うと、UCLAに通っていたの?サマースクールの講座でもとってたの?と聞かれますが、実はUCLAにはまったく関係なく、勝手に寮にもぐりこんでいたのです。

寮に住む学生たちは、夏の間に帰省したりインターンシップで別の街で過ごす間も寮の家賃を払わなければならないので、お金を節約するためにだれかに「Sublet」をします。

Subletというのは要は「また貸し」。アメリカでは非常によく行われる慣習で、大家さんが承認済みのこともあるものの、多くの場合こっそり、大家さんに内緒で個人的に取り決めます。

友人など人づてでSubletが成立すればいいのですが、そう簡単に限られた期間、ちょうどそこに住みたい人を見つけることはできないので、Craigslist(全米各地域ごとの個人広告ウェブサイト、仕事やアパート、個人売買など様々な広告が載る)などがよく利用されます。

日本より治安の悪いはずのアメリカで、こうやって不特定多数の人が見るウェブサイトを通して自宅の鍵を手渡す人を見つけることが一般的なんて、なんだか不思議な気がしますね。日本ではなかなか、「夏に1カ月帰省するからその間だれかにアパートを貸そう」なんて考えないのではないでしょうか。

私の場合はCraigslistは関係ないのですが、やはり見ず知らずのUCLAの学生から、共通の友人を通して寮の部屋をSubletすることになりました。

事の発端は、そのころ、5年間のアメリカ生活のあと日本に帰国していた私が「ああ、もう蒸し暑い日本の夏は嫌だ!7月と8月の2カ月は日本を脱出したい」と思いついたこと。

当時フリーランスの通訳・翻訳で食いつないでいた私は、インターネットとEメールさえあればどこでも仕事ができる状態でした。結婚して子供もいる今と違って独身だったので、どこに行こうとまったく自由な身。どちらにしても普段から出張ばかりで、いつもスーツケースに身の回りのものをつめたままの生活でした。

夏の日本を脱出してどこへ行くかといえば、やっぱり爽やかなカリフォルニア。

ではカリフォルニアのどこに行こうかな、と考えていたところに、ちょっとしたきっかけでその年の春、日本を訪ねていたUCLAの学生グループと知り合ったのでした。

「夏に2カ月だけ住める場所を探してるの」

「え、Sublet探してる人がたくさんいるよ!この人に連絡してみて」

と、とんとん拍子で話が進んで、私はビジネス・スクールに通うDave(仮名)の部屋を借りることになりました。

DaveとはEメールだけでやりとりをして、私がLAに到着する日に空港で待ち合わせることに。

入国管理のオフィサーに「なぜ2カ月も滞在するのか」と聞かれて「日本の夏は蒸し暑いから、湿度の低いカリフォルニアに来たの」と正直に答えたところ、オフィサーにちょっと難しい顔をされたのですが、そのとき別のオフィサーが来て「交代するよ、ランチ行っておいでよ」と言われた瞬間どうでもよくなったらしく、「OK!」と無事スタンプを押してくれました(笑)。

空港の外に出て、あたたかくて爽やかな、まぎれもなく夏のカリフォルニアの風に包まれた瞬間のことはよく覚えています。帰ってきたよ!アメリカ、ただいま!と心の中で叫びました。

迎えに来てくれたDaveは、いかにも頭が良さそうなまじめな学生風。

Daveの部屋は二人部屋で、もう一人の学生もインターンシップで夏はいなくなり、やはりインターンシップでUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)からLAに来る学生、Eric(仮名)にSubletしているとのこと。

つまり、私は1つの部屋を男性とシェアすることになったのです。もちろん個室は別々でバスルームも個室についていて、共有部分はリビングルームとキッチンだけなのですが、それでも男性と部屋をシェアするのにかわりはありません。

これもけっこう、日本では違和感があるかもしれない現象ですね。男女がひとつの家に住む、と聞いたら、絶対何かあるんじゃないか?と思ってしまうのではないでしょうか。アメリカでもルームシェアは同性同士のほうが多いとは思いますが、男女が混じっていてもそれほどびっくりはされないと思います。女性としても、家に男性がいたほうが安心だったり、力仕事をしてくれて便利だったりします(笑)。

ちなみに、今振り返ってみるとEricはゲイだったような気がします。とても親切でフレンドリーな人で、よくお茶を飲みながらおしゃべりしていましたが、お肌の手入れなどの話題になるといきなり盛り上がったりしてました(笑)「日本人って若く見えるよね、いいなぁ(I’m Jealous!)」なんて言ってたし・・・。20代の男性がお肌のことで女性に「Jealous!」なんて言うかなぁ?やっぱり怪しい。ガールフレンドの話もひとことも出なかったし。

なので私にはまったく身の危険もなく、Ericに誘われることもなく、UCLAの寮生活は快適に過ぎて行きました。

当時の毎日はこんな感じです。

朝はゆっくり起きて、シャワーを浴びて、着替えて、とりあえずパソコンを持って近くのカフェに行く。

朝ごはんを食べながら翻訳の仕事。なにしろ学生街なので、どのカフェもWiFiを完備していて、テーブルにはパソコン用の電源があり、好きなだけ長居できる環境が整っています。私はいくつかのお気に入りのカフェを転々としながら、一日仕事を続けました。

UCLAの寮には自習室みたいなスペースもあり、そこで仕事をすることもありました。夏休みなので人は少なく、そこで常連だった数学専攻の中国人留学生と友達になったりもしました。

念願の「蒸し暑くない」LAの夏。

シャワーを浴びてそのまま出てきた私の髪が、カフェまでワンブロック歩く間にたちまち乾いて、さらさらと風にのって揺れます。

仕事の少ない日は気の向くままに近くのビーチに行ってお散歩したり、海を眺めながら本を読んだり。

寮のキッチンにはろくに調理道具がそろってなかったので、お料理はせず、Whole Foodsのデリを買ったり、カフェからTo go(持ち帰り)したり。

日本で知り合ったUCLAの学生たちを通して、まだ寮に残っていたほかの学生を紹介してもらって一緒に遊びに行ったり、なかにはデートに誘ってくれる男性がいてレストランに連れて行ってもらったり、コメディクラブに行ったりしました。

青くて広い空にパームツリーがくっきりと映える、LAの夏。デートの相手は東南アジアの大富豪の息子、超難関のMBAコースをあと1年で卒業予定。彼はBMWのコンバーチブルで迎えに来てくれて、青く輝く海を見渡すマリブのレストランでごちそうしてくれました。

ちょうどまとまったボリュームの翻訳依頼が入り、ページ数は多かったのですが、私がもう何年も専門分野として訳していた内容の続きだったので、ものすごい勢いでこなしていくことができました。ほとんど辞書をひくこともなく、タイプする指をとめることなく、一日中訳し続けて、LAでの生活費をまかない、さらに何度かアメリカ国内を小旅行することもできました。NYに二回、中西部に住む友達に会いに一回、サンディエゴに何度か。(リーマンショックも震災もまだなかった時代。翻訳の単価も今より高く、仕事も多かった。今はもうこういう生活はできないと思います。)

そのうえちょうどLAのすぐ近く、サンディエゴでの1週間のカンファレンスで通訳をしてほしいという依頼が日本から入り、きれいなリゾートホテルに滞在しながら仕事もしました。なんといっても通訳は翻訳よりも時間単価が高い。1週間でひと稼ぎして、またスーツケースを抱えてLAに戻ってきて・・・このままいつまでも、パソコン片手にあちこち放浪しながら通訳と翻訳で気ままに生活していける気がしました。

こんな生活、みなさんはどう思うでしょうか。

実際、当時私は個人的なブログを作っていたのですが、日本で翻訳の勉強をしている主婦の方から、あるとき長いメッセージを受け取りました。

彼女は私のパソコン片手の放浪記を読んで、「人と比べても仕方ないけど、うらやましい。私は子供もいて自由がきかないし、Hanaさんみたいな生活ができなくて苦しい」と書いていたのです。

それを読んだとき、私は愕然としてしまいました。

なぜなら・・・

明るくまぶしい日差しあふれるLAで、青い空の下、私はそのとき少しも幸せではなかったからです。

すっかり自分の人生の行き先を見失ってしまい、途方にくれたまま、ただ機械的に目の前の翻訳作業を続けていました。

一見気ままで楽しそうな生活が、なぜ、そんな空虚だったのか?

また続きに書きたいと思います。

 

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