銃とレイプ(散文)
先進国で唯一の銃社会である、米国。
「人種」「宗教」が理由と見られる発砲事件や爆弾テロが減る気配はなく、相変わらず銃暴発事件で失われる命も多い。
個人的に外野席から「銃規制で軽減するのでは」と軽く言ってしまいがちだが、炎上するのは痛く承知しているため、あまり茶々を入れなくなっている最近。
中西部は「銃が悪いのではなく、あくまで悪用する人間が悪い」と言う意見がやや多数派。なんなら銃所持を強調しちゃうぜ、と買い物時にも腰に巻いたベルトに収まった自慢の銃をチラッと見せつける勢い。
まぁ確かに日本でトラックごと歩行者天国に突っ込んだり、駅で包丁を振り回すなど意味不明な事件が起こるので、必ずしも物を排除して解決することではないが。
アメリカでは、歴史や文化の違いに加え、最近強調される「警察への不信」などもあり、日本で数回行われた「刀狩」のような一方的な命令は、米国では一部「ふざけんな」という反応から西部劇的銃撃戦に展開しても全然おかしくない。
アメ10でもかなり取り上げられる内容だが、今後も銃肯定派は、銃製造会社などからの潤沢な資金と「表現の自由」を基に、政治を通じて積極的に働きかけ、結局あ~でもないこ~でもないとこの先何十年も声を上げ続けるだろう。
「安心」「安全」「自由」についての解釈は難しい。
それらの理解と解釈とは別に、すでに目の前に山積する、対策が急務な課題もある。最近米国教育業界で特に一番頭を抱える「レイプ」だ。現職に物凄く影響することなので何か起こると(悲しいかな頻繁に起こるのだが)気になる。
今春、名門コロンビア大学(Columbia University)から卒業した、エマさん(Emma Sulkowicz)。
同校の学生寮にて「レイプ被害にあった」という彼女は、「レイプ被疑者に対する大学の対応に不満」とし、「実際に犯行が起きた学生寮のマットレスを抱えながらキャンパス内を(一年間)移動」する行動に出る。これにより「反レイプ」を訴え、その表現活動の課程を記録し、卒業課題・論文にするとのこと。その後、卒業式もそのマットレスを持参で出席。
以下、事件についてインタビューを受けるエマさん(英語、日本語字幕無し)。
「彼女の訴えは間違いである」と冤罪を訴える、ポールさん(Paul Nungesser)が加わり、実際どちらがどうだった、という事実(?)は見えないまま、他校でも同様に「大学の対応に不服」という学生の訴えが始まる。
6月24日付「USA TODAY」に、ミシガン大学(University of Michigan)が発表した、「キャンパス・レイプ」のアンケート結果が掲載されていた。
2014年度、43,000人以上の学生が在籍した、米国有数の人気大規模校だが、今年1月から同校に所属する生徒3,000人から「同意のないセックス」についての聞き取り調査。結果、20%以上の女学生が「キャンパス・レイプ」を経験したという。その内、3.9%が大学または警察へ被害届を提出したのだとか。
「安全」は「生徒の身を預かる」というサービスに付随し、ある程度まで担保するのが基本と考える各校でも、対策を練り実行し、一定の効果を得ているが、まだ突破口は見つかっていない。
日常生活の中で、どこに線を引くと、「安心」で「安全」かつ「自由」を謳歌できるか。
「アメリカだから怖い」ということでないし、これは、世界中のどこに居ても、その国、土地にある「常識の範囲」で行動・対応する以外に明確な手段はないのだろうが、やはりトラブルは避けたいところ。
思えば、文明の利器やら何やら新しいものができても、人類は結局何百年も何千年も同じことでつまづいているな。長い独り言でした。
(写真:職場Wichita State Universityキャンパス内に星の数ほどある緊急事態用ポール。アメリカ国内の大学にはよくあるのだが、「HELP」という通知ボタンを押すとキャンパス内の警察と繋がり、早い時には数秒でかけつけてくれるとか)