アメリカに移住するまで Tamami編 -4
前回の続きです
大学院に留学した時点では、別に「絶対にこのままアメリカに永住する!」と決めていたわけではありませんでした。
以前に書いたように「キャリアチェンジをするには米国大学院がいいかも」というのが出発点だったので、最初はあくまで留学だけして日本に帰国しようと思っていたような気がします。
それに、なんといっても生まれて初めての海外生活。暮らしてみないと永住したいどうかなんてわかりません。もし、留学先の気候や文化が自分に全然合わない場所だったら、卒業したらさっさと帰国しよう!と思ったかもしれません。
私の場合はアメリカで最初に住んだ場所とたまたま相性がよく、それまでの人生でずっと苦しんでいたアトピーやアレルギーが嘘のようにきれいに消えてしまうほど気候も自分に合っていたので、もうそれだけで「このまま日本に帰りたくない」という理由になりました。
広いアメリカでは気候、人種、文化、多種多様なのですが、私は留学先を含めアメリカの気候や文化の知識はほとんどないまま渡米してしまったので、今振り返ると怖いもの知らずだったな、と思いますが・・・結果的には、素晴らしい第一印象で私のアメリカ生活がスタートしたのでした。留学生活2年間については大学院を紹介する以前の記事で触れたのでここでは割愛します。
卒業間近になると、クラスメートと顔を合わせれば「卒業後はどうする?」という話をしていました。まずは「日本に帰国するか、とどまるか」という話題です。
「このままアメリカにいたい」と本人が思ったとしても、市民権やグリーンカードがない学生の場合、仕事を見つけなければ帰国するしかありません。したがって、「ビザを出してくれる就職先」を求める会話があちこちで交わされていました。
しかし、当時はちょうど、あの9/11のテロ事件直後、米国経済は失速しつつあり、国内でも失業者増加が問題になっていた状況で、あえてビザを出してでも外国人を雇う、という企業はそうそう見つかりません。その上通訳・翻訳となると、ビザに関係なく、「社内通訳・翻訳者」というポジションを見つけること自体が難しいのです。
「通訳者」「翻訳者」と聞くと、やはりフリーランスとして働いている人というイメージが強いと思います。
市民権や永住権をもっていたらアメリカでフリーランスになるというオプションがあるのですが、企業にビザをスポンサーしてもらうには正社員であることが条件なので、私の場合はどうしても社内通訳のポジションを探す必要がありました。
ちなみに、「社内通訳」に比べると「社内翻訳」のほうが少しだけポジションが見つかりやすいかもしれません。当時はIT業界でソフトウェアのローカライズを専門にする企業や企業の一部門が出はじめたころで、私もそういう分野の就職を検討したことがありました。
でも、できれば翻訳オンリーではなくて、通訳の仕事もしたいと思っていました。
以前の記事に書いたように、留学する前は自分が通訳になれるだろうとは思っていなかったし、大学院でも翻訳のみを専攻するつもりでいたのですが、実は、在学中にとても尊敬していた現役通訳の教授に励まされたこともあって、結果的には通訳と翻訳、両方とも専攻できるコースを卒業したのです。
就職するときには「せっかく頑張って勉強したんだから、社内翻訳ではなくて通訳もやる仕事がしたい」と希望していました。
そういうわけであまり選択肢のないまま、「OPTが失効したらH1Bに切り替えてもらえる可能性がある」、「通訳・翻訳両方ができる正社員のポジション」という条件で、中西部のある会社に就職したのでした。
渡米して最初に住んだ場所が自分にとても合っていたので、就職してまたカリフォルニアとは全然気候も文化も違う中西部に引っ越すときも、新しい場所に対する不安はまったくありませんでした。
アメリカがどれほど広いか、このころはまだ実感できていませんでした。最初に住んだ街を「これがアメリカなんだ」と思ってしまっていたかもしれません。
実際にはアメリカのごく一部しか知らなかったんだ、ということを、中西部に引っ越してから私は思い知ることになりました。