カナダ人の食生活
↑↑↑<ベジタリアンフード>
新しく仲良くなった日本人以外の友達と、はじめて外にご飯を食べに行こう!となったとき
バンクーバーで私が必ず最初に聞いているのが
“Is there anything you can’t eat?”
多民族社会カナダでは、宗教や信条、またはアレルギーなど様々な理由から、食べるものに対して制限がある人が意外と沢山います。
中学校の社会科で勉強したような、「イスラム教徒は豚肉を食べてはいけない」とか、「ベジタリアンとは肉・魚類を摂らず野菜類のみを食べる人たち」が、日本人とは比較にならない割合でいるのです。
日本の古きよき(?)給食制度で育った私。
自分のお皿にのってるものは食べ終わるまで昼休みおあずけでしたし
あるときはクラスの誰かが食べ切れなかったコッペパンをゴミ箱に捨てたのが掃除の時間に発見され、クラス会での議題になりました。
なんて、今の教育事情とは少し違うかもしれませんが、
「好き嫌いをせず、食べ物を残してはいけない」
の食育を受けてきた私の周りでは遭遇することのなかった場面です。
海外に出ると、日本人って本当になんでも食べるなぁと感心します。
宗教で禁止されている食品というのもあまり聞かないし、なにより「好き嫌いせず何でも食べる」ことが美徳ですよね。テレビ番組を見てても次々に新しい食品が開発されている、食に対してとてもオープンで貪欲な国だと常々思います。
そんな日本で逆に、海外と比べてあまり見かけないのがベジタリアンレストランではないかと感じています。
バンクーバーには人気のベジタリアンレストランがいくつかあって、ベジタリアンだけでなく普段は肉や魚を食べる人たちも気軽に食事を楽しめる場所として受け入れられています。
うま味大国日本人には物足りない味付けの料理もあれば、野菜だけで出来ているとは思えないほど美味しい料理もありました。
これらのベジタリアンや、イスラム教徒用のハラールの肉や、炭水化物を非常なまでに悪者扱いする友人、以上に私を混乱させた出来事がありました。
それは前の職場で、私の勤務もあと2週間となった頃。私のfarewell partyを兼ねて、みんなでご飯を食べに行こう!という話になったときのこと。
しっかり者の23歳女優志望ダンサーのステイシーが「すぐそこに新しいJapanese Restaurant ができて、寿司とのフュージョン料理を出すらしいから行ってみよう」と提案してくれたので、その後、出勤してきたラナにも声をかけました。
「みんなで私のfarewell partyに寿司を食べに行こうと計画しているんだけど、次の土曜日空いてる?」
私はそれまで、ラナがランチにBBQチキンの丸焼きにかぶりついているのを何度か目撃していたので彼女がベジタリアンではないことは知っていました。
そして根拠のない、白人は寿司が好きという思い込みがありました。
私がそう誘った瞬間、ラナの眉間にしわがより、
“Oh, I don’t eat sushi.”
とだけ言い、仕事に行ってしまいました。
なぜ?Why?
そんなに寿司が嫌いだった?でも、せっかく私のfarewell partyなんだから、その態度はなくない?
むしろ私って嫌われてた?
様々な???が、私のなかでモヤモヤし出したので、ランチの時間にチキンの骨をしゃぶっていたラナに直接聞いてみました。
彼女は、Ocean Conservation の活動をしていて、フカヒレを獲るためだけにサメを乱獲している中国や、鯨を乱獲し海を荒らしている日本に対して憤りを感じている。だからたとえ自分がseafoodを食べなくても、Japanese Restaurantを利用することで、彼らの活動を支持しているようなことになるのは彼女の信条に反することなのだと話してくれました。
結局、ギリシャレストランに行ったのですが、ラナはそこでラムのすね肉を頼み、“I don’t eat fish but I eat baby sheep!” と普段どおりのシニカル・ジョークをかまし、その向かいで“I’m sorry but I love seafood.”と、思いっきりエビを注文するステイシー。だからと言って、ラナが機嫌を悪くするわけでもなく、ラナも昔は寿司が大好きで毎日寿司を食べていたとか、昔はカナダから日本の銀座に英語を話すホステスを人材斡旋していたとか、いつか牧場に嫁に行きたい(ラナ50代)などと、ワインを片手に波乱万丈な人生を語ってくれました。
文化の違いって、一緒に生活していると気付かないような小さなポイントで、ちょっとした食い違いを引き起こすものだと思います。
そういったときに、気まずさを残して我慢したり、あえて話題に出さないようにしたりと、ネガティブな対応をとっているとお互いにその食い違いを放置したまま、うやむやになってどうでもよくなったり、もしかしたらそれが、また新たな食い違いを生み出す原因になったりするかもしれません。
人と違って当たり前、だからその違いを、誠意を持って相手に聞くことは悪いことじゃないし、聞いたからってその相手の考え方に同調する必要も全くないんです。相手を認めた上で、でもseafoodが好きだとエビを頼んだステイシーは、多民族バンクーバーでの自然な生き方を教えてくれたような気がします。