学位の重み(前編)
アメ10読者の皆様こんにちは。KAZでございます。
アメリカの大学では卒業シーズンを終え、学生はそれぞれ夏休みを満喫しているようです。
アメリカの大学生はどうやって夏休みを過ごしているんでしょうね? というのも、ボクが働いているキャンパスは「メディカルセンター」なので、基本的に大学院生以上の学生しかいないので、夏休みという実感がありません。
大学院生にも一応、夏休みはあるみたいなのですが、学部生ほど長期間休んでいる学生はいません。はい、ポスドクも然りです。
しかし今、ほかの大学から夏休みを利用して研究室を体験するために学生がやってきている(サマー インターンシップ)ので、彼らがやってくる頃になると、夏の風物詩的なモノを感じています。
ところで今回は、日本の大学院で取る学位と、アメリカで取る学位には差があるのか?を検証(!?)してみたいと思います。
あ、ただ、生命科学系でのお話しです。それ以外の分野の事情については全く分かりません。御免なさい。
まず、日本の大学院の状況です。
日本で大学院といえば、まず修士課程(2年)に進み、その後博士課程(3年)に進学します。
医学部卒業者の場合ですと学部で6年間ですので、修士課程をスキップして博士課程に進学することができます。ただし、医学部の博士課程は4年です。
薬学部は以前までは4年制でしたが、最近制度が変わり、4年制と6年制の2つがあります。
4年制の薬学部を卒業して貰える学位は「学士(薬科学)」で、6年制を卒業すると「学士(薬学)」が貰えます。薬剤師国家試験の受験資格があるのは6年制を卒業した人だけです。
6年制の薬学部を卒業した人は、医学部と同様に修士課程をスキップして博士課程に進学することができます。
ところで、いま日本の大学院は博士課程に進む学生がどんどん減ってきているそうです。
理由はいろいろあると思いますが、大きな理由は若い人が研究そのものに興味を持たなくなってしまったことだと思います。
そこで、若者の研究離れをなんとかしようと、今から20年ほど前に文科省が「ポスドク一万人計画」というプロジェクトを作りました。
各大学に資金を分配し、ポスドクや特任助教などの任期付きのポジションをつくらせたのです。
ところが、日本のシステムのダメなところは、物事を長期的な目線で考えないところで、任期付きのポジションをつくったものの、任期を終えた研究者の受け皿を考えていなかったのです。その結果、日本にはオーバードクターやシニアポスドクと呼ばれる研究者があふれかえっています。
また企業は、博士号を持つ学生を「専門性が偏りすぎて扱いにくい。しかもプライドが高い。」と考えており、また学部卒や修士卒に比べて初任給が高いので、あまり採用したくないのです。
それで結局、博士課程を終えた学生のほとんどが教員の職に就けないままアカデミックに残っています。しかも酷いことに、基本的に日本のアカデミックは35歳以上のポスドクは新規で採用しないことが、暗黙の了解になっているそうです。(いや、ボクの場合は別に溢れてアメリカに来た訳ではなく、自ら進んで来たんです。日本のポストを蹴って。)
そういう厳し状況を見ているのもあって、博士課程に進まなくなった原因の1つだと思います。
しかし、博士課程の学生が減る一方で、修士課程の学生は逆に増えているのです。
それはなぜかというと、企業が研究職や商品開発の部門では学部卒の学生を取らなくなったためです。修士卒以上でないと、研究職等の部門にはつけなくなったため、修士号を取るために進学する学生が増えてきたのです。
しかし修士課程と言ってもたった2年間、研究室で過ごすだけです。
しかもご存知の通り、日本の就職活動はものすごく長く、みんな研究室に配属された半年後には就職活動を始めます。しかも、いろんな企業に手を出すので、就職活動をしている間はほとんど実験をしません。
内定を貰えるのははやくても翌年の春、遅いと卒業ギリギリまで就職活動をしています。
従って研究室で実験ができるのは実質1年弱です。
この1年弱の間に培った経験がどれほど社会で役に立つのかは少し疑問に思います。
しかも、研究成果にまとまりがなかったとしても、学位論文を書いてプレゼンさえすれば、ほぼ100%の確立で学位が貰えます。
なかには、1年弱の期間で成果を挙げ、論文を書く学生もいますが、よっぽど要領がいいか、与えられたテーマがラッキーだったかでないと、そこまで仕上げる学生はなかなかいません。
発表の内容を聞いていると、とても修士号の学位に値しないんじゃないかという学生でさえ、修了していきます。
そういう学生を輩出したところで、大学に取ってはなんのデメリットもないし、むしろ留年生をつくってしまうと大学としての評価が落ちるのです。なんだか逆のような気がするのですが。
一方、博士課程はというと、当然修士課程よりはシビアで、きちんと科学雑誌に学術論文が掲載されなければ修了はできません。
一般の方からすると、博士課程の学生は毎日毎日、勉強と実験の日々を過ごしていると思われるかも知れませんが、実際、日本の大学院では授業はほとんど行われません。あっても週に1〜2回です。それ以外の時間は実験に充てたり文献を調べたりしています。
ボクがアメリカに来て知った日本の大学院とアメリカの大学院の大きな違いは、アメリカでは学生が自から研究テーマを考えるのに対して、日本では担当教官がテーマを考えることです。
これはものすごく大きな違いだと思います。
ひと昔であれば、1つの研究テーマを一生やり続けるという研究者がほとんどでしたが、今そんなことをやっていては時代の流れに取り残されてしまいます。次から次に新しいテーマ自分で見つけていかなければならないのです。
将来、独り立ちしたときに自分で研究テーマを見つける能力がないと、研究者としてやっていくには難しいような気がするのです。
今回は日本での事ばかり書いてしまいましたが、次回はこれを元に、アメリカの現状について書きたいと思います。