恐怖の移民局(2002年頃の体験):その3

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前回に引き続き、以下の話はあくまで2002年頃の状況ですので、ビザに関する詳細情報はかならず移民局(USCIS)のウェブサイトで直接確認してください。

途方にくれたままカリフォルニアからオハイオに引き返し、会社の人事担当者に連絡しました。

「仮のOPTカードがもらえなかった」と告げると、担当者は「ええええええーーーーっ!」と悲鳴をあげました。

OPTカードのコピーを会社に提出しないと、実際に働き始めることができません。

私の場合ちょっと変わった採用形態なのですが、この担当者は私を直接採用している会社の人で、オハイオの関連会社に私を通訳として派遣する、という形なので、この人事担当者にとってオハイオの会社がお客様。この日から通訳を派遣します、と約束したのに実際に派遣できないとなると、信頼関係にヒビが入り、今後取引ができなくなる・・・という、担当者にとっては最悪の事態だったのです。

なんとしてでも3日後には働き始めないといけない・・・どうしたらいいのか、私と担当者はしばらく話し合って、1つの作戦にたどりつきました。

それは・・・

次の日もう一度オハイオに飛んで、何事もなかったのようにもう一度移民局に行って、「まだカリフォルニアに住んでいる」という前提で申請しなおす、というものです。

一度移民局に行ってみて思ったのですが、あの人たちが私たち外国人の顔を一人一人覚えているわけがありません。

私に「オハイオへ行け!」と怒鳴ったオフィサー、あの人にまた偶然ぶつからないかぎり、私が実はオハイオに住んでいることはばれるはずがありません。

あのオフィサーがそのへんにポーンと放った私の書類。そこにはオハイオの住所が書いてありますが、あの移民局の非効率さ、いい加減さからして、書類が丁寧にファイルされたり、コンピュータに情報がインプットされているとも思えません。そのまま破棄されている可能性のほうがずっと高そうです。

問題は、万が一疑われた場合に備えて(勤務地はしっかりとオハイオの住所なので)、今でも留学先の街に住んでいるといかに主張するか、です。

住民票というものがないアメリカで住所の証明といえば、免許証のほかには、電話代の請求書などの郵便物。

ちょうどそのころ引っ越したばかりでまだあちこちに住所の変更届をしていなくて、そういえばちょうどクレジットカードの明細書などが以前住んでいた家に届く頃でした。そういう郵便物はあとでまとめてまだ留学先の街に住んでいた友達に送ってもらえるよう頼んであったのです。

翌日カリフォルニアに飛んで、もと住んでいた家に行き、郵便物をピックアップして、その日の深夜、また移民局へ・・・

しかしここで問題があります。

留学先の街と移民局とは車で1時間半くらいの距離、離れているのです。そして、そう、私はまだ運転免許を持っていなかったのです。

タクシーで往復したら数百ドルかかるでしょう。車以外の交通手段はありません。

しかたなく、私は郵便物を頼んでいた友人に連絡しました。「突然で悪いんだけど、明日の夕方、私が住んでいた家まで行って郵便物を取って、○○ホテルまで来てくれる・・・?」

いきなり往復3時間のドライブのお願いです。封筒ひとつ届けるだけのために。でも彼女は二つ返事で引き受けてくれました。そしてその日、就職希望先からの電話インタビューという重要な用事があったにもかかわらず、なんとか調整して、1時間半かけて私が宿泊しているホテルまで本当に来てくれました。

以前に運転免許取得の話でも書きましたが、当時は本当に友人が家族代わり、友人達がこうやって助けてくれたからなんとかいろいろな窮地を切り抜けてこれたのでした。

封筒を持って笑顔で駆けつけてくれた彼女への感謝を、私は一生忘れることはないでしょう・・・

さて、その日の深夜。またタクシーを呼んで、真っ暗な夜空の下、移民局へ。

私はすこしでも2日前と自分の印象を変えようと、前回はきちんとスーツをきてメイクをしていたのでパーカーにノーメイクにめがねで変装(?)するという慎重ぶりでした。なにしろ今回は「たぶんわかりゃしないだろう」という予想にもとづく、賭けのようなものです。厳密に言えば嘘をつくのだから、ばれてしまったら最悪の最悪は強制送還かもしれない、そしたらもうアメリカ生活も終わりだなぁ、などと考えました。

前回と同様、いばったオフィサーがやってきてアメリカ国旗掲揚。厳しいセキュリティ。いまのところまったく問題なし。

受付は前回と違う人で、私が記入した書類を見ると「Are you still living in this address?」と厳しい目で質問してきましたが、堂々と「Yes!」と答えました。

そしてとなりのスペースへ。窓口に座る人たちをさーっと見渡すと、とりあえず私に前回怒鳴ったあのオフィサーはいません。全体的に前回とは全員違うメンバーになっているようです。曜日によってスタッフが違うのでしょうか・・・、いずれにしても、ここで本当に安心してやっと深呼吸ができました。

このあとは順調でした。番号が表示されてなにくわぬ顔で書類を渡し、とくに住所のことも指摘されず、カード用の写真を撮るように指示されて、いったん外に出て食事、戻ってきてまた数時間待って・・・ついに、ついに、仮のOPTカードを手にして移民局オフィスの外に出たときはもう午後3時。前夜並んだのが夜の2時くらいだったから、実に24時間以上のドキドキ不安な気持ちから解放されて、カードを空にかざして「やったーー!!とれたーー!!」と叫んでぴょんぴょん飛び回りたい気分でした。オフィスの前に立っているセキュリティの人々に不審がられては困るので、実際にはしませんでしたが。

翌年同じ大学院を卒業した後輩たちとこのときの話をしたら、「あー、移民局はウェブサイトで予約ができるようになって、もう並ばなくてよくなったんですよ~」とあっけなく言われてしまいました。私がこの移民局の試練を受けた2002年という年はなんといってもあの9・11事件の直後という特別な年だったので、それ以降の留学卒業生とはちょっと違う体験だったのかもしれません。

しかし、この移民局が当時悪名高かったことは事実で、地元の新聞に抗議の投稿が殺到したり、あちこちのウェブサイトでひどい扱いを受けたという体験談が投稿されていました。

この後私はOPT→H1B→グリーンカード申請へと進み、途中で結婚によるグリーンカード取得で楽なコースに変更!と思いきや、移民ビザ取得でもまた一波乱あったのでその話はまた後日書いてみようと思います。 

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