日本に残した親のことを考えるとき

海外に住んでいると、ふと頭をよぎるのが日本に残してきた親のこと。

うちのカーチャンは、ボクが3歳の時に離婚して以来、祖母、母親、兄とボクの4人で暮らしてきた。
平日は仕事、夜は趣味のジャズダンス、週末は教会と、ほとんど家に居なかった。

祖母はずっと家にいて、家事は祖母の仕事だったがいつも人の悪口を言うので、ボクは祖母に懐かなかった。

兄は、父親が居ない家庭で自分が家族の大黒柱になったと勘違いし、なにかにつけてボクのやることに口出し、ボクに暴力を振るった。

それからずっとボクは家族を避け続け、大学院進学と同時に広島の実家を離れた。
それからの関西に出てからの約10年間、地元福山に帰ることはあっても実家に帰ることはなかった。
それでもさすがに渡米する前には親にひと言言っておこうと思い、日本に置いていく荷物のこともあるので、一度だけ、30分だけ実家に帰った。

10年ぶりにみた家族の姿は、ボクが想像していたよりも月日の流れを物語っていた。
祖母は心臓にペースメーカーを入れ、要介護認定を受けていた。
耳が遠いせいでボクの言っていることをあまり理解できず、何度も「カズシは頭がいいんだから医者になれば良かったのに」と同じ事を何度も喋り続けていた。

カーチャンは定年を迎えて一年が過ぎ、3人を養うためにずっと仕事漬けだった生活も終わり、これからは悠々自適に過ごせると思っていたはず。ただ、祖母の介護が大変だろうなと思った。

兄は、ボクが実家を離れたあとにニートになり、引き籠もりになった。ボクが実家に帰ったときも部屋から出てこなかった。
子供時代ずっと暴力を受けてきたボクは、引き籠もりになった兄に対してむしろザマァミロぐらいの気持ちだった。

せっかく定年を迎えたのに、引き籠もりニートの面倒まで見ないといけないカーチャンの事を思うと可哀想になった。

カーチャンの子育ては、はきりいって「放置」だったので、ぼくの大学進学や渡米に関しても全く無関心だったけど、大人になるまで「いちおう」育ててくれたカーチャンだけには「いちおう」の感謝の気持ちがあるので、ほったらかしに育てられてもちゃんと仕事を持ってアメリカ生活を満喫していますよというのを見せしめるためにもいつかアメリカに呼びたいと思っていた。

ある日突然、祖母が亡くなったとの連絡を受けた。
病院の先生によると、老衰とのこと。母が朝に祖母を起こしに行ってもベッドから起きてこなかったそうだ。
カーチャンに電話をかけたが電話口に出たのは兄で、10年ぶりに話す弟に気が動転しているせいか「こっちで全部済ませるからお前は帰ってこなくていい。」と一方的に電話を切り、結局ボクは日本には帰らなかった。

その2ヶ月後、父からのLINEメッセージに目を疑った。
カーチャンが亡くなったと書いてあった。
死因は大動脈解離。 症状が現れてすぐに処置すれば助かる病気なのだが、発見が遅かったせいで助からなかった。
倒れているのを発見したのは兄だった。おそらくずっと2階に引き籠もっていた兄はカーチャンが倒れたことにしばらく気付かなかったのだろう。
ボクは兄に電話したけど、話は噛み合わず、結局カーチャンの葬式のために帰国することはしなかった。
中国に行くフライトの前日に連絡を受けたというのは建前上の理由で、本当の理由は兄と関わりたくなかったからだ。
結局、中国で用事を済ませたあとはそのままアメリカに戻った。
それから兄とはメールで遺産相続の話し合いをはじめた。
ある日、ぷつりと兄からの返事が来なくなった。

数日後、兄が亡くなったとの知らせを受けた。
ボスに事情を説明し、ボクは少し長い夏休みを貰って日本に帰った。

誰も居なくなった実家をぼーっと眺めると、昔のことが蘇ってきたけど、イヤな思い出しか蘇ってこなかった。

ゴミ屋敷だった部屋を、父と協力して掃除した。
スッカラカンになった部屋をボーッと眺めると、少しだけ寂しい気持ちになった。

昔、ある先生に、
「研究者というのは家庭を顧みず実験をしなければならない。もしかしたら親の死に目にも会えないかもしれない」
と言われたことがあったけど、まさかそんなことがあるわけがないと思っていたことが起こった。

「親孝行したいときに親は居ない」

そんな親不孝なバカがいるのか!?と思ってた。

ボクがそのバカ者だった。

人生なんてなにが起こるか分からない。自分の思い通りにいかないことがほとんどだと、外国にいると良く思うようになった。

はたしてそれは自分がポジティブになったせいなのか、ただ単に感覚が麻痺してしまったせいなのかは分からない。

だけど、これまで苦難や困難が起こってもなんとか乗り越えてこれたのだから、これからもなんとかなるだろうと思って、前向きに生きていくつもり。

いつかは、あの時アメリカに来て良かったと思えるように。 

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3 comments on “日本に残した親のことを考えるとき”

  1. Kazさん、
    はじめまして、Tと申します。
    来月、日本からロサンゼルスへ引っ越す為、情報収集をしている際に
    こちらの記事をみつけました。

    純粋に、早くから自立して自分の好きな道を見つけて”すごい!”と思いました。
    私の今までの海千山千事件なんて、へのかっぱです。

    只今、中国在住なのですね。
    ご活躍、期待してます!

  2. Tさん
    コメントありがとう御座います。
    人生なにが起こるか分かりませんから、他人の人生と自分の人生を比較して幸だ不幸だ言っててもしょうがないと思うようになりました。

    ロサンゼルス、最初は慣れなくて大変だと思いますがきっとすぐに楽しい新生活が待っていると思いますので頑張って下さい!!

    ボクもこの夏からカンザスに戻ることになりました。

    このブログには沢山の経験豊かな在米日本人がいますので、もし何か聞きたいことがありましたらメッセージ頂けるとお力になれると思います。

  3. Kazさん、随分前のポストですが、ブログを読んで居ても立っても居られず書いています。ご家族のご不幸、お悔やみ申し上げます。Kazさんの体験を思うとなんと言ったら良いのかわかりませんが、少しだけ気持ちをシェアさせてください。余計なお世話だったらすみません。

    私にも研究者の夫がいました。お互いの仕事の都合で一時的に海外の別々の国に住んでいたとき、ある日、夫が事故で亡くなりました。夢半ばでの突然の出来事でした。とにかくショックで、今思えばしばらく私はかなり酷い状態でした。傷が完全に癒えることはないとは思いますが、友人や同僚に支えられてなんとかやっています。
    同僚の一人に言われたのですが、母国を出て暮らしている人は皆、家族や何かしらを残してきています。突然前触れも理由もなく、価値観が変わるようなとんでもないことが起きて、似たような喪失体験をしている人も思った以上にいます。
    Kazさんの周りの人は、アメリカにいるご友人も、そうでない人も皆、Kazさんが辛い時にはKazさんが考える以上に、何かできないかなと想っていますよ。私もその一人です。どうか辛い時には周りの人たちに頼ってご自愛ください。前向きに頑張るのは素敵だと思いますが、研究者は自分を顧みない傾向がある人が多いので(私も研究者だったので自覚あります)どうか、ご自身をよくよくケアしてください。それが短期的だけでなく長期的な成功にもつながると思います。Kazさんの健康と成功を心よりお祈りしております。

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