異国の地でのThanksgiving、二つのストーリー

サンクスギビングにまつわる経験、まずは、私がアメリカで迎えた初めてのサンクスギビングの話から。

6月にサマースクール入学、9月から大学院の授業が始まり、サンクスギビングが始まるころにはアメリカ生活が数ヶ月過ぎていたことになります。

このころはとにかく初めての海外生活に慣れること、大学院で要求される勉強量をなんとか達成することに追われていて、サンクスギビングという休暇に関して深く考える余裕がなく、それがどういう意味のお休みなのか、休みに入ると世の中がどうなるのか、といった知識が一切ありませんでした。ただ「四連休」=「まとめて勉強するチャンスだ」くらいにしか認識していませんでした。

日本にはちょうど同じころに「勤労感謝の日」があるので、この「感謝」と「サンクス」が重なってしまい、「そっか~アメリカにも勤労感謝の日があるんだ~」とかとんでもない勘違いをしていたほどでした(笑)

サンクスギビングが近づいてくると、いろいろな人から「サンクスギビングはどうするの?」と聞かれました。「日本から家族が来るの?」なんていう質問もよくあって、私は「そりゃ4連休だけど、だからって日本からわざわざ家族が来るほどの休暇じゃないし、なんでそんなこと聞かれるんだろう?」と不思議でした。

そこで「別に何の予定もないです」「家で勉強してます」と、事実をそのとおりに答えていたところ、アメリカ人の友達や先生が「えーーー?!」とものすごい反応するのでこっちが逆に驚きました。中には「そうなの?!かわいそうに・・・、私の家でパーティをするからいらっしゃい」とか、「家族が集まるからあなたも来て、人の家族でも一緒にいたほうがいいでしょう」とか言ってくれる人もいました。

私にはこういう反応がさっぱりわけがわかりませんでした。せっかくのまとめて勉強するチャンスなのに、どこかに出かけて無駄にしたくなかったし、いったいなぜ他人の家族の集まりに私も参加しなきゃいけないのか??とまったく理解できませんでした。おそらく親切心で言ってくれているのだろうということはわかったので、もちろん、「ありがとう!でも大丈夫」と丁重にお断りしていましたが。

さて、当日となりました。

私はよくキャンパスの近くのカフェで勉強していたので、その日の朝もさっそくカフェに出かけました。

ところが。閉まっていました。

あら残念、と思ってメインストリートを歩き始めると、あたりがやたらとシーンとしていることに気づきました。カフェだけじゃない。となりのお店も。そのとなりも。ダウンタウンのメインストリート沿いのお店が、全部閉まっているのでした。そして人通りもほとんどいなくて、普段は学生がたくさん歩いている道に、見渡す限り誰もいない。

えー!何で?!と私はほとんどパニックになりました。どうなってしまったのか。帰りにドラッグストアに立ち寄ろうと思ったら、そこさえ閉まっています。日本で言えばコンビニのような存在のドラッグストアまで閉まっているとは。

しかたなく家に戻り、予定通り勉強しました。このとき、アメリカ中の家族が続々と集まってディナーの準備をしたり、子供たちが走り回ったり、久しぶりに会う家族同士がハグを交わしていることを私はまだ知らなかったので、とくに孤独とは感じませんでしたが、「ああ、不便だなぁ」とは思いました。「こんな大規模な休みだなんて聞いてないよ!困るよー」と思いつつ、地味に一日中勉強しました。午後になって「さすがにスーパーは開いてるよね」と思って出かけたら、「午後2時で閉店」という張り紙があって、食料さえ入手できなかったのでした。

さて、次に私の夫の話です。

夫は大学を卒業したあと日本に2年間滞在し、文部省が主催する「英語圏の若者が日本の高校で英語を教える」というプログラムに参加していました。

アメリカ人の彼にとって、日本で迎えるサンクスギビングは、私のまったく逆バージョンです。

サンクスギビングだー!ターキーが食べたい!家族に会いたい!という気持ちがたった一人で盛り上がっても、周囲のだれもその気持ちを共有してくれません。サンクスギビングだからといって当然ながら日本の高校は休みにならないし、家族にも会えませんが、だれも「かわいそうに」と言ってくれません。

彼はせめてターキーが食べたいと思い、住んでいる地域のスーパーを探して回りましたが、どこにも「丸ごとターキー」なんて売ってません。丸ごとじゃない切り身のターキーもありません。丸ごとチキンさえ見つけられませんでした。(今なら、または都会ならあったのかもしれませんが、90年代当時の田舎でのことです。)

パンプキンパイが食べたくても、日本のかぼちゃはアメリカのパンプキンと微妙に違いました。ターキーの中にいれるフィリングも、アメリカスタイルのクリーミーなマッシュポテトも、説明しても誰もわかってくれませんでした。

異国の地で寂しさに負けそうになるアメリカ人・・・・。

そこへ、なんと!!

彼の両親が遠いアメリカから飛行機に乗って来てくれたのです。背中にしょったバックパックに、丸ごとターキーをつめこんで!!

日本の小さいワンルームマンションで懐かしい味のターキーを囲み、両親とサンクスギビングを迎えることができて、夫は嬉しくて泣きそうだったとのことです。

彼から初めてこの話を聞いたとき、まだまだアメリカのサンクスギビング文化に慣れていなかった私は「ま~なんと甘やかされた子供!いい年してさみしいとか、親もそこまでするか~」とむしろあきれていました。

でも、当時から10年以上が過ぎて、このアメリカに自分の家族を持った今なら彼の気持ちも、彼の両親の行動もよく理解できます。

サンクスギビングはアメリカ人にとって日本のお盆やお正月のようなもの。

家族が寄り添っておいしいごちそうを食べる休暇。みんな仕事を休んで、お店も閉めて、家族のもとへ急ぐ。

留学して最初のサンクスギビング前、「家で勉強している」と言っていた私は、きっと、周囲の人々にとって、日本で「大晦日とお正月?家で一人で勉強しています」と言っている外国人留学生のような存在だったことでしょう。「まあ!ぜひ家にいらっしゃい」と言ってしまうのも、今思えば当然のことでした。

今日は仕事が終わったら大急ぎで帰宅、車で夫の実家に向かいます。そして明日は、10年以上前に夫の両親がバックパックにつめて日本に持ち込んだのと同じSmoked Turkeyを家族で囲むことでしょう。これは義理の両親の定番で、毎年同じところにオーダーするのです。普通のターキーのイメージとかけ離れていて、ジューシーでやわらかくて絶妙な塩気があって、とにかく絶品のターキーなのです。夫の両親が重いバックパックをしょってでも日本に住む息子に届けたかった気持ちがよくわかります。

みなさま、Happy Thanksgiving!! 

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2 comments on “異国の地でのThanksgiving、二つのストーリー”

  1. はじめまして!今年から夫の海外転勤に伴い、ケンタッキー州で暮らしています。
    私は今年が初めてのThanksgiving経験だったのですが、英語のチューターをしてもらってるアメリカ人の方からdinnerへ招待していただき、幸運なことに体験することができました。時間をかけて準備したんだろうなと思われるたくさんの品数の夕飯をごちそうしていただき、Thanksgivingへの特別な思い入れ、すごく素敵だなと思いました。会の終わりかけにホストの方が、「今年一番感謝した出来事をみんなで話していこう」と提案して一人づつ自分の気持ちをシェアしあったのですが、Hanaさんの記事を読んで、確かに日本の大晦日・お正月のような感じがするなと思いました。
    しんみりしたThanksgivingから一転、その深夜のBlack Fridayへの雰囲気の変わりようが、買い物好きアメリカっぽくておもしろいですね!私は大人しく家で寝てしまいましたが、来年はどんな盛り上がりなのか見に行ってみようかなあ。

  2. まゆさん、コメントありがとうございます。アメリカらしいサンクスギビングが体験できてよかったですね!「感謝していることを言う」というのもサンクスギビングの風習ですね。
    もとはメイフラワー号に乗ってきたイギリス人たちが東海岸に上陸したものの、農耕などの技術や知識が一切ないので次々と病死・餓死してしまい、そこへネイティブアメリカン(インディアン)たちが来て助けてくれた。その年はたくさん食べ物の収穫があり、収穫祭をして食べ物と親切なネイティブアメリカンたちに感謝した、というのがサンクスギビングの始まりなんですよね。
    それが現代のアメリカになったらみんな物欲にかられてブラックフライデーに殺到!というのがちょっと嘆かわしいと言う人もいますね。
    なので、初心に戻って「感謝することを言う」という習慣が続くのはとてもいいことだと思います。
    ブラックフライデーは私はオンラインショッピングします。同じ割引をオンラインでもしているので。友人の中には子供の服1年分をブラックフライデーに買う!なんて人もいます。でも、アメリカに一時的に滞在しているのなら、夜中の1時に行列!みたいなこともお祭りに参加するような気分で、一度経験してみるのもおもしろいかもしれないですね。

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