終戦70年をアメリカから考える
こんにちはYukaです。
いよいよ終戦70年を迎えました。
アメリカのテレビジャパンでは特集が組まれ、
在米日本人や日系二世の当時の様子を伝えていました。
実は、戦争の話題はピンと来ません。
戦争のせの字も体験していない世代だからです。
当時の苦しみ・葛藤・憎しみ・苦労を体験していない私が
理解できるわけがないからです。
70年が経ち、生の声を聞く事ができなくなる時代が近づいてきました。
当時の教訓から憲法9条が守られ続けてきた平和の国・日本。
(最近の憲法の話題はさておき・・・)
記憶が時代とともに風化し、あの頃の犠牲の重みも薄れつつあります。
戦争を体験していない私たちに何ができるのか。
次世代に、平和をつなぐ事。
では、平和を夢物語で終わらせない為には何をすれば良いのでしょうか。
毎年この時期になるとテレビでドキュメンタリーが流れます。
ナチスのユダヤ人大量殺人の裏側。
広島の原爆。
第二次世界大戦の兵士達。
テレビを見ている時は考えさせられる事が沢山あるのです。
薄れる平和への意識改革をせねば、とも思うわけです。
しかしどうでしょう。
テレビが終わると、温かいコーヒーを片手に携帯でFacebookをチェックします。
何事もなかったかのように、夕飯の支度をし、食卓を囲みます。
『早く食べてお風呂はいりなさーい』と子どもの後ろ姿を追う
平和な日常に戻るのです。
テクノロジーを駆使して、当時の動画や、残虐な殺人の跡。
原爆のシュミレーション動画や当事者のやインタビューのドキュメンタリーを観ます。
こうして私たちは、繰り返してはならない戦争の話を聞きます。
『多少の理解』をし『考えさせられ』、『平和へのありがたみ』を感じ、
そしてまた、コーヒーを片手に読書をし、車を走らせ夕飯の買い出しに行くのです。
キャンプでしか、電気・水道のない時代の疑似体験ができないのと同じで、
ドキュメンタリーなどでしか、戦争の一部始終を垣間みる事しかできないのです。
あるドキュメンタリーで
『私たち戦争を体験していない世代には、伝える義務がある』と言っていました。
スマートフォンが当たり前に普及し、
スマートフォンを家に忘れて初めて『不便さを感じる』という時代に生きる私たち。
こんな私たちの世代に、果たして何ができるのでしょうか。
一つ思った事。それはスマートフォンを家に忘れて
『あ〜不便だった』と一日を振り返る。
『返信遅れてごめんね、今日携帯家に忘れたんだ。ところで明日のランチどこにする?』
と平和な日常に戻れる世界を保つ事。
残虐でおぞましいドキュメンタリーを見て考えさせられた後に
『さて、今日の夕飯何にしようかな〜。あ、コラ!こんな時間にお菓子食べない!!!!!』と子どもに注意できる平和な日常に戻れる幸せを噛み締め、
次世代を担う子ども達が、この日常の幸せを噛み締められ続ける事を願う事。
過去の過ちの時代を生きていない私たちにとって、過去の過ちを繰り返さない、という目標は難しいと私は思います。だってその過ちの時代を知らないから。
でも、今のこの時代を生きる私たちにとって、
この幸せを、この平和をキープ・ベターしていい
次世代へつなげるという事にフォーカスする事はできるのではないか。
そんな事を考えつつ、片手でチョコレートをつまみ、この記事を書く。
戦争時代を生き抜いた祖父からの『清貧に生きよ』という言葉を思い出すも、
チョコレートはやめられないなぁ・・・とつぶやくのでした。