夫婦重視のアメリカ、親子重視の日本 – 後編

前回は夫婦関係に焦点をあてたので、今回は親子関係をとりあげたいと思います。

娘がまだまだ赤ちゃんだったころ、結婚記念日や私と夫の誕生日が来ると、夫は当然のように娘をどこかに預けて二人だけで食事をしよう、と提案しました。私はこれにすごく抵抗があり、たびたび夫と議論になりました。

私は「子供が生まれたら、親は子供を中心に生きるべきなのよ。大人だけでゆっくり、というぜいたくは、子供が生まれたら親はあきらめるべきだと思う」と主張しました。

夫は「子供はもちろん大事だけど、僕は夫婦の関係も大事にしたい。僕たちは単なる子育てのパートナーじゃない。奥さんとして君を選んだのだから、君とだけ過ごす時間もあきらめたくない」と主張しました。

今思うと、私たちはそれぞれの文化の価値観を押し付けあっていたんだと思います。夫が「夫婦で出かけたい」というのは、アメリカの「子供が生まれても夫婦の 関係は大事にすべき」というアメリカの文化、私が「娘とかたときも離れず一緒にいたい」というのは「子供が生まれたら家族(母親)は子供中心になるもの」 という日本の文化をそのまま反映していました。

議論といえば、娘が生まれてから「添い寝すべきか、否か」についてもずいぶん夫と意見がぶつかりあいました。

私はもちろん添い寝派。こんなに幸せな子供との時間を、どうしてアメリカの母親たちは手放して子供をわざわざ別室に寝かせるんだろう?と不思議でした。

一 方、夫や夫の家族は添い寝に批判的でした。夫にしてみれば「夫婦の寝室が子供にのっとられるなんてとんでもない」という感覚だったようです。よくアメリカ の映画やドラマで夫婦がケンカして夫のほうがリビングルームのカウチで寝る、という場面が定番として出てきますが、真夜中に何度も泣いては授乳を繰り返す 赤ちゃんと夫は一緒に寝ることができず、実際よくカウチで寝ていたので、「これは夫婦の危機だ」と思っていたようです。

これもまた「親子重視」「夫婦重視」の違いですね。アメリカ人は子供に対する愛情が薄いわけじゃないし、日本人の夫婦の愛情が薄いわけでもない。「こうある べき」という自分の国の文化に影響されて、自分だけのものさしで相手の文化を見るから、お互いを批判することになってしまったと今は反省しています。

* ちなみに、添い寝は最近のアメリカでは見直される傾向にあります。また日本でも1世代前の親は「抱き癖がつく」などといって簡単に抱き上げないなど、今の ママ世代とちょっと育児方法が違います。これはアメリカで提唱された「添い寝は良くない、泣くたび抱き上げてはいけない」という育児方法が日本に伝わった からだそうで、私の両親と夫の両親の育児方針はけっこう似ているところもあります。これは日米の根本的な文化の違いとはまた異なる要素ですね。

私も利用したアメリカの「Co-sleeper」。Co-sleepで添い寝するという意味で、大人のベッドにぴったりとくっつけて使います。畳に布団で川の字ができないアメリカならではの商品。同じ布団で寝ないと添い寝という感じはしませんが、そこは安全優先。赤ちゃんが圧迫されたりしないように設計されています。

実際のところ、娘がだんだん大きくなって私も育児に慣れてくると、たまに友達と出かけたいと言うと笑顔で「それは素晴らしい、楽しんできてね」と育児と家事 を一手に引き受けてくれる夫がとても頼もしく思えて、「母親なのに子供おいて遊びに行くとはなんだ」なんて言わない夫で本当に良かった、と思いました(いまどき日本にもそんなこと言う人いないかもしれないけど)。

日米文化の違いを示す面白いエピソードをある本で見つけました。宇宙飛行士の向井千秋さんのご主人、向井万起男さんが書いた「きみについて行こう」の一節です。

「NASA の宇宙飛行士が飛び立つ前、家族を1人だけ選んで一緒に数日間過ごすことができるのだが、この家族というのが親子ではなく、配偶者であることに非常に驚い た。日本でもっとも近い家族といえば親子ではないか。アメリカでは、何故、血のつながりもなくいつでも離婚できる配偶者をこんな大事な場面で選ぶのか不思 議に思った」という内容でした。

私も向井さんが疑問に思う気持ちがよくわかります。親子はなんといっても血がつながってい るのだから・・・と日本人ならつい思ってしまうものです。つまり、日本は血縁関係をとても重視する文化を持っています。アメリカのようにアダプション(養 子縁組)がなかなか一般にひろまらないのも、そういう文化が背景のひとつとしてあるのかもしれません。

一方アメリカは夫婦 関係、ひいては個人の幸せを重視する文化なんだと思います。私なんかは、子供が生まれたら母親は生活を100%子供にささげるのが当然だ、と思ってしまい がちですが(私の母親がそうしてくれたように)、アメリカの文化では「子供がいても個人の楽しみを追求する権利がある」と考え、赤ちゃんを預けて夫婦で遊 びに出かけることは批判の対象ではなく非常に健全なこと、仲の良い夫婦、幸せな家庭の象徴になるのです。

この文化の違いで 私が苦労したのは、夫の両親の家に行くといつも「ベビーを預かってあげるから二人ででかけてらっしゃい」と言われ、食事中に娘が泣いて飛んでいこうとする ととめられ、「あなたはゆっくり食事しなさい、ベビーはそのうち泣き止むから」と言われることでした。私にとっては夫と出かけるより娘といたかったし、食 事より娘を抱っこして泣き止ませることのほうが大事だったので、なかなかつらいものがありました。

一方で日本の実家に帰っ たときなど、同じ状況で私の両親は当然のように「赤ちゃん泣いてるよ」と言い、食事中でも私が席をたってあやしに行きます。泣き止まないのでずっと食事が できなかったり、抱っこしながら食事していても、両親はとくに抱っこを変わろうとはせず(赤ちゃんはお母さんに抱っこしてもらうのが一番よね、という感覚 で)、そのかわり私が抱っこしながら食べやすいように食べ物を切ってくれたり、食事後の後片付けを全部やってくれたりします。

もし私がアメリカ人のお嫁さんだったら、逆に「日本の義理の両親は全然赤ちゃんを預かってくれない」「私は食事もできないで困ってるのに」と、やっぱり悲しくなったかもしれません。

どちらの文化が良い、悪い、という話ではなく、ただ文化が違う、ということです。そしてその違いを理解していれば、どちらの両親もそれぞれ、私に良かれと 思って行動してくれていることがわかります。そこがちゃんと理解できれば、どちらの両親にも感謝の気持ちを持つことができたことでしょう。当時の私はなか なかそこが実感として理解できず悩んでしまったのですが。

ある日、夫と両親がハグしたり、頬にキスしたり、電話を切るとき 必ずI love you、と言う姿を見ていて、ふと、アメリカ人は添い寝をしないけど、大人になると日本の親子よりベタベタしてるなぁ、ということに気づきました。日本の 親子は大人になると子供時代と一転して、あまり体を近づけたりもしないですね。だからといってどっちが余計に愛し合っているという判断基準にはなりませ ん。同じように、添い寝が子供を愛している証拠だとか、添い寝しないから冷たいとは決して言えないのでは、と考えを改めるようになりました。

そうやって全体的な文化の違いまで目を向けてみると、子育てについても、親子の関係を長い時間軸で見て、同時に育児だけではなく背景となる文化全体を考慮し て立体的な視野で考えないといけないな、と思い至りました。「添い寝」だけを取り出して日米どちらの子育てスタイルがいいかを論じることはできません。

1つだけ取り出してもわからない、という意味では「離婚」も同じだと思います。日米の離婚事情を比較すると、ここでも「夫婦重視」「親子重視」の文化背景が深く関わっています。

アメリカの離婚率は日本よりもずっと高いですが、これもやはり個人の幸せを重視した結果ではないかと私は思います。日本では一度結婚したら少しくらい嫌なこ とがあってもじっと我慢して添い遂げることが美徳とされる傾向がありますが、アメリカ流に言うと「なぜ嫌なことを我慢し続けるの?あなたは幸せになる権利 がある!」となってしまいます。それをわがままとか勝手と解釈するのは日本文化の物差しを使っているからで、良い面を見れば、アメリカの夫婦は結婚に対し てより真摯なのだと思います。

夫婦間が冷めてしまったと感じたらセラピーを受けたりしてなんとか軌道修正しようと努力し、 だめだと悟ったら新しいパートナーを積極的に探したりします。日本より夫婦間の愛情に対する基準が厳しくて、その結果たくさんの夫婦が失格となる=離婚率 が高い、という結果になるのでは、と私は分析しています。

しかしこうやってすぐに両親が離婚すると、やはり子供たちは振り 回されます。お父さんとお母さんの新しいパートナーの家を行ったりきたりしている子供は私の周りにもたくさんいるし、学校などでも両親の住所を別々に記入 する欄があるのですが、それも別居している両親が非常に多いことを示していて、日本の感覚とはかなり違います。これは個人の幸せ重視のネガティブな面です が、逆にそのような厳しい基準を乗り越えて、時間の試練を経て深く結びついた老夫婦の仲の良さは素晴らしいものがあります。

私 の夫の両親もそういう一例です。義母の70歳のお誕生日に義父はサプライズパーティを企画し、何百人という人数を全米からホテルの大きな会場に集めて、バ ンドを呼んで、豪華ディナーをふるまって、まるで大きな結婚式をすべて自分で開催するような労力をかけて祝いました。サプライズを知って驚いたときの義母 の表情、それが幸せいっぱいの笑顔に変わり、みんなの拍手喝さいを受けながら義父としっかり抱き合い、すぐ近くにいた私には義父の優しい「I love you, sweetheart」と囁く声が聞こえてきました。結婚してもう50年近くです!いったい何度目の「I love you」なんだろう。血のつながった親子ではなく、他人だった二人が努力して試練を乗り越えて築いた深い絆と愛情に感動して私ももらい泣きしてしまいまし た。

離婚率の高さばかり強調されるアメリカですが、私の義理の両親のような夫婦は、いつまでも配偶者への愛情表現と感謝の気持ちを持ち続けようと努力するアメリカの夫婦の良い例です。

そ してこの夫婦の仲の良さと、子供が生まれたときは添い寝せず夫婦の寝室を大事にする、という文化とは、やはり切り離すことができないのです。添い寝しな かったからいつまでも仲良くできた、という単純なつながりではないのですが、どちらも同じ文化が背景になっているはずです。

一 方日本の夫婦のように個人の幸せなどではなく子供を優先するのも、もちろん素晴らしいことだと思います。アメリカの考えだったら破綻していると思われるよ うな家庭内別居状態でも、子供のために離婚はせずに淡々と共同生活を送り、子供は多感な時期に「新しいお母さん」に会ったりする必要もなく、大切にされて いると感じて成人するかもしれません。アメリカのように「今週末はパパの家ね~」とあちこち移動させられたら傷つく子供もいることでしょう。あるいは、毎 日両親がケンカするより別れて幸せになってくれたほうがいい、という子供もいるだろうし、これは本当に個人次第なので、本当に日米どちらの子供が幸せかは わかりません。

前述したようにどちらが良い、悪い、という話ではありません。ただひたすら「違う」だけ。そしてその違いを私はとても興味深く思うのです。

以上、いろいろと考えさせられたエピソードと私の意見でしたが、今の私の考えとしては、「両方の文化のいいとこどり」

娘 とはお互いが納得するまで幸せな添い寝を楽しんで、たまにはプリスクール主催の「Parents night out」を利用して夫とデート(プリスクールが夜6時から11時まで預かってくれる!パジャマを着せて預け、ピックアップするころはスヤスヤ寝てます)。 娘が大きくなってもアメリカ式にたくさんハグしてキスして、毎日のようにI love youと言い聞かせて育てるつもり!

 

・・・・と、最後は親ばかな締めになってしまいました。 

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4 comments on “夫婦重視のアメリカ、親子重視の日本 – 後編”

  1. そうだね。ほんとに文化の違いだという点は私も同感だけど、離婚が多いのは夫婦を大事にしている、個人重視というのもあるけど、十分考えることをせずに行動する人が多い結果だと私は思っています。長期的に物事を見ることができずに、その場だけの感情に流されて、その時の幸せを追求するあまり、誤った結婚をしてしまい、間違いだと気付いてすぐ、あれは間違いだったのよ!だからしょうがない、と離婚する、というケースが多いのでは、と私は身の回りの人たちを見てよく思います。

    書いているように、そういう中でも何十年も一緒にいる夫婦もたくさんいて、素晴らしい人たちもいますね!そういう人たちだって大変な時期はあったと思うので、ほんとにすごいなーと思います。

    でも、そういう忍耐のある人、きちんと物事を考えてから行動する賢い人、というのはどれくらいいるのかしらねー?と私はよく思います。きっと割合でいくとすごく少ないのではないかしら・・・。

    個人重視もいいけれど、子供たちがお父さん、お母さんの家を行ったりきたり、新しい親、義理の兄弟姉妹、一体どれが家族なのかわからないような状況の中で生きているのを見ると、やっぱり私は子供が犠牲になっているような気がして、親の身勝手で子供に負担をかけているという風に見てしまいます。もちろん、離婚した方が子供にとっても幸せなケースも実際はあると思うけれど。

    自分で決めたことなんだから、少なくとも子供がいるのであれば、その子供がある程度大きくなるまでは日本の忍耐の美徳を見習ってほしいなーなんて私はいつも思っています。(子供がいなければ、責任がないのでいくらでも結婚、離婚してもいいような気はします。)

    と離婚についてだけのコメントでしたー。難しい話題をよく書いてくれてるね!!

  2. Kyokoさん、コメントありがとうございます!
    たしかになーんにも考えず結婚して離婚する人は多いですねー!やっぱり社会全体がそういう現象に寛容なんですよね。クリスチャンが多いはずなのに・・・!?とかも思うのですが・・・
    今回の記事では、手をつないだり仲良さそうにしてるのになぜ離婚率は高いの?という一見矛盾している二つの現象が、実は同じ根っこを持ってるんじゃないかという視点にしぼってみました。
    個人の幸せ重視がよく出れば何歳になってもハッピーマリッジ、悪く出ると何度も離婚を繰り返して子供は振り回される、っていうことかなー。ほんと日本人の忍耐力を学んでほしい、と思うような人もなかにはいますねー 笑

  3. 何か一つのことを一面的に見て、「アメリカはこうだ」とか「日本はこうだ」と言ってしまうことほど、危険なことはありませんよね。
    ありがたい意図を間違って受け止めたら、「どうして!?」とすごく悲しくなってしまうだろうし。そこを埋めるには、やはりコミュニケーションと異文化に対する寛容が必要なんでしょうね。

    私も「いいとこどり」に賛成です。これは外国暮らしをしている自分にしかない選択肢。旦那さんだって、頭ではわかっていても選択することはできませんもんね。
    そして頭をヤワラカクすることって大事だなと、Hanaさんの記事を読んでて感じました。ありがとうございます。

  4. 初めまして、Hanaさん。
    外国に来る事で改めて自分が日本人である事を意識したり、当たり前が当たり前でなくなる事について「どうしてだろう」と考える機会も増えますね。
    夜中に子供が泣いているのにアメリカ人夫に止められ、抱き上げてやれない事を辛く思った日本人お母さんの話を聞いた事があります。自分の事は我慢できても子供の事になったらどんなに辛かったかと想像しました。
    だからでしょうか、日常でのハグやキスと言ったスキンシップは日本の生活よりも多く、子供に対するお母さん、お父さんの役割も日本ほどに分けられていないように感じます。
    また個人の幸せを重視するのは大事な事だと思います。だって自分が幸せでないのにそれに耐えて、たとえ親子でも他人の幸せを尊重するなんて難しすぎます。ただ未成年の子供の幸せは両親に左右されるところが大きいので、その責任は重大だとも思います。
    でも血縁は何があっても血縁、夫婦は他人ですから、それだけ努力していかないといけないとモノなのだと思っています。
    つないでいる手を一度離したら、もう戻って来ない事もあるという事を知っていないといけない。
    私は外国に来て初めて自分の当たり前が当たり前でないという事を実感しましたが、アメリカの人はたくさんの人種の中でそういう事を深く知りながら言葉も文化も成長して来た国なのかと思いました。

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