恐怖の移民局(2002年ごろの話):その2

*前回に引き続き、以下の話はあくまで2002年頃の状況ですので、ビザに関する詳細情報はかならず移民局(USCIS)のウェブサイトで直接確認してください。

crwflags.com

移民局のオフィサーが「Stand up!!」と怒鳴ったのは、それから「国旗掲揚」が始まるからでした。

そう、アメリカの国旗を移民局の建物前に掲げるのですが、旗がするすると柱のてっぺんに向かって上がっていく間、私たちビザ希望者も国旗に敬意を表して立ち上がらなければならないのです。

これってちょっとおかしくないでしょうか。私たちみんな外国人なのに、なぜアメリカ国旗をあげるときに立ち上がらなきゃいけないんでしょうか。別にアメリカ国旗に敬意を示すのはいいのですが、前夜から寒い屋外の地面に寝転んだりしてまともに眠れず過ごしたあげく、こんな威張ったオフィサーに「立て!」と言われてアメリカ国旗を見上げなきゃいけないなんて、なんか屈辱的です。

しかしビザが欲しい私たちはみんな、なんとなく「どうか無事ビザがもらえますように」「オフィサーに目をつけられて変な理由で却下されませんように」という心理状態になっているので、誰も文句を言うことなく素直に立ち上がります。

私なんてお上に従いなれている気弱な日本人なので、さっと姿勢よく立ち上がりました。

が、私のとなりにいたロシア人青年だけが、立ち上がらずにしゃがんだままでした。となりにいたので待っている間言葉を交わしたりしていたのですが、とても礼儀正しくてまじめそうな学生でした。しかし、彼は怒った顔つきのままじっとしゃがみつづけ、ついにオフィサーが目の前に来て「Stand up! You! Stand up!」と直接指差されても動かず、そればかりかいかにも馬鹿にした表情で「ふっ」と笑ったのです。

気弱な日本人の私がとなりでビクビクしているのに比べて、さすがロシア人、権力に対する反感が根強い??などとちょっと考えさせられた一件でした。

けっきょくロシア人青年は立ち上がりませんでしたが、とくにそれで入館拒否されることもなく、国旗掲揚は終了。

やっと入館のためのセキュリティチェックが開始されました。さっそく何かまずいものを所持していた(飲みかけの水のボトルとか)人がひっかかり、押し問答のあげく外に放り出されていました。事前に情報を仕入れていた私は準備完璧です。だいたい日本人はルールがあればそれに従うのは得意。何も言われないうちからさっさとベルトをはずし、靴を脱いでスキャン用の箱に手際よく入れていく私に、威張っていたオフィサーさえスマイルを見せてくれました。

まずは受付のラインに並び、書類を見せて、用件別に番号札をもらいます。番号札をもらったらとなりのもっと広いスペースに移動し、電光掲示板に番号が表示されるのを待ちます。

準備完璧だった私は受付しながら「順調、順調」と安心していました。受け付けてくれた女性が私の書類にさっと目を通しながら、「オハイオで就職?あなた、もう引っ越したの?」と質問したときも、深く考えず「はい」と答えてしまいました。後にこれが致命傷になるとは思いもせず・・・。この受付の女性がミネラルウォーターのボトルから水をごくごく飲むのを見ながら、「私たちには飲食厳禁と言っておいて目の前でこんな水を飲むなんて何よ~」と考えたりしていました。

*ちなみにトイレの前にウォータークーラーがあるので水は飲めます。赤ちゃんのミルクなどスペシャルケースは許可されるようです。

さて、番号をもらって座って待っている間に、隣に座った台湾人の女の子と話がもりあがったりして、けっこう楽しく過ごしました。ところが話が盛り上がっているところに、また威張ったオフィサーの怒鳴り声が響きました。

「皆さん、皆さん!話すのをやめてください。皆さんの声がうるさくて処理が進みません。しゃべらず静かに待ってください」

このときのオフィサーの言葉に「Please」が入っていたので、「話すのをやめろ!」とは訳せないのですが、しゃべり方としては非常に命令調でした。最後に念を押すように「Okay?!」と言ったのも生徒を注意する先生のようだし、「皆さん」を「Folks」と言ったのも、ちょっと見下した言い方じゃないかと私は感じました。

長い長い時間待たされるのに、しゃべらないで静かに待てと言うんでしょうか。アメリカの病院で、市役所で、運転免許試験場で、人々が待ちながらしゃべっていたからってこんな言い方されるでしょうか?今思い返しても、このときのオフィサーは移民を相手に威張りたかっただけなんじゃないかという気がしてしかたありません。ビザが欲しくて下手に出ている移民相手に自分の(ささやかな)パワーを楽しみたいというか・・・いろいろな外国語があちこちでわーっと話されている状態に嫌悪感があったのかもしれません。

大体「処理が進まない」と言うのですが、10箇所以上ある窓口のうち、人が座っているのはたったの3箇所。その場に待っているのは100人近くの人々。毎日、毎日、これだけの人々が真夜中から並んでいるんだから、スタッフの数を増やせばいいのに、たったの3人しかいないのが「処理が進まない」本当の理由じゃないか、と私は思いました。

人が大勢待つオフィスの中はしーんと静かになりました。そしてしばらくして、私の番号が呼ばれたのでした。

聞いていた情報では、番号が呼ばれて、いろいろ質問をされて、また数時間待たされるので、その間に手にスタンプを押してもらってランチを食べに行ってまた戻ってくる、そして仮のカードを発行してもらう、という流れになるはずでした。

ところが・・・

私が窓口にたどり着くかつかないうちに、カウンターの向こうで怒った顔のオフィサーが怒鳴りだしたのです。「なんだこの書類は!!オハイオじゃないか!なんでオハイオの書類がカリフォルニアにあるんだ!」

私はあわてて説明を始めました。「私が卒業した大学院はカリフォルニアで、ここが管轄の移民局オフィスなんです。ずっとカリフォルニアに住んでいて、数日前に引っ越し・・・」

言い終わらないうちにオフィサーはまた怒鳴りました。「関係ない!オハイオだ!オハイオの移民局オフィスへ行け、ここは関係ない!」

そして私の書類をポーンとその辺に投げ出すと、窓口のスライドドアをぴしゃ!としめてしまったのです。そのドアの向こうでまだ「まったくオハイオの申し込みがなんでこっちにあるんだ・・・まったく・・・」と怒っている声が聞こえました。

私は一瞬、凍り付いてしまいました。カリフォルニアの大学院を卒業した場合、勤務地に関わらず学校の管轄のオフィスでいい、と大学院のOPT申し込み担当者にも確認済みだったのに・・・。もしオハイオの移民局に出向いたら、今度は大学院がカリフォルニアだからうちじゃない、と言われてしまいそうな気がしてきました。信じられない話かもしれませんが、アメリカでは同じ組織の中で人によって言うことがバラバラ、っていうのはしょっちゅうあることです。仮にオハイオ申し込みがうまくいくとしても、すでにオリジナルの書類をカリフォルニア移民局に送付済みなので、その書類をオハイオにトランスファーしなければならない、そんなの移民局の仕事ペースでは何ヶ月かかるかわかりません。

そして入社日は3日後!!絶対間に合わない!

無理にでもスライドドアを開けて、強気で交渉にでるべきか?数秒間迷いました。が、すぐにその気は失せました。勝ち目がないのは分かっていたけど、それ以上になんだかもう頑張ってアメリカにしがみついて就職すること自体が嫌になってしまったのです。このときはちょうど、以前の記事で書いたように、運転免許をとらなければならないプレッシャーを会社からもかけられて、毎日不便で、まだホテル暮らしで、ストレスが積み重なって本当に弱っていたのです。

なんだか投げやりな気持ちになると同時に、「この人、夜はどんな気分で眠るのかしら?」って思いました。英語で”How can you sleep at night?!”っていう表現があるのです。すごく性格が悪い人、ひどいことをしている人に対して、「そんなことして、よく夜眠れるわね。普通は罪悪感で眠れないんじゃないの?」っていう意味で投げつけられる質問です。

こんなふうに、毎日、毎日、訪れるビザ申し込みの外国人に対して、威圧的に一方的に乱暴な言葉を投げて、ぴしゃりとドアをしめて、ぶつぶつ文句を言って・・・夜は普通に眠れるの?!って思ったのです。

でも、その質問を投げるかわりに、私は最高の笑顔を作って「Thank you, officer! Have a nice day!」ってフレンドリーな声で叫びました。

少なくとも私はあなたみたいなレベルの人間じゃない。入社が2日後にせまっていて、ビザ発行を断られて、途方にくれるしかない、もしかしたら就職も取り消されて、そしたら帰国するしかない、そんな立場の私だけど、あんな態度で毎日仕事をしているアメリカ市民よりずうっと人間的なレベルは上。そんな気持ちをこめて叫んだ一言でした。オフィサーは反応しなかったので、聞こえていたかどうかわからないけれど。

そのあとは、ただ出口に向かって歩くしかありませんでした。飛行機でオハイオから来て、ホテルに宿泊して、深夜3時から並んでやっと入館したあげく、何も得られず帰るしかない。本当に何もかも嫌になってしまって、タクシーを待ちながら少し泣いてしまいました。

そういうわけで、入社が3日後にせまっているのに仮のOPT証明がとれなかった私が、次にどうしたか・・・

次回に続きます

 

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2 comments on “恐怖の移民局(2002年ごろの話):その2”

  1. こんな良いところで!!笑

    2002年と、ちょうど移民局がピリピリしてる時期だったんでしょうね。
    今でもまだ「外国人相手」と見くびったような態度はあるものの、ここまでひどかったなんて知りませんでした。なんだか犯罪者扱いですよね。
    場所によって、人によって、言うことが違うの、本当にイライラします。マニュアル読め〜!

    私自身のビザプロセスも、怖い話などを周りから聞いてから臨みましたが、そこまでひどい体験はしたことがありません。タイミングでしょうか。

    続きが楽しみです。

  2. Erinaさん、お返事おそくなってしまいましたが、ビザに関する恐ろしいうわさはたくさんありますよね。

    やっぱり2002年っていうタイミングと、カリフォルニアっていう場所柄かなー。
    留学生時代のアメリカはいつも「ウェルカム!」と両腕を広げている感じだったけど、就職してからは一気になんとか入ろうとするのを拒まれている感じに変わりましたね。

    それでも一歩一歩進んでいけばいつかは受け入れられるところが移民の国アメリカですが・・・最初から移民というシステム自体存在しないような国もありますものね。

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