アメリカの子育て ~ Hana編

今回はリレー形式で「子育て」というテーマに沿い、アメ10ブロガーがそれぞれの思うことを記事にしてみます。一回目は私、Hanaです。

他ブロガーの記事はこちら

——————————–

アメリカ生まれのうちの子供は月曜日から金曜日は地元のプリスクール、土曜日だけ日本語の幼稚園に通っています。

土曜日の日本語幼稚園は日本の文部省が日本の学校として認めている小学校の付属幼稚園なので、とても本格的。日本の幼稚園をそのまままるごと移動させてきたかのようです。

この二つの幼稚園の間を行き来しながら、私はいつも日本とアメリカの違いをしみじみと感じて興味深く思っています。

こんな小さいころからこうやって違う育て方をされるんだから、違う国民が出来上がるわけだよなぁ、なんて思います。

たとえば日本語幼稚園では、朝、園児たちはみんな自分の席にすわり、「お当番さん」のかけごえで「起立」「礼」、一斉に「せんせい、おはようございます。みなさん、おはようございます。」

小さい頭をぴょこんと下げて、元気な可愛い声がひとつに重なって同じ挨拶をします。

この挨拶、私も自分が幼稚園のときにしていたことをなんとなく覚えています。

これがもうほんとにまさに日本!の幼稚園ですね。

アメリカの幼稚園ではこんなふうに掛け声をかけて、一斉にみんなで同じ言葉で挨拶をするっていうことはありません。

朝の風景といえば、適当に到着した順番に「Good morning!」「Hi!」と先生と園児たちが声をかけあって、自分の持ち物をCubby(子供一人ずつにスペースがわかれている棚)に入れたら、すぐそのへんで遊びだします。

始業時間になると先生の「Circle time!」などという掛け声でフロアに直接円を描くようにすわり、その日のアクティビティが始まります。当然、決まった席順などありません。

日本ではこの「規律正しさ」が非常に重んじられ、「みんなと同じように」「足並みそろえて」「決まった挨拶がきちんと」できることがとても良いことだと教えられます。

アメリカでももちろん、朝の挨拶はとても大事。でも言い方が決まっていることもないし、一斉にびしっと姿勢を正して言うように教わることはない。元気に笑顔で挨拶できればOKです。

ランチタイムも同様で、みんながちゃんと席につくまで食べないで他の子たちを待って、そろってから「お背中ぴん!ご一緒に。いただきます」と手を合わせる日本の幼稚園に対し、「ランチターイム!」と先生が一声かければ子供たちは「わーっ」と喜んでそれぞれのCubbyにランチボックスを取りにいき、適当に好きなところに座って、それぞれ勝手に食べ始めるアメリカのプリスクール。

こうやって小さいころから日本人は「みんなと足並みそろえて」「まわりと同じ」としつけられて、何をするのも周囲の様子を伺ってから・・・という習性が身につくのかもしれません。

2年前の地震災害時に日本人がきちんと規律正しく列をつくり、暴動を起こすことなく食べる順番を待っていた、ということが世界中で報道され「素晴らしい国民性」とたたえられましたが、これはやはり幼稚園のころから「ご一緒に!」といい聞かされた教育の賜物なのかもしれません。

同時にアメリカの、子供とはいえ個人を尊重してそれぞれ好きなところに座って好きなように食べて良いとする教育が、個人のIndependencyを推進し、「周囲の意見にとらわれず自分の主張がしっかりできる」という国民性を生み出すのでしょうか。

どちらにも美点があって、どちらが間違っているとか正しいという話ではないのですが、私が最近ときどき「大変だろうなぁ」と思うのが日本で子供を育てている若いお母さんたちのことです。

日本人は「周囲と足並みそろえて、人に迷惑をかけないこと」と子供のころから教え込まれて、とにかく人に迷惑をかけまいと気をつけ、外出先ではたとえ何も言われなくても「私、迷惑かしら・・・」と推測しながら気を使って生活しています。

この「気遣い」「思いやり」という美徳と表裏一体の存在として、「気遣いのできない迷惑な人は思い切り非難してよいのだ」という社会的コンセンサスがあるのではないか、と最近私は思っています。

そのようなコンセンサスがある社会では、小さい子供をつれたお母さんは非常に弱い立場に置かれます。

子供というのは、大声で叫んだり走り回ったりするのが当然の生き物です。それが自然の姿なのです。乳児や幼児が何時間もずーっと声もあげず、いい子でじっとしていたら、そちらのほうが異常で問題です。

この当たり前のことを大人は忘れてしまうのか、それとも、子供を連れて反撃することのできない母親に日ごろの鬱憤晴らしをするのか、たとえば電車の中で泣き止まない赤ちゃんを連れて途方にくれた母親に対して、「この人は周囲に迷惑をかけている=非難されてもしかたない」とばかり、容赦なく冷たい目を向けるのです。

泣く子供じゃなくて、泣かせっぱなしの母親を非難しているのだ、とする意見もあります。

たしかに、騒ぐ子供に対して何一つ努力しない母親が近くにいたら、同じ母親である私だっていらっとくるかもしれません。

そんな母親は迷惑。そのこと自体は、アメリカだろうと日本だろうと同じ。

でも、アメリカでは(少なくとも私が住む地域では)、日本ほどその「迷惑な人」に非難が集中しません。

なぜかというと、全員が日常的に迷惑をかけあってるからです!!

迷惑な人がいても、自分だってそんなほめられたもんじゃないしね、私だって適当だしね~、まあお互い様。言葉にすればそんな空気が漂っています。

アパートの修理を頼んでも業者が時間通り来たためしがなく、バスは時刻表なんて無きが如し、保険会社はしょっちゅう間違った金額を請求してくるし、スーパーのレジでは後ろに誰か待っていても平気で世間話を長引かせるし、DMV(免許センターみたいなところ)や移民局など政府系の従業員の態度はありえないくらい悪い。

こういう社会で一人、日本人の美徳を期待していてもストレスがたまるばかり、そして自分が日本人の美徳を守って「人に迷惑をかけてはいけない!」と頑張っていても(もし頑張っていたら素晴らしいことですが)、空回りするばかり。(そんなこと誰も気にしてないよ~!Don’t worry!!と言われてしまう)

大雑把でいい加減な(よく言えば寛容でおおらかな)人々に囲まれて、自分も少しずつ適度にいい加減になってきます。

期待しないかわりに、自分もキリキリ緊張しなくていい。アメリカ社会に慣れてくると次第にちょうどいい適当加減がわかってきて、ふと母国に目を向けると「何をそんなに完璧を求めているの?」と不思議になってくる。

そして、そんないい感じにリラックスした感覚で日本の電車内の光景を思い浮かべると、「いいじゃない、泣く赤ん坊くらい・・・、What’s the big deal?!」って思ってしまう。「無防備な新しい命に、どうして寛容になれないの?必死に子育てしているお母さんを助けてあげようと思わないの?」とつい問いたくなってしまう。

いいじゃない、ちょっと会社に遅刻するくらい。いいじゃない、別に時間通り電車が来なくても。カスタマーサービスが最高レベルに愛想よくなくたって。みんな人間なんだから、気分がのらない日だってある・・・。

自分が迷惑をかけまいとキリキリするのをやめたら、他人にも寛容になる。

「子供がうるさいから降りてください、と電車の中でOLに言われて、親子が実際に電車を降りた」という記事をどこかで目をしてから、「日本人はどうしてそうなってしまうのか?」と考え続け、子供のプリスクールと日本語幼稚園での様子を見ているうちにこの記事を書くことを思いつきました。

二つの文化を行き来しながら育つわが子には、日本の美徳もしっかり学び、自分のルーツを誇りに思いながら、同時に多様な文化を内包するアメリカ文化の中で多角的な視点を持つ大人に育ってほしいな、と願っています。 

Visited 32 times, 1 visit(s) today

2 comments on “アメリカの子育て ~ Hana編”

  1. 私もアメリカの学校で育つ自分の子供たちを見て、「あぁ、この子たちは、『起立、礼、着席』ってやることはないんだな~」となんだか切なくなりました。良い悪いではなく、違う環境の中で育つってそういうことなんですね。

    世界から評価される美徳も、同じ文化の中の人を苦しめたり傷つけてしまう。
    それは日本だけじゃないかもしれないけど(きっとアメリカはアメリカであるはず)、そういう辛い思いをしている人を無視しちゃいけないんじゃないかなぁと私は思います。迷惑だからって、その人を傷つけて良い理由にはなりませんよね。
    いっぱいいっぱいのママに、「良いの、気にしなくて大丈夫。」って言ってあげられる人になりたいですね。

    電車のエピソード、もしアメリカで同じことが起こったら、「嫌だな」と感じる人が降りそうですね。周りの人たちも「嫌ならあなたが降りたら?」って平気で言いそう。

  2. 私も、アメリカだったらみんな黙って見てるてことはないだろうと思いました、いい意味でも悪い意味でもね。
    基本、いきなり知らない人に話しかけるっていうのが普通だから、そういう文化を背景として、「手伝いましょうか?」と声をかけるのに抵抗がないし、同時に迷惑だったら「ちょっと、それ迷惑だからやめてよ」と声をかけるのも抵抗がない。
    きっとアメリカだったら(電車で通勤っていうのは限られた大都市の一部だけだけど)、「降りる必要ないわよ」ってお母さんをかばう人もいただろうし、「ほんと迷惑だよ」と言い出す人もいただろうと思います。
    私も絶対アメリカスタイルがいいとは思いません。なにしろアメリカではいきなり銃で撃たれるかもしれないし、それにくらべたら電車で非難されるくらいなんでもないですし。ただ「自分の意見と思っているものが実は文化的バイアスがかかってるかもしれない」と常に検証していたいなと思います。アメリカ人でもなく日本人でもなく、人間としてそれは正しいことなのか、自分はそういう人間でいたいのかどうか。難しいですが、常に自分に問いかけたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です