「行ってから踏ん張んべ」(2)
タコマに到着後、すぐに向かったのは、とりあえず活動資金を預けるための銀行。
市街中心部を車で走り抜けると、両側に色々な銀行が点在している。その中から「まぁまぁな規模」という「KeyBank」を選択。
銀行口座の開設窓口で、(分からないのでアドバイザーに通訳してもらいつつ)色々と説明を受けつつ書類にイニシャルとサインをしていく。
当時、僕の「無知さ」「準備の悪さ」というのは半端なく、「本日はおいくら預けますか?」という質問のところでは、間違えて「ワンミリオンダラー…(百万円と勘違い)」と言うわ(周りにいた銀行員がみんな僕のほうを見てました)、リュックサックから渡米前にCitibankで換金した「$10,000」分の札束を取り出すわ(空港で申告し忘れたので、本当は違法)、とにかく滅茶苦茶でした。
次に向かうのは、学校を通じて予約したホストファミリー宅。
当時、コミュニティカレッジ数校に出願すると色々な書類と共に「学校周辺のアパート・ホストファミリー」の連絡先一覧が郵送されてきたものです。
英語を喋れようが喋れなかろうが、「日本を出発する前にアメリカでの滞在先を生徒が個々に見つける」というのが常だったような気がします。
諸々の段取りと同様、姉の手助けでホストファミリーは確保。ただ、これは今でも「当たりはずれ」があるのはご承知のように、ほとんど賭けのようなもの。
今回お世話になるホストファミリー宅に到着すると、出てきたのは若い夫婦。旦那さんは全身迷彩服で登場するわ、握手がガシッと固くて痛いわ、ドーベルマンが「伏せ」しながら近くで唸ってるわ、この夫婦二人とも見上げるほど身長高いわ(ちなみに僕は身長180cm)、全然笑わないわ…
いきなり若干腰が引けてました。
いわゆる軍人らしいハキハキした英語で「ここがタツヤの部屋だ」と通されたのは「屋根裏」。「アメリカの一軒家の屋根裏」と言えば所謂「日本にある一軒家のリビングルームのような広さ」を勝手に想像していたが、「ここに住めってのか?」という、彼らの荷物も山積みになっている本当に真っ暗な屋根裏。
三角屋根の真下に位置するため、天井が非常に低く頭をぶつけながら自分の荷物(スーツケース2個)を運び入れる。
湿気た匂いとホコリが舞う室内に、「う~む、これはちと非常に居心地が悪い」と困ったが、この気持ちを伝える英語力はなし。
だいたい、「もう少しゆっくり話してくれますか?」をカタカナ英語で言う勇気も、「もう一度言ってくれますか?」と聞き返す勇気もない。
とにかく理解できないから、ひたすら苦笑してうなずく小心な自分が情けない。
一通り説明を受けた後は、初めての晩御飯。内容は非常に雑に炊いたのであろう所々が固いべチャべチャな白いご飯、缶詰めの豆と、味気のない鶏胸肉のみ。
「さぁ食べて」と言った後、無言で塩コショウをバッバッバッバと振りかけ続ける二人に驚きつつ、とりあえず一口。カチャカチャとナイフとフォークが食器に当たる音のみが広がる無言の食卓に食欲が失せていく。
「おかわりもしてね」と言ってくれたが、「こんな不味い物、食べたことない」というご飯。丁寧に「ノーサンクス」とひたすらお辞儀。
このアメリカ滞在最初の夜。「行ってから踏ん張れば良いんだよ」と言ってくれた姉の言葉が頭をよぎる。
すでに「行ってから…」が始まってしまった今。「英語、ほんとに限りなくゼロなのに、どうやって勉強しようか」という「これからの自分」に対する緊張と不安、時差ボケで眠れずベッド内でガサゴソと寝返りを打ちながら、月明かりが差す自室(屋根裏)の窓の外に広がる「アメリカの街」を見ていた自分。
ため息混じりに目を閉じた瞬間、窓の外に「パーンパーン」という音が鳴り響いたのでした。
はじめまして~。
Tatさんのブログ、文章からパワーと勢いが感じられて元気が出てきます!
今年からウィスコンシンのcollegeに来ました。
将来に不安もありますが、このブログを読むと、
皆さんのように早くアメリカに馴染みたいな~がんばらなきゃな~と思えます。
今後の更新も楽しみにしています!
あ~どうも~
今年からですか。慣れてからが楽しくなるはずなんで、踏ん張ってくださいね。
将来笑顔で今の自分を振り帰れるように。
本当、今だから笑えるんですけど、この日があったからこそ、今の自分たちがいるんですよね。私も覚えてます。
それにしても屋根裏部屋って・・・・冬は寒そう。
ホストファミリーが不慣れだと、お互いに居心地が悪くなったりしちゃいますよね。そう意図したわけじゃないのに。
相手が外国人だという理解を広めることは必要ですね。
お邪魔しまーす!
じっくり読ませてもらいましたぁー。私も短いながら高校時代に1年半ほどシアトルにいました。
当時こんな素敵な情報blogがあればどんなによかったか。
2○年前はblogどころかパソコンすらあったのか怪しい時代です。うゎー大昔の(;_;)振り返ると記憶は
は意外と鮮明なんですが。。
あっ、途中でコメント送信押してしまった(^^;
続きますね、勿論英語力なしで行きの飛行機の中で呪文のようにナイス トゥ ミートゥ ユーと唱え続けホストファミリーにやっとの思いでスクラッチ気味に挨拶を終えた後、きがついたらホストファミリーの家のベッドでした。緊張のあまりに失神したんですね。情けない。初めての海外、しかも1人の16才の女の子でしたから許してくださーい!でも当時今みたいにスマホとかでなんでも情報やコンタクトがとれたら失神なんてしなかったかも?
これから海外に行く人の為に情報を発信し続けてくださいね♪
りょ~ちゃん、
マジで事前に挨拶の練習するのも何か先が読めなさ過ぎて、あの経験はもう二度したくないわ(苦笑)。
てか、事前の段取りは全部電話。航空券の予約も電話。現地到着しても電話。しかも公衆電話から。しかも遠距離の通話料。
あれをくぐり抜けたら、そりゃ成長します。てか、変な根性はつきます、て感じか。
エリナさん、
いや、お互い本当に不慣れ過ぎたので大変でした。結局直後にホストファミリーの変更を希望して、他のお家に移ったのですけど。