H-1Bの転職:大学職員の場合(上)

現職場「Friends University」にて復学し、「Global MBA」課程での学生生活再開から、いよいよ卒業という一年(2014年)。

どこの企業や高等教育機関でも起こりえる話だが、3月にトップが退く

すると、(経営陣が変わると仕方ないのだが)周囲にリストラ風が急に吹き始める。

なにやら役員組織が学校運営の方向転換を図りたいらしい。そんな噂が耳に入る。

 

「一応営業目標とされる数字はクリアしているし、まぁ大丈夫だべ。」

元々「好きなこと『音楽』ができる環境」を求めて米国に滞在している感覚が強く、決して上昇志向ではない俺。超競争社会で、労働法も労働者保護ではなく「解雇の自由」の色合いが強い米国でも、のん気に構えつつも、一部経営陣とは距離を置き始める。

 

そうかと思うと、遠かったはずの「風」が、嵐として急接近。

自分の目に入る範囲で影響を見かけるようになる。

 

一度このピリピリした空気が漂うと、反応は二つ。

 

やめたくない。

やめたい。

 

契約内容にて守られている教授や幹部達は除き、我々「ヒラ」職員達は通常選択の余地はない。マサさんも以前記事にしているが、猶予が与えられる場合はまだマシで、ほとんどは当日に告知され(ウチは金曜3時頃が多いと言われる)、荷物を詰めたダンボール箱を抱えながら、人事のお偉いさんと警備員がキャンパス外(または駐車場)に先導される。

大学という職場であっても、そんな光景をかなり見た一年。

予兆は必ずあるものだが、人間どこかに「俺が切られるわけがない」という驕りもある。大体がぎこちない最後のお別れとなる。

 

一方は長きに渡り燻ぶっていたストレスに気持ちが途切れる場合。

「ヒラリー(Hilary)が退職届を提出した」と同じ部署の他の仲間から非公式のメールを受け取ったのは、修士課程の課題、海外インターンを北京でしていた7月第一週。ちょうど「米国独立記念日(7月4日)」連休明けの出来事である。

部署内では一番息が長く、まだ若いのに人望も厚かった彼女。最近特に風当たりが強くなっていた中、ディレクター補佐として周囲を引っ張っていたが、(リストラで少なくなった頭数を補うため)休日出勤、連日連夜の残業を一年以上続けて駆け抜けていた最中のこと。

なにやら、その連休中、久し振りに帰省しゆっくりしていた時に突然「あ、やめよう」と初めて思ったらしい。その瞬間に急に脱力感に包まれ、オフィスに戻った朝に「Two weeks(所謂「退職届」の意味)」の提出に至ったらしい。

 

時々「愚痴会」としてヒラリーとサシで食事を共にしていた自分。

そのメールを受け取り読んだ瞬間、何とも言えない脱力感に襲われる。

 

北京から戻り再会した時には、「なぜ?」ではなく「まぁ本当に物凄く頑張ったから、ゆっくり休んで」と言ったら、涙目でハグされた。

 

そうこうして迎えた秋。

新しい学生がキャンパスを彩る季節。

「あ~、やはり学校はこうでなくっちゃ。」

 

若干不足した人数で、回す仕事量は同じ状況。

「タツヤ、これもやってくれないか。」

ボスから通達を受ける。今までの留学生向け以外に国内向け広報も任される。

「ただ、人事から『現時点では正式にタツヤの仕事という扱いにはしないで(給料等の条件に変化発生するため)』と言われてる。」

まぁどこでもある話か、と「仕事があるのはありがたいこと」と素直に引き受けるが、凄ぇ作業量。

 

この国内向けの広報というのが、また「フルタイムのスタッフ一人分」の作業なのである。

 

まだまだ猛暑の中、小用のため、キャンパスで一番仲良いアンドリア(Andrea)のオフィスに向かう。

歴史・文化学に長けていて留学生担当しながらキャンパス内での心理学カウンセラー兼ディレクターでもある彼女とは(学生二年目から)かれこれ5年以上の仲。歳も近く、親友であり同志であり、やはり愚痴会仲間。

 

「へーい。」

ドアが開いている彼女のオフィスにちょこっと顔を出すと、携帯を手にしながら立ち上がる彼女。オフィスに入るように、こっちに手を振ってる。すぐ電話を切った彼女はタメ息まじりに俺の顔を見ながら首を横に振る。

「ちょっと座って座って。ちょっと考えないといけないことがあって、ちょうどタツヤに相談の電話入れようと思ってたの。」

ドアを閉めながら、いつもの満面の笑顔は無く、若干神妙な面持ちのアンドリア。

 

ア「(最近空軍を無事満期で退役した旦那)トミーが仕事のオファーを貰ったんだけど…」

俺「えー、おめでたいじゃん。」

ア「ただ、その仕事、赴任先がイタリア・シシリー島なの。」

 

ん?

一瞬、彼女が言おうとしていることがピンと来ない。

 

俺「えーと…」

今度はお互い神妙な面持ちになりながら、言葉に詰まる。

 

ア「(まだ二歳の息子)ジェイクや家族のことを考えると今一緒に行くのが当たり前だと思うんだけど…」

 

米国空軍での任期を全うしたトミー(一定年数を過すと引退という扱いを選択可能なのだとか)。これまでずっと単身でイラクやアフガニスタンなどに赴任してきた彼。

これまで自分の仕事を大切にしてきたアンドリア。

何かと言うと会話を交わして、メールして、テキストして、愚痴を吐き合って、相談し合って、笑い合ってきたアンドリアと自分。

 

ただの友達とは言え、今まで「居て当たり前」だった存在がいなくなるのは寂しい。

 

ま、それが現実か。

一息置いて口を開く。

 

 

俺「今まで何箇所か日米行き来してきたけど、俺はずっと出発する側だったから…」

少し間を置けば、何か言える気がして言葉を選ぼうとする。

 

いかん、全然浮かばん。

頭真っ白。

 

ア「私、家族ほぼ全員カンザスだし、今の家でジェイクが大きくなるって想像してたし…」

俺「イタリアなんて考えただけで、凄い楽しいはずなのに、いざ引っ越すとなると複雑な気持ちになるね。」

ア「最初は『イェーイ、ワイン三昧』とか笑ってたけど、よく考えたら今あるこの景色と環境と何年間もお別れなんだな、て考えたら…」

 

目頭が熱くなってきたのか、顔が赤くなってきた彼女。

 

なんか思いついたことを言う。

俺「でも、イタリア、行きたいとか住みたいとか思っても中々できないよね。しかも海外駐在員てお給料良いんでしょ?」

ア「…うん」

 

ちょっとふき出しながら、目元を拭い少し笑う彼女。

 

俺「あー、じゃ、もぉ俺もどっか行こうかなぁ。」

ア「そうだよ、タツヤもヨーロッパに転職しちゃえ。そうしちゃえ。」

 

 

サンクスギビング(11月末)まではいるし、まだ詳細を詰めなきゃいけない状態だから周囲には漏らさないように口止めされる。その後、話題を変え、小用を無難にこなし、彼女のオフィスを後にする。

 

「あと三ヶ月もないな。」

キャンパス内の芝生を見ながら、ふと考える。

 

「俺が最初留学した時、お母さんとかもっと寂しい思いに駆られたんだろな…」

(だいぶ感じが違うかも知れないが)たぶん去られる側は状況は何であれ、こんな感覚なのだな。

 

その数日後、近年は恒例である九月の帰省のため、ウィチタを発つ。

毎回本当に多くの幼馴染み、その他友人達が貴重な時間を作ってくれる。

今年は、「親の体調が優れない、親父が末期癌、、実家の処分、誰それが肝炎」などなど、段々と「年頃な話題」が以前の「軽いもの」から「重いもの」になったが、それでも楽し過ぎて名残惜しさに包まれる。

 

「お母さん、どこも痛いところない?」

帰省中、こう聞きながら、たぶん実は「帰ってきたい」理由を探しているのは自分であることに少し気付く。

 

「もう帰るか。」

日本への転職が頭を過ぎる。

 

現在38歳。

「年齢を考えると今しかないな。」

友人達との飲みの場なので、場が場なだけにカジュアルだが、内心結構真剣に相談し聞き入っている自分がいる。自分がさらけ出すと周囲でも結構同じような葛藤に苛まれているのがいる。そして、また実際「アラフォーだし、最後の転職よ」という転職組がいたりするものだ。

 

「とりあえずは先ず、修士課程を終わらせる。」

9月末にウィチタに戻ると、変則的に開始した課程は、残り一単位で修了予定。時差ボケのまま、自分のオフィスで仕事をしつつ、最後の課題をこなす。

同時に、LinkedInとは別に、日本の友人達から勧められたように、DODA、ビズリーチなど就職サイトに登録してみる。

サイトから自動送信される募集やら、リクルーターからの営業が来るが、どれも何かピンと来ない。

 

二ヶ月くらいご無沙汰だったヒラリーから軽い連絡が入る。

元気らしい。

 

10月中旬、アンドリアがいよいよ正式に退職願を提出する。

「結局、二年間の予定なんだけど、その後どうなるから分からないから、家も車も全部売却して、さっぱりして行くわ。マジ面倒くさい。」

いつもように笑いながら報告がくる。

 

日本の友達と同様、米国の友達の一部も変化を迎えている。

ふむ。

 

10月20日。

秋休み明けの生徒達とチラホラを話していると、仕事の携帯にメール受信。開くと、「KIE Email: Openings(求人情報)」という題名。

 

米国には、全米・地方・州ごとに色々な物事を取り仕切るの高等教育機関が点在する。大手だと、国際機関である「NAFSA」。カンザスにも「Kansas International Educators(KIE)」という、州内の四年制・二年制大学の留学生・国際業務担当者が所属する機関がある。

この手の機関は定期的に(主に移民法の変更などの)情報を送信するのだが、通常「求人情報」が占める。

何やら、今回はお隣「Wichita State University(WSU)」の件。

 

「あらま、どんな職だろ。」

生徒が立ち去った後、メールを開き詳細を読み入っていると、すぐにアンドリアから電話が来る。

 

ア「ちょっとちょっと、KIEのメール見た?WSUの奴、見た?タツヤ、ちょっとすぐ見たほうがいいってば。」

俺「ん、今読んでる。てか、何か『WSUの卒業生である』て希望要件以外、全部『俺』に一致してんだけど(笑)。とりあえず応募してみるしかないかしら。」

ア「とりあえず、ね。失うモノもないっしょ?何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってね。」

 

当日、自分の作業が完了した7時頃、またKIEメールを読み直す。「International Admissions Advisor」という、現職とほぼ同じ「広報」の職柄。海外出張が多く、より「広報」色がより強い。

 

「てか、これ、外国籍でも応募可能なのか?」

先方の問合せ先に確認メールを発信する。

 

どっちにしても備えあれば憂いなし。カバーレター(挨拶文、志望動機)、レジュメ(経歴)、レファレンス(推薦人)を書かないとな。

 

普通に面倒臭いな。

 

まず、レファレンス頁に載せたい人達に「載せても良いですか」と依頼メールを発信。

その後、レジュメに最新の経歴を書き足し、軽く添削・更新開始。

俺の場合、今回応募する仕事に関連する経験が少ないので(汗)、主に「Friends University」での経歴をまとめ、「全部で3ページが妥当」と添削(てか情報を収めるためにフォーマットをえっちらこっちら編集)を繰り返していると夜11時を過ぎてしまう。

 

現職場でも求人募集をかけると一週間以内に軽く100件以上の応募が全米から来る昨今。

今や有名州立校である「WSU」ならばより厳しい競争率になるだろうな。

 

「応募は、慎重に早く」と心構え、とりあえず勢いのある内にオンライン応募くらいは済ませたい。

WSU

翌日は早朝から泊まりの出張だが、そんなこと言ってる場合ではない。

もう少しいじるか。


つづく。 

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