Thank you と Please
アメリカで子供が言葉を話し始めると、親は「Thank you」と「Please」が言えるようになるまで熱心に教えます。
日本でも「ありがとう、は?」「ちゃんとありがとう言えたの?」と親が教える光景はよく見ますが、「Please」に相当する日本語はすぐに思いつきません。
そのかわり「ごめんなさい」が言えるように気をつける親が多いのではないでしょうか。
まだまだ善悪の判断がつかない小さい子でも、お友達のおもちゃを取ってしまったときなど「ごめんなさい、しなさい!」なんて親が言ったりしますね。
もちろんアメリカでも「Say I’m sorry!」と子供にうながしますが、「Thank you」と「Please」に比べるとやや定番度が落ちる気がします。
日本人はよく「I’m sorry」を言う国民だと言われますが、子供のころからこんな風に違いがあるのは興味深いです。
さて、「Please」のほうですが、子供が親に何かを頼むとき、このPleaseを言わないと、親が子供に「What’s the magic word?」などと聞いて、子供が自分で気がついてPleaseを言うまで待ったりします。
他の言い方としては、「How do you ask?」とか、「A word is missing!」など。
率直に、
子供 「I want milk!」
親 「Please?」
子供 「…please!」
と促したりすることもあります。
Please という言葉はとても重要なので、子供が
「Can I have milk?」
と私には十分丁寧だと思えるような頼み方をしても、まだ促されて、
「Can I have milk, please?」
と言い直させられたりします。
理想的には
「Daddy, may I have a bottle of milk, please?」
と言いなさい、と夫などは教えています。
ここでバイリンガル環境で育つ我が娘の場合に難しい問題になるのが、日本語との違いです。
日本語で子供が親に何か頼む場合、
「ママ、ミルク欲しい!」
と言われて、「お願いします、と言いなさい」と教えるでしょうか?
日本語では、親子の間でそこまで丁寧にする必要はない、と思うのが一般的な考えだと思いますが、どうでしょうか。
「ママ、ミルクください」
と子供が言ったら、とても丁寧な言い方ができていい子ね、と思いますが、私個人的には、母親にまで「ください」と丁寧語は使わなくていいと思っています。
これがもしよその家にお邪魔して、その家のお母さんに
「ミルク欲しい!」
と言ったら、
「お友達の家では、ちゃんとミルクください、って言うのよ」
と教えると思います。
このように英語と日本語では微妙に親子の場合、他人の場合、外と家で求められる丁寧度が違うので、うちの娘の場合はなかなか苦労しそうです。
デイケアやプリスクールを始めるまでは私と日本語ばかり話していたこともあり、グランマ・グランパが訪ねてきて、娘が何か頼んだとき、初めて
「How do you ask?」
と言われて、娘は「Please」のことだとわからず、ちょっと可哀そうなことをしてしまったこともありました。
夫もこの違いを知らずに最初は娘が日本語で何かを要求すると「ください、と言いなさい」などと教えていたことがあります。
そこであらためて私も英日の違いを説明することになったのですが、まず根本的な違いとして、英語は「Please」とか「Can you..?」をつけず、動詞の原型だけを使うと「命令文」になってしまう、ということがあります。
「Give me some milk!」
と子供が言ったら、それはいくら親子の間といっても、さすがに失礼なのです。
「おい、ミルクもってこい!」
みたいなニュアンスになってしまうので。
英語の場合これを丁寧にするために「Can you」とか「Please」を付け加えていくのですが、日本語の場合は何かを付け加えるのではなくて、動詞そのものが変化をします。
「もってこい」→「もってきてください」
というように。
だから、「Please」をそのまま「お願いします」と直訳して、それを「追加」することで丁寧にする、というやり方は、日本語の場合通用しなかったり、不要だったりするのです。こういう構造的な違いを説明しないと、夫や夫の家族には「この子は、決して失礼な言い方をしてるんじゃないんだよ」とわかってもらえません。
そして
「ママ、ミルクちょうだい」
は、決して
「Give me some milk!!」=「ミルクもってこい!」
に相当するわけじゃないので、失礼でもないし、子供から母親に対する言い方としては何も問題はないのです。
さらに「ハイ」とミルクを手渡してあげたときに、もし英語で「Thank you」と言わなければ、またまた親は「What do you say?!」と促して、子供が「Thank you 」と言うまでは手渡さないものですが、日本語の場合はどうでしょう。
「ありがとう、ママ」なんて娘が言ってくれたら、「まあ、なんていい子でしょう」と思いますけど、言わなかったら「ほら、なんて言うの?」なんていちいち私は促さない気がします。
母子の間で「ありがとう」「どういたしまして」なんていちいち言っているのは、日本語の場合、ちょっと他人行儀で変な感じがするんですよね。
英語で「クッキー食べる?」などと聞かれて「Yes」「No」と答えるときも、それだけでは失礼で、「Yes, please」「No, thank you」と言うように子供はしつけられます。私はそういう躾を受けていないため、夫の実家で何かすすめられて「No」と軽く言ってしまい「No, thank you」と義父に直されたことがあります。
でも、日本では「○○ちゃん、クッキー食べる?」「ううん、いらない」という会話はごく普通ですよね。「いりません、ありがとう」と言いなさい、とか、「うん、食べる!」はだめで「はい、お願いします」と言いなさい、なんて教えないと思います。
ただし、この場合もよその家となると別です。子供が友達の親からおやつをもらったときは、ものすごく神経質に「ちゃんとありがとう言ったの?」「ありがとうは?」と念を押します。すすめられて「いらなーい!」なんて叫んだら、やっぱり「いりません、ありがとうって言うのよ」と相手の手前、言うと思います(相手の手前、というのがとても日本的ですね。子供の教育というよりも、相手に失礼だから親がそういう態度を見せるというところが)。日本ではこうやって自然に、「ウチ」「ソト」の区別がついていくんだと思います。
毎度のことですが、どちらがいい、悪い、正しい、間違っている、という話ではありません。こんな細かいところも日本とアメリカは違うなぁ、と興味深く思うばかりです。
子供がアメリカ社会でしっかり生きていけるよう、私も英語で話しているときは日本語の感覚を引きずらず、子供に何か手渡すときは「What do you say?」と言って子供が「Thank you」と言えるように教えようと思います。
この記事を読んで感じましたが、確かにアメリカではウチとソトの違いってないですよね。「ソトでだめなことは、ウチでもだめ」ということでしょうし、その逆も。
日本の「所属意識」とかアメリカの「個人主義」っていうのはこういうところからも来ているのかもしれませんね。面白い。
Erinaさん、たしかに・・・、「おうちではいいけど、よそではだめよ」って、日本では良く聞く言葉だけど、アメリカではそこまではっきり区別しないかもしれないですね。
私はこういう、言葉の細かい違いに文化が反映されている、というような考察が大好きで日頃よく考えます。この面白さをErinaさんにも共感していただけて嬉しいです!