アメリカで難治性血液癌の治療 vol. 2

アリゾナ在住、Jun です。初の病院シリーズ2回目の今回は、抗がん剤治療について述べていこうと思います。
主治医から、多発性骨髄腫に詳しいがん専門医にバトンが渡り、我々はノースフェニックスの方にあるHonor Healthというグループのがんセンターへ通う事になりました。がんセンターなので、そこに来ている患者さんは全員何らかのがん疾患を抱えているという訳で、「そうか、夫は本当にがんになってしまったんだな…」と改めて現実を突きつけられ、何か胸に迫るものがありました。

さて我々担当のがん専門医、良い人なんですが、とにかくアポイントメントの時間を守りません。初回、何と診察室に通されてから1時間45分待ちぼうけ。(当然その後も毎回長い待機時間を余儀なくされたのは最早書くまでもありません)
アメリカはアポイントメントの時間に煩く、15分前には来るように散々言われるだけに、基本アポイントメントの時間を大幅に遅延する事はないので、結構衝撃でした。

そして初めての抗がん剤の日。専門医曰く「まぁマイルドな抗がん剤」を週に1度、腹に注射で打たれ、あとは経口抗がん剤を2週間毎日飲んで1週間インターバルで1クールを3回。夫はがんによる骨粗鬆症で背骨の骨密度が40%しかなかったので、骨を強くする為の点滴も3週間に1度。彼は結構痛みに強い方(背骨が何か所も折れてても氷に乗っていた位)なのですが、腹への抗がん剤ショットは凄く痛いと呻いていました。

毎回血液検査をして、その結果が良かった場合、抗がん剤ショットが受けられます。

 

がんセンターの処置室は、広々としていて快適な空間で、担当ナースだけでなく、ペイシェントコーディネータという担当者も居ます。車がなく、日常生活品の買い物にも支障がある患者に対しては、送迎や日常生活品の買い物のオプションもあるそうです。夫は「寒くない? 枕やブランケット要る?」とコーディネータに訊かれて、イエスと答えたら、可愛いハート形の枕とブランケットをくれました。また、頭髪が抜けてしまった人達の為に、ボランティアで編まれた毛糸の帽子サービスのコーナー(無料)もあり、心配りの細かさに感動しました。

可愛いピローとブランケット。こういうの作るボランティア、私も余裕が出来ればやってみようかと思います。

 

抗がん剤の錠剤は、他の薬(アメリカでは自分で指定した薬局に医師から処方箋が送られて用意が出来るとテキストが来るので、引き取りに行くシステム)とは違って、特別に指定された薬局からのみ FeDex で届き、本人が受け取らないといけません。アメリカでは物事がすんなり行く事は、極めて稀!と熟知している夫は、念の為薬局に電話して確認すると「まだ処方箋が届いていない」との事。抗がん剤を飲み始めるスケジュールに間に合わないとややこしくなるので、病院に電話してナースに説明し、すったもんだの挙句、ギリギリ前日にやっと薬が届きました。初回だけでなく、その後も薬が切れる度に『念の為に確認→処方箋出てない→早く出してくれと頼む』ルーティーンは繰り返されました。

夫が服用した抗がん剤は、「サリドマイド」。この名前、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。昔、日本でサリドマイドを処方された妊婦達が奇形児を出産し、問題になったものです。
Wikipediaによると、”1959年8月22日に 大日本製薬が胃腸薬「プロバンM」にサリドマイドを配合し販売。これは妊婦のつわり防止に使用された。このころから奇形児の発生が報告されるようになり、製薬会社は西ドイツに研究員を派遣するなどして情報収集を始めたにもかかわらず製造を続ける。”とあります。私は当然生まれていませんが、「サリドマイド事件」の事は聞いた記憶はあり、まさかそれが夫に処方されるとは、という思いでした。

副作用は血栓など色々でしたが、最後に白血病と記載してあり、「副作用で他のがんになるってどんな薬やねん!」と夫はツッコミを入れていました。
幸い重篤な副作用は出ず、味覚異常もなかったのでご飯もしっかり食べていました(何せ少しでも食べる量が減ると、体重がいきなり激減する)が、後に背中や足の付け根に発疹が出始めました。ナースに報告すると、医師からすぐステロイド軟膏が処方されて、それを塗ったら大分マシに。その他にも沢山の薬(経口ステロイド、感染症予防薬、神経の鎮静剤、胃薬、吐き気止めにビタミンC、D)を各々決められた時間に服用しなくてはなりません。到底覚えきれない量なので、夫はメモ帳を食卓に置いて、毎回毎回チェックしながら服用しました。

専門医は「5週間もしたら良くなる」と言っていましたが、夫は3週間めに激しい背中痛・アバラ痛に襲われ、ベッドに横たわる事すら出来ず、机に突っ伏して寝る有様。「これはキツイ」と病院に電話して指示を仰ぐと、何とモルヒネ錠剤が処方されました。日本人故に、モルヒネというと何かこう、末期がんの患者に使うイメージがあって、「アメリカ色々凄いな」と夫婦で感じた次第です。

アメリカでは痛みを「1から10でどれ位?(10が激痛)」といつも訊かれるのですが、夫が「8~9」と答えると、専門医は「何でもっと鎮痛剤を飲まないのかい? 痛みが3になる位まで飲むと良いよ。胃が悪くなったら胃薬飲めばいいしさ」と我々からするととんでもない事を言う有様。夫は「身体壊すわ!」と我慢して処方箋通りに服用。当初の鎮痛剤で6程度に軽減、経口モルヒネでも5位にしかならなかったので、「こんなちょっとの差なら酒飲んだ方がマシ(モルヒネは酒NG)」と一週間で終了…。モルヒネの効き目にも段階があるんだなと知った次第です。

治療中、グッタリしている頃の夫。がんセンターでは飲み物やスナックのサービスも有り。

 

その後、結局神経鎮痛剤の量を増やし、マグネシウムを服用する事で、本当に5週間でかなり痛みは緩和されて来たようで、介護も楽になって私の負担も軽減されて来ました。何とか無事予定の3クールが終わり、また骨髄生検。これでMタンパクの値をチェックし、OKなら3月から自己造血幹細胞移植の予定でした。

が、試練は続くのでした…。

■第一回めは、コチラです。

 
Visited 25 times, 1 visit(s) today

2 comments on “アメリカで難治性血液癌の治療 vol. 2”

  1. たまたま、日本のカブとターニップはどう違うのかをサーチングしていたら、このブログに辿り着きました。はじめまして、ニュー在住のものです。米国にはまだ15年ですが、私も移住してすぐに癌を患い、手術、抗がん剤治療、放射線治療を完了して即、転移高、元からだか、違う場所の癌が見つかり、スタート地点に逆もどりで、もう一度全てやり直して、今もまだ生きてます。リンパを取ったせいなのか、他の家族は平気だったコロナもう罹患して、入院はしなかったのですが、かなり痛い目に遭いました。でもこれって患者自身よりも周りの身内が本当に大変なのは、私も主人や子供達の心配そうな姿を見て感じました。どうか、心をしっかりと、絶対大丈夫と信じていてください。心から応援しています。

  2. Madokaさん、返信が遅くなって申し訳ありません。
    Madokaさんも癌と戦っていらっしゃる上に、コロナにまで罹患されたとは…。ともかく重症化しなくて何よりです。
    いや本当に「家族は第二の患者」というのは本当です。寧ろ自分が当事者の方が気が楽だったのではないかと思う事もしばしばですが、逆に夫にそういう思いをさせる方が嫌かも、と思って、結局は「いやもうなっちゃってるから前に進むしかないよね」となっています。

    私は今回こうなってから不安に苛まれる度に、「でもきっと大丈夫! だって私には夫が必要だもの」と前向きに考えられるようになりました。Madokaさんにはもっと応援して支えてくれる家族がいらっしゃるので、もっともっと大丈夫です! 心強いコメント、本当に有り難うございます。私達も同様にMadokaさんの事を心から応援しています。
    夫は「誰かがこういう事になった時の為にも書いてくれ」と言っていただけに、本当に嬉しく心強いです。くどいですが、本当にご支援までいただき、有り難うございます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です