アメリカに移住するまで Maki-K編 6
Maki-Kです。
アメリカに移住するまでの話を、つらつらと書いています。
気づけば、私の半生を振り返る長編になっています。アメリカ移住までなかなかたどり着きません。意外に長いな、今までの私の人生。。
さて、前回までの話はこちら。
その1・その2・その3・その4・その5
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さあ、めでたく大学を卒業した私。
就職先はスーパーを全国に展開する、小売大手。
大学で英語を勉強したのに、そんなことは全く関係ない就職先。
大型スーパーの中のショップスタッフとして、ショップ店長として、それから商品部のバイヤーとして、その他いろいろもろもろあれこれ。忙しかったな~。仕事。
ショップの現場にいたときは、よくあんなに一生懸命、全力投球で仕事ができたもんだと、我ながら感心します。ほんと若いって素晴らしい。忙しくて休みが取れず、へろへろで点滴を打ちながら仕事をしていたこともあったほど。
頑張ってたなぁ、私。「私の人生のピークはこのショップ時代だった」と今でも言い切れるほど。あれ以来、余力で生きている私。。。( ̄▽ ̄)エヘッ♪
忙しいは、でも給料は安いわで、あんまり待遇的には恵まれてなかった仕事でしたが、やっぱり接客業が合っていのか、それはまぁ楽しい社会人生活でした。同僚・上司・部下、みんな仲良かったし、飲み会もカラオケもしょっちゅう行ってたなぁ。。あぁ古き良き時代。
※そうそう、ここで忘れる前に書いておかなければ!
大学時代に親に出してもらったアメリカへの渡航費用は、就職してから親へ返済しました。ボーナス毎に10万円ずつ。やった返済終了!っと思ったとたん「まだ立て替えておいた国民年金の掛け金があるよ」と母親に言われてがっくり来たのを覚えてます。。やめてください~、収入のない人から保険料徴収するの~(たしか私が大学生になる頃に制度が変わって、働いていない学生でも二十歳になったら保険料を払うということになったんですよね)。
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安月給でこき使われてたわけですが、ご褒美をもらうこともありました。
営業成績が良かったので、研修という名目での1週間のイタリア旅行。ひやっほ~!
忙しくてまとめて休暇も取れなかったので、私にとっては久しぶりの海外旅行。
しかも初めてのヨーロッパ、ワクワク!
ダビンチが歩いた同じ石畳を歩くフィレンツェ。
黄昏の中ゴンドラに揺られたベネチア。
荘厳なDuomoのミラノ。
石畳の細い通り、重厚感のある建物、街角のバール。立派な彫像、美術館、建物の壁や天井の色使い。街行く人のファッション。
イタリアの町自体が持つ独特の雰囲気。
アメリカやオーストラリアでは感じなかった、ヨーロッパの歴史の重みを感じます。風格が違う。
そしてさすがイタリア。食文化も素晴らしい。
食べ物もワインも美味しかった。
おなか一杯食べて飲んだ後のグラッパが、きく~。。ヘ(** ̄▽ ̄**)へヒィーーーック♪
とにかくアメリカナイズされていた私の目に、ヨーロッパは新鮮でした。
「欧米」なんてヨーロッパとアメリカをひとくくりにした言い方をよくするけれど、ヨーロッパとアメリカって全然違うんだ~。
世界中の人が集まるイタリアの観光都市では、もちろんアメリカ人観光客も目にしました。
20年前、フィレンツェで見かけたアメリカ人観光客たち。ラフでカジュアルな服装(体が楽なTシャツにジーパン。要するにファッショナブルでない。)とアメリカーンな体型。アメリカーンな立ち振る舞いと相まって、すぐにアメリカ人と見分けがつきました。数人まとまっているとなおさら。
このころは「日本人観光客はどこに行っても集団でいる」とか「日本人はどこでもカメラで写真を撮りまくっている」なんて、海外で日本人観光客が揶揄されていた時代。最近は、それこそ誰もが携帯で写真を撮りまくっていますが、時代が違います。
だいたい海外で日本人観光客は見分けがつきましたが(上記の通りだったので)、イタリアでアメリカ人観光客を見分けるのも簡単でした。20年前、ヨーロッパではアメリカのカジュアルさが浮いていました。もちろん全員が全員そうだったわけではないでしょうけど。
アメリカラブ♥でアメリカナイズされていた私。知らないうちにあんな風にふるまっているのかもしれない。。。ちょっと気を付けよう。なんてったって日本人だし。
とまぁ、イタリア旅行で気づけて良かった。
アメリカだけがすべてじゃないね。
このとき私、27歳くらい。
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さて、ショップから離れて商品部時代。出張で日本国内いろんな土地に行きました。そしていろんなおいしいものをいただきました。金沢もおいしかったし♥、仙台もおいしかった♥。松江も♥高知も♥おいしかった。大阪での生活も楽しかったな~♥♥♥♥♥
社会人になってからの年月。こうしてしっかり日本の生活を楽しむことができて良かったと思います。日本での生活が充実していたからこそ、今、アメリカの生活もエンジョイすることができる。もし大学を卒業してすぐまたアメリカに舞い戻っていたら、私の日本観はかなり変わっていたはず。
人生のどのステージで日本を離れてアメリカに住むことになったか。それはアメリカに移住してからの生活や、日本人としてのアイデンティティに大きく影響するはず。
なにが「日本」なのか?100人いたら100人違った日本がある。大人として楽しんだ日本が、私の中では大きな存在です。
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で、8年間。
楽しく、しんどく忙しく、仕事仲間にも恵まれ充実した、でも英語とは全く縁のない仕事をしたわけです。
アメリカから帰ってきて5年ほどたったころに一度、英語、忘れちゃわないように・・と英会話スクールへ通ってみたりしました。。。
そしたら、話す気はあるのに言葉がでてこなーーーい!
My English had gotten so rusty(英語がすっごく錆びついちゃってた)!
あんなにペラペラだったのに。。。(;・∀・)タラリ~ン
英語は使わないとどんどん錆びつくという現実に直面。
せっかく一度はとりあえずものにした英語。このまま手放すのはもったいない!
ということで、週一回、仕事が終わった後に英会話に通うことに。。。
ん~。違う。
違うんだよ。私が求めているものは。
楽しくとりあえずお話するだけじゃなくて、もうちょっとちゃんと勉強したい。
(いますよね英語を「勉強する」のが好きな人。私そのタイプ♪)
・・・で、いろいろ探してみたら、な~んだ。毎日通勤する大阪本町の職場から、徒歩三分くらいのところに通訳の学校がありました。
通訳を目指すわけでは全然なかったのですが、とりあえず通訳養成の入門クラスを受講。
ひーーーっ!なんじゃこれっ!むっずかしいーーっ!
でも勉強するのたのしい~!
と、うれしい悲鳴、というか苦しい悲鳴をあげながら勉強。
今まで知らなくてもとりあえずやり過ごすことができていた単語たち。
30才過ぎてから無理矢理頭に詰め込みです(泣)。
あ~もうっ(涙怒)!
昔は本をさらっと一回読んだだけで、テストで100点取れたのに!
私のあの記憶力はどこへ行ったんだ~っ!!!
ということで、英語学習中の若い皆さん。
30過ぎたら(いや、20代後半くらいから既に)、ほんとーーーに新しい単語覚えるの、大変です。
なんで、今のうちに必死でやっておけっっ!
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っと、
このころは本当に仕事は片手間で(←おいおい)英語漬けだったので、
常に単語帳を持ち歩き(←レトロな人間)、
ショップで店番しながらお客さんがいないと単語を書いて覚えたり(←やっぱりレトロ)。
通勤電車の中ではヘッドフォンで英語を聞き(←定番)、
駅までの道すがらボソボソとシャドーイング(←怪しすぎ)。
半年後、とりあえず一つ上のクラスまで上がりましたが。。通訳を目指しているわけではないので、このスクールはそこまで。
とりあえず英語力向上魂に火が付いた私。引き続きDHCの通信講座などで自己学習。
ん~、やっぱり英語って楽しいよな~。
やっぱり英語を使いたいよなぁ。。。
ちょうどそのころ勤めていた会社が会社更生法を申請(つまり倒産)。会社も仕事も引き続きあるしお給料ももらえるんですが、そろそろ辞め時かなぁ~。
ということで、あっさり仕事を辞めて退職金をもらい実家へ出戻り。ただいま~。
失業保険をもらいながら、当時たしか額が上乗せされていた職業訓練給付金をもらえる英語講座を受講。またしても通訳学校のクラスです。ここでもまた、さらにひぃひぃ言いながらも楽しく勉強。同じ目標を持ったクラスメートたちと刺激しあって、やっぱりスクールに通うのはいいですね。ここから本当に通訳になったクラスメートもいますが、いや、ほんと、通訳さんたち、尊敬します。
半年のコースが終わるころには、英会話スクールでの講師の仕事も決まっていました。
大学を卒業して10年ちょっと。
33歳で英語の先生としてでびゅー♪です。