嫁入り先はカンザス

カンザス

はじめまして。なゆウィルソンと申します。”なゆ”という名前は”那由他”という、”無量大数”に近い数に由来します。”那由他”の意味は”極めて多きな数”で、両親はそれを”極めて大きな心”に変えて私の名として授けてくれました。心の方はいまだその意図にそぐわず研鑽中ですが、極めて大きな態度という点から見るとあたっているところが多々あります。

そんな親泣かせな私ですが、三十路の半ばで今の主人のエドと出会い何とか結婚、東京からカンザス州ウィチタに嫁入りして今年の8月末で9年目になります。ArchitectかつMBA取得中のエド、そして今年6歳になる元気すぎる息子、2匹の猫、2匹の犬達と暮らしています。

アメリカ行きを決めるまでは、大学卒業以来旅行会社一筋で働いていました。将来は塩野 七生の様に、傾倒していたイタリアルネサンスの勉強するために渡伊、イタリアン人とちゃっかり結婚という人生設計を密かにもくろんでいたのですが、旅行会社の仕事が面白く、また稼いだ分を飲み代や趣味に投じる日々を送っていたため、そんな計画はどこへやら。気付いたら30歳を超えていました。”そろそろ結婚したいな。”そう感じ始めていた頃、エドに会いました。

エドとは、私の従兄の結婚式で知り合いました。正確に言えば実際に会う前に、留学中だった時の従兄から、よくエドの名前を聞きていたので彼の存在は知っていました。従兄はカンザス大学を卒業しています。

入学して間もなく、ドミトリーで耳にしたギターの音に、当時ホームシックにかかっていた従兄は勇気を振り絞ってその音のする部屋へ行き、ギターを弾いていた青年に言いました。

”Hi. I heard Rock’n Roll!”

エドと従兄はそれ以来の親友です。

その従兄の影響でエドは日本語に関心を持ち始め、二度日本の大学に留学しています。本人曰く、就寝前に日本語の本を読みながら漢字の辞書を引くのが一番のリラックス方法だとか。私には理解できない範疇です。

卒業後、アメリカでの就職が決まらなければ日本で働きたかったと言っているくらい、日本が好きです。従兄が日本に帰ってからも二人は親友のままで、その親友の晴れの姿を祝うためエドは日本に来ていました。

そこでエドに会ってからはトントン拍子に進み、日本での結婚を終えて渡米しました。

それまでの私は全くもって留学などしたこともなく、ましたてや英語など学校での勉強でしか学んだことがありませんでした。その上、恥ずかしながらアメリカに行くまで親と同居生活でしたので、正直ウィチタへ来ることは人生の一大決心でした。

でも小学生の頃に出会った英語の先生から、”英語を勉強するのはテストのためではなくて、いろいろな人達とお話して仲良くなるためだと思ってね。”という言葉を聴いてからとても英語に興味を持っていたし、何より異文化にかなり感心があったので、何とかこちらに来ても好奇心旺盛に生活しています。

でもいかに楽観的な私でも、何とかなると思ってるだけでは駄目だということを痛感したのは仕事を探していた時です。

労働許可が降りた時点で職探しをしてみましたが、無しのつぶて。それでも家にいるのはどうも性に合わなかったので、食べることが好きなこともあって、何とかグローサリーストアーのデリでアルバイトを見つけました。ここでの仕事は、言葉の面でまだまだ未熟なことが多く苦労したこともありましたが、スタッフがいい人達ばかりで本当に楽しく仕事ができました。息子が産まれる際にスタッフ達がBaby Showerを主催してくれたことは、いまでも大切な思い出です。

でもデリの仕事は行き着くところが分かっていたので、あれだけがむしゃらに働いていた私が”このままで満足か?”と自分に問いただしてみたのが約3年前でした。本当の意味で学歴社会であるアメリカを実感し始めていた私は、日本ではなくここでのcreditが必要だと改めて感じていたのです。

いくら日本で良い大学を出ていても、ここでは何を学んできたか、あるいは経験してきたかを問われるという現実に直面し、またエドの後押しもあって大学行きを決心しました。またアメリカで社会の一員としての自分のアイデンティティーも確立したいという気持ちも強くありました。ESLから始め、現在、ウィチタ州立大学(WSU)でCommunicationとInternational Businessの単位取得のため勉学中です。

不惑の四十を過ぎての大学生やり直しとは、最初は本当に気が引けました。両親も電話越しに”何でまた大学行かなきゃ駄目なの?”と納得がいかない様子でした。それでもMaster取得を考えても良かったところを、敢えてUndergraduateから始めたのは、英語で話し、考え、仕事をしたいのならば、その元となる部分から理解するのが一番だと思ったからです。

Speech, Research papers, Group projects…全てが血となり肉となります。気付けば私くらいの年齢の生徒さん、もっと年配の生徒さんも教室でよく見受けられるのがアメリカの大学です。学びたいという意思があればいつでも、いつまででも学べるのです。アメリカの大学の懐の深さが日本にもあるといいなと思います。

入学することの難しさよりも、入学してからの学ぶこと意義の重さを改めて考えさせられました(と書くと、私がいかに大学中は勉強してなかったかがバレますね)。最近、WSUの外国語学部のMarketing Internを始めたところで、いままで学んできたことをどう活かせるか実体験中です。

また学べることの楽しさと有難みを感じると同時に、子育てと学業と、その合間を縫って主婦業もと一日が48時間あっても足りないくらいですが、2016年の春卒業を目指して、あともうひと頑張り中です。

ということで、日本の都会から来た日本人が、中西部のしかもカンザスという日本人にはちょっと馴染みの薄い土地での生活を、いち日本人として、大学生として、あるいはアメリカ人家庭の中の妻あるいは親としての目を通じて感じたことを記事にしていけたらと考えています。

March Madnessも終わり、今年もMLBが始まりましたね。KCロイヤルズは今年も活躍してくれるでしょうか。

皆さんは、野球に限らず、何か贔屓にしているチームはありますか?私は、エドの影響(というより、洗脳といった方が良いかもしれませんが)もあって、カンザス大学のアメフトとバスケットボールのファンです。最近は通っているWSUの男子バスケットボールの大躍進もあって、NCAAのトーナメント中はカンザス中が沸いていました。

アメリカに来てから季節の移ろいを、スポーツを通じて感じるようになりました。春先までは大学のバスケットボール、春から夏は野球、そして晩夏になるとアメリカンフットボールが始まります。

スポーツは”するもの”だと思ってばかりいましたが、”観る側”あるいは”応援する側”の楽しさを知ることで、それがアメリカでの生活に新たな色をそえてくれるようになりました。スポーツという言葉には、アメリカの人達にとって日本人が思う以上に特別な意味が存在している気がします。

次回の投稿は、そのスポーツin the U.S.について思ったことを書きたいなと思います。 

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2 comments on “嫁入り先はカンザス”

  1. はじめまして!!! アメ10ブロガーのErikoです。(と言っても、最近お休みさせて頂いてますが。)カンザスの方がブロガーとして加わって下さって楽しみです。私は4年半前にカンザスシティに嫁入りした者です。同じく30代になってから嫁いだので滞在5年目にしてもまだまだ慣れない事が多いのですが、中西部に嫁いだ仲間としての情報を書いて下さるのを楽しみにしています。少しコアなアメリカをお互い伝えていけたらいいですね。私も、もう少ししたら復活したいと思います。 これからよろしくお願いします。

  2. Erikoさん、はじめまして。返事が遅くなってすみません。こちらこそ宜しくお願いします。カンザスシティには、時折(といってもここ数年ご無沙汰していますが)、都会の空気が恋しくなったときに行きます。そうですね、私も”ここならでは”のトピックを探して伝えていたらと思っています。復活、お待ちしています!

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