あえてのアナログが最先端?デジタル疲れのアメリカで今起きていること

こんにちは。Masaです。

 

最近のアメリカ、本当にどこに行っても「AI、AI」なんですよね。テレビをつければ最新のAIニュース、スマホを開けばAIがおすすめを教えてくれる。便利なのは間違いないんですけど、正直なところ「ちょっとお腹いっぱいかな」なんて感じることも増えてきたんです。

 

先日、近所のスーパーに行った時のことなんですよ。いつものようにセルフレジに向かったら、そこにも最新のAIカメラと思しきものが導入されていたんですよ。何をするためのものか意味不明なんですけど、多分、会計せずにモノをそのまま持ち去ろうとした時に、警告音でも鳴らすんですかね。

 

なんと言いうか、今の生活って、まるでおにぎりの具までAIが決めてくれるような便利さじゃないですか。でも、時々「あれ?自分で握ったおにぎりのあの不恰好な形が恋しいな」って思うこと、ないですかね?あるわけないか…。

 

そんな「デジタル漬け」の毎日に、実は今、アメリカでは面白い変化が起きているんです。な〜んと、最先端を走っているはずのZ世代の間で、「アナログ回帰」がものすごい勢いで流行っているんですよ。

 

具体的に何が起きているかっていうと、みんなあえて「不便なもの」を求めているようなんです。例えば、スマホで何万枚も写真が撮れる時代に、わざわざ「フィルムカメラ」を持ち歩いたり。ポラロイドカメラとかで写真撮ったり。音楽ストリーミングで何千万曲も聴けるのに、あえて重たい「レコード」を部屋に飾って針を落としたり。

 

これ、単なる懐古趣味じゃないんですよ。「デジタル・ミニマリズム」なんてかっこいい名前で呼ばれていたりもしますけど、要は「情報の洪水から逃げ出して、一人の時間を大切にしようぜ」っていう、抵抗運動みたいなものなんだと思うんですよ。

 

なぜ今、アナログなのか。私なりに考えてみたんですが、やっぱり「手触り」なんだと思うんですよね。

 

デジタルって、画面をスワイプすれば何でも手に入りますよね。でも、そこには重さもなければ、感触もないですよね。無味乾燥。一方で、アナログなものには必ず「抵抗」があります。鉛筆で紙に文字を書くときのカリカリという感覚とか、レコードに針が乗る時の小さなノイズとか。こういう「わずらわしさ」こそが、かえって今の我々には「生きている実感」として響いているんじゃないですかね。

 

これって、おにぎりを握る時と同じですよ。ラップ越しに形を作るのもいいですが、自分の手に塩をつけて、炊き立てのご飯の熱さを感じながらギュッギュッと結ぶ。その時に指先に伝わる感触こそが、本当の意味で「自分のおにぎり」を作っているっていう実感になりますよね。我ながらいい比喩かも…(笑)。

 

アメリカの若者たちが陶芸クラスに通い詰めたり、手書きのジャーナリングにハマったりしているのは、きっとこの「手触り」を取り戻したいからなんだと思うんですよね。効率化で消えてしまった「プロセス」そのものを、もう一度楽しもうとしているんでしょうね。

 

さてさて、今日はアメリカでじわじわ広がっているアナログ回帰についてお話ししました。

もちろん、デジタルを全部捨てて山にこもろう、なんて極端な話じゃないです。私も元エンジニアですから、テクノロジーの恩恵には今でも感謝しています。でも、たまにはスマホを置いて、近所の公園で何も考えずにぶらぶらしたり、コーヒーをゆっくりと楽しむ時間を大切にする。そんな「余白」が、今の時代には一番の贅沢なのかもしれないですよね。

 

皆さんも、もし「最近、画面ばかり見ていて目が疲れるな」と思ったら、あえて不便なことを一つだけ試してみません?手書きでメモを取るだけでも、意外な発見があるかもしれませんよ。

 

Masaでした。 

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