アメリカで就活 (下)

ジャズ教授・リサから宿題を出された2010年12月

「Friends University」では、20年間在任した「Dr. Biff Green」学長の2011年春での引退を発表し、経営陣の総入れ替えを半年後に控える。

次期学長候補の調査が熱気を増す中、「一時代の終わりと次期経営陣の方向性」について周辺が騒がしくなる。

「最近赴任した新しい教頭(Dean)が、海外交流と留学生受け入れに力を入れたいらしいんだけど、留学生としての一意見を軽くまとめてくれない?」

リサに言われるまま、当初ただの一方通行な意見書のつもりで書いていた宿題。

確認のため、一度提出すると、彼女が他教授に転送したのか、すぐに色々な方向から「これは?あれは?」と様々な要素を含むよう注文を受け始める。

そこで、僕がすかさず取った行動。

「こういうことやっているのだけど、卒業前、最後の学期のマーケティングの課題として提出して、単位取得できない?」

マーケティング教授・ベッツィーとの雑談中に軽く相談すると、一発OK。結局この宿題のお陰で「クラスに行かなくても単位取得可能」という幸運な展開に恵まれる(前述のインディペンデント・スタディというやり方です)。

他校のスタッフに電話して質問したり、図書館で閲覧可能なデータベースで可能な限りの情報を入手しては、エクセルに数字を打ち込み、関連ニュースを拾っては内容を比較する日々。

ジャーナリズム教授・リリアンに指導を受けながら、まとめ始めた結果、どうまとめても30ページ以上に膨れ上がっってしまった書類。

「基本的に長いと嫌がられるから、優先順位をつけて項目を絞らないといかんて。」

突っこみ激しい恩師リリアンからの、ありがた~い「赤字(修正事項)」に目を通しながら、15ページまで削ぎ落とす。

2月に入ると、普段キャンパス内であまり接点のない教授にも声をかけられるようになる。

「大学のために、意見書をまとめてんだって?」

最終的には、十数人の大学・大学院教授陣が会議を数回開き目を通す大袈裟な作業に発展。

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この頃、相変わらず休むことなく就活と各種バイトにも精を出していたので、「家には宿題を一切持ち帰りたくない」性格の僕は、学校の図書館または大学新聞の事務所に缶詰め状態。

週末も関係なくキャンパスに顔を出し作業を続け、バイトもキャンパスから通っていたようなもの。曜日感覚はなく、睡眠はほぼ全部仮眠(2~3時間)。

それでも嫌な気がしたことはなかったのですが、書き進めて行く中で、指導してくれていた教授達と僕が最期まで争った項目が一つありました。

「情報収集と編集は俺だったけど、結局は全員での共同作業に近いから、俺の名前だけではなく、連名での提出にしてくれ。」

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実は、マーケティング教授から「はい、OK」と単位取得の許可が下りた時点で、この「宿題」から抜けようと考えていた僕。

結局は、教授達のゴリ押しの波に呑まれ、そのまま「Written/compiled by Tatsuya Hidano.」と書くことになるのですが…

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2011年5月、大学卒業。

数社との面接の経たが、相変わらず決定打となる就職先が見つからない。一応、地元テレビ局と大学・広報でのバイトを組み合わせ、OPT(移民局の許可を得て、卒業後一年間就労できる権利)の段取りを済ませる。

「OPT期間を満了する」「諦めて帰国する」の狭間で悩む。

3.11地震後、より一層の就職難が話題の日本。母は「年齢的にも、タイミング的にも、たぶん無理でないか」と国内事情と次男の現実を憂う。

2011年7月、「Friends University」に新学長「Dr. T.J. Arant」赴任。

「歓迎」の催し物と物凄い数の編成会議の結果、旧体制から引き継いでいたトップ2、トップ3が(希望退職という名の)解雇により姿を消す。本当の意味での新体制が始まる。

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夏場が稼ぎ時のウィチタ音楽シーン。いつものように演奏していると、休憩中に馴染みのDavidが奥様Debbieと手を振りながら「へ~い」とニコニコ顔で声をかけてくる。

このDavid、実はセスナの超お偉いさんで「Friends University」の外部取締役員(Board of Trusteesというものなのですが、いい和訳が見つかりません)というの一人。

「タツヤ、この先、どうすんの?」

これまで就活で苦戦している経緯を話した後、「Friends University」の今後について話が及ぶ。

「新しい校長、来たね~。」

「実はさぁ、今年頭からずっと意見書または企画書みたいなものを教授達と書いててさぁ…」

少し例の書類について話していると、Davidが一言。

「今度T.J.に電話して、その書類の話をしとくわ。」

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2011年8月、「大学内外での懇親会で、意見交換の場があると、結構な数の教授が『タツヤ』の話をしてるわよ」とジャズ教授・リサが電話をしてくる。

「あ~、そんなありがたいことないわ。」

ふと、大学広報内でのOPT勤務中に記事を書いていると、もよおしてきたのでトイレに向かう。

出ました、T.J. Arant。

物凄い「偉いんだぞ~」オーラがむんむん漂っている。お~普通に手を洗ってる。

一瞬固まって、「Hello」だけで済ませようとしたら、彼から一言。

“You must be Tat everyone’s been talking to me about.”
(タツヤでしょ、みんなから噂は聞いているよ。)

「早速だけど、ナンシー(学長の秘書)に言って、今週末までに一度話しに来て。」

お~~~。

正直ビビッて(トイレ後なのに)漏らしそうになりながら、「イエス」と軽くお辞儀をしている肝っ玉小さめな日本男児。

タタタッと小走り(欽ちゃん走りのイメージ)でナンシーの所に向かい、口頭で経緯を説明して、やはりお辞儀をして散々「かしこまろうとしている」小生。

広報室のバイトに戻った数分後、自分のPC上「Microsoft Outlook」のカレンダー機能で「予定が入りました」みたいな知らせが来てるしッ!

お~~~。

—–

その週の金曜日、学長室に向かう。T.J.がドアを開けてくれる。

「ま、ささ。座って座って。」

握手を交わした後、彼が開口一番に雑談を開始。

「この意見書のコピー、読んだけど、英語書くの上手いねぇ。日本てさぁ…」

オーラむんむんな彼のペースで他愛のない話が続き、しばし話し込んでいく。

「じゃ、ちょっと説明してくれるかな。」

突然キューが発せらると、去年12月から溜め込んだものをダァ~と吐き出す俺。

ほんの30分間に「これでもか」と汗を握り、熱弁を奮った自分。

「…ふむ…」

ヒゲをいじり、眼鏡を直して、目を書類から離し、俺を見つめるT.J. Arant。

「面白いね。とりあえず、1週間…いや、2週間くらい時間くれるかな。ちょっと色々なところに話をしないといけないわ、これ。」

散々お辞儀をし、学長室の外に出ると、秘書・ナンシーが親指立ててニカニカしている。

「ハハ、ありがと。」

ネクタイを緩めながら校舎を出ても、まだドキドキしている自分。

どこまで緊張してんだか。

とりあえず決着した一連のプロジェクト。帰宅後、お世話になっていた教授達十数人に一斉メールで経過報告とお礼をしたのでした。

—–

学長との会談後、ソワソワしながら1週間以上が経つ。8月もすでに下旬。

新学期が始まり、生徒の出入りが激しくなったキャンパスに足を踏み入れる。ふと「あ~もう卒業したんだなぁ」と、クラスに行かなくて良い現状に少し違和感を覚える。

「あの後、T.J. 、どうしたんだろか。」

校舎内一階のトイレに立ち寄る。

また出ました、T.J. Arant。

相変わらずオーラむんむんで、手を洗ってる。

「お~へいへい、Tat。後でメールしようと思ってたんだわ。またナンシーに言って、今週末までに話しに来てね。」

お~~~。

—–

金曜朝。正装して鏡の中の自分を見る。

何度経験しても「ちゃんとした場」が苦手だな、と再確認。

深呼吸を何回しても、何も変わらんし。

「あ~やっぱ前回、少しは『仕事くれ』みたいな直球を投げとくべきだったんろうな。」

アメリカは「言わなきゃ伝わらん文化」。初対面以降ずっと考えていた、「自分の『いらない』謙虚さ(いくじのなさ?)」に頭が痛む。

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学長室の扉をコンコンとノック。

T.J.がギーと開けて、「へ~い」と笑っている。

実はこの日までに時間があったので、最新の数字などを更にまとめて持参していた俺。

「こちらは、前回の書類には含まれていないものですが、最新の数字です。より参考になるかと…」

「どれどれ…」

しばらく書類に目を通した彼が顔上げ、ニカニカしながら俺に書類を投げ返す。

“Well, it’s officially your job to execute.”
(この仕事、君がやってみなさい。)

お~~~。

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僕の就活はこんなんでした。

先月「2011-2012」の在米留学生の各種統計が出てきました。近年毎年約5%成長を続け、764,495人の留学生がいる今の米国。就労ビザの発行数は毎年65,000のみ。就労ビザの更新者も含めるといかに熾烈な競争なのかは明白だと思います。その中でいかに(少しニュアンスが違うかもしれませんが)「目立つのか」。

そう考えると、僕は周りに恵まれまくってました(正直実力は無関係だったと考えてます)。

出身校とはいえ、現職場に履歴書を一度も提出したことがありませんし、まともな面接もせずにここに来てしまいましたし…「いや、そんなことはない」という方も極めて稀にいるかもしれませんが、結局は「コネだなぁ」と本当に強く思います。

いざ仕事が始まると、これはこれで結構修羅場の連続で、別の意味のタメ息ばかりついてます。基本的に「じゃんじゃんプレゼンして、じゃんじゃん発信する」仕事なので、いい加減「ちゃんとした場」には慣れましたが。

「社長(学長)自らが、外人のためにゼロから役職を作ってくれる。」

こんなのコネ以外にないでしょ。

あ~神様に感謝。

めでたしめでたし。

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おまけ
少なくて申し訳ないのですが、以下は、「米国在住・日本人学生が最近利用して就職に繋がった」という実績あるものの一部です。就活に役立つ(かも知れない)はず…
キャリアフォーラム
TOP-US
僕も転職する時期活用しようかな、なんて企んでいます。また他のサイト見つけたら、別の機会にでも紹介しますが、他に「日本人の友達がこれで見つけた」みたいな情報がありましたら、僕にも是非是非教えてくださ~い。 

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2 comments on “アメリカで就活 (下)”

  1. TATさん、いい話や。アメリカンドリームですね~!わたしの同僚のELSの先生(男性)が「アドミニストレーターとの商談(とはいわないか)はトイレですませる」といっていたのを思い出しました。彼が変人だったんじゃないんだ。。。どこの大学でもそうなのかな? わたしも教える機会をいただいたのはディーンに大学院入学の推薦状を頼んだのがきっかけでした。まだ院在学中にクロスカルチャー・アメリカ史クラスの講師がフルタイムの仕事が決まってやめたので急遽教えることになりました。あのときも面接もなにもなしでした。コネでしたね。残念ながら予算カットでクラスはキャンセルになりましたが。。。チャンスはがんばっている人にはやってくる、そんなミラクルが起こるアメリカは素敵ですよね!

  2. いや、本当に周りに恵まれました。特別「フレンドリー」て訳でもない性格なのに、皆によくしてもらっております。ま、これはウィチタだから可能なのかな、というところもありますかね(他の大学のスタッフに話したら、必ず「そんなの初めて聞いた」と言われます)。
    でも、その数少ないチャンスを見出せたのも、「会話を続ける」とか「顔を出す」みたいなことの継続なので、やはり根回しとコネですよね。トイレの会話が世界を変えます。

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