アメリカで難治性血液癌の治療 vol.1

ご無沙汰しております。アリゾナ在住、Junです。

アメリカに住む人なら、医療費のバカ高さはご存知でしょう。それ故に、保険には入ってはいても、滅多な事では病院には行けないと我々も常々思っておりました。しかし、今まで風邪一つ引かなかった夫が、まさかの希少血液癌と診断されてしまい、現在も絶賛闘病中です。

アメリカで癌の治療、一体どのようなプロセスで行うのか。ならないのが一番ですが、もし、いつか誰かが似たような状況になってしまって困った時に、少しでも参考になれば、と思い、現在までの闘病生活を綴っていきます。

時間は戻って、昨年8月。夫が「背中が痛い、背中が痛い」とやたら口にするようになりました。マッサージをするとマシにはなっていたようですが、仕事が仕事(アイスホッケーコーチ)なので、まぁ背中が痛いのは一種の職業病のようなもので、単に疲労だと二人とも軽く考えていました。

が、背中痛は一向に治る気配がなく、カイロプラクティックに通っても悪化の一路を辿るばかり。やむなく9月には保険適用の近所のホームドクターにアポイントメントを取って診察して貰いましたが、「背中の筋肉が凝ってるね、ただのBack spasm(背中の痙攣)だよ。レントゲンを撮るまでもない。カイロは止めて、フィジカルセラピーに行け」と言われて終了。しかし、フィジカルセラピーや鍼に通ったりしたものの、やはり効果無し…。

そんな状態でも夫は指導には行っていたものの、氷から降りるとヨチヨチ歩きしか出来ない状態に。グループレッスン後、あまりのヨロヨロっぷりを見たとある父兄(医師)が、「えらい調子悪そうだな、明日俺の診療所で見てやるから来ないか。」と声をかけてくれ、有難く行く事に。幸い、保険適用のグループでした。アメリカでは入っている保険により、行ける病院・行けない病院があるので、この点もややこしいのです。我々にはまだ決まった主治医(ホームドクター)も居なかったので、彼に主治医になって貰う事になりました。

彼の診断も「やっぱりBack spasmだとは思うけど、念の為レントゲンも撮っておこう」でした。が、レントゲンを撮って帰って来て明けた月曜日、朝から電話がかかって来て、「お前の背骨、何か所か折れてるぞ! 事故にでも遭ったのか?」と言われました。「いやそんな事はない」と答えると「これは異常だ、じゃあ骨密度のテストを受けろ」と言われて、アレンジされるがままに骨密度のテストを受けると、背骨だけが彼の年代の40%の骨密度しかないとの事。「この年代でこれは異常だ」と次は血液検査、MRIとアレンジが出来次第、検査に行くという状態に。

                      ※写真はイメージです。

 

そして10月頭の金曜、レッスンに息子を連れて来ていた主治医の元に、木曜受けたMRIの結果が届いたようで、レッスン後に夫に伝えられたのは、考えもしなかった結果でした。

医師:「今考えられるケースでは、癌の可能性が高い。最悪で、多発性骨髄腫(Multiple Myeloma)。

夫:「それは何?」

医師:「脊髄の稀な血液癌だ。」

夫:「・・・その他の可能性は?」

医師:「白血病とか、リンパ腫とか…」

夫:「全部悪そうな癌じゃねーかよ!(←思わずツッコミを入れてしまったらしい)」

医師:「ともかく、確定させる為にも、明日ラボに来て、もっと詳しい血液検査と、丸一日分の尿検査をしよう」

との事で、土曜日、血液採取の後にハーフガロンの牛乳用みたいなペットボトルを持って帰宅し、その週末、24時間分の尿を全て採取し、提出。

私は、最初の検査を受けてからというもの、毎週月曜朝にかかってくる医師からの電話が憂鬱でした。思いもしない事が毎週毎週起こる訳ですから。そして尿検査後の月曜朝かかって来た電話。医師の声も沈んでいて、「残念だが、数値から見ても多発性骨髄腫だと思う。次は骨髄の生検、PETスキャンを取って、ここからは癌の専門医を紹介する。」と告げられました。

多発性骨髄腫は、日本では、「大介花子」の花子さんが罹患したという事で、少しは聞いた事がある方もいらっしゃるかも知れません。血液細胞の1つである「形質細胞(けいしつさいぼう)」の癌で、本来形質細胞は、体内に侵入した細菌やウイルスなどの異物から体を守ってくれる「抗体」を作る働きをもっています。しかし、形質細胞が癌化して骨髄腫細胞になると、役に立たない抗体(Mタンパクと呼びます)を作り続け、さまざまな症状を引き起こします。夫の場合は、背骨の骨密度が著しく落ちて、背骨が何か所も圧迫骨折を起こして、それが背中の痙攣に結びついていたのです。

結局のところ、主治医は「この病気ではないか」という診断をし、専門的な診断を下すのは、専門医。その後のPETスキャンの結果を経て、10月に専門医と初めての面談。専門医からも「多発性骨髄腫を発症しています。」とハッキリ告げられました。まず、この癌は、難治性(極めて再発性の高い)の血液癌という事。現代の医学では、「完治は出来ない」という事。しかし、進行が遅いのも特徴で、すぐ死ぬ、というタイプではない事。再発は免れないけれど、ともかく10年頑張れば、その頃には完治する治療法も確立されるかも知れないから、まずそれを目標にしよう、と。

夫のタイプはちょっとNastyな、ややこしいタイプだと言われましたが、まずは、11月から2月まで「マイルドな」抗がん剤治療を行い、Mタンパクを減少させます。そしてMタンパクの値がほぼゼロになったら、今度は移植専門医に引き継いで、自己造血幹細胞移植を行うとの事。この自己造血幹細胞移植は、競泳の池江璃花子選手も白血病の治療で行った治療法ですが、自身の造血幹細胞を採取し、遠心分離機にかけた後にまた体内に戻すというものです。これをやると、一時的に体の免疫力がほぼゼロに低下するので、日本だと一ヶ月半位は入院だそうですが、アメリカでは入院無し、もしくは2、3日入院で終了との事。ここらへんもかなり違います。そして私は「ケアギバー」と呼ばれる介護者のクラスを受けて、彼のケアをしっかりする為の知識を学ばなければいけませんでした。

ちょうどこの頃、夫の教え子のお母様が、サンディエゴから自家製味噌やお米等を持って来訪してくれるという話になっていました。夫が「先に伝えてくれ」というので先方が来る前に病気の事を伝えましたが、内心「こんなの事前に聞いて運転って大丈夫なんだろうか」と非常に心配していました。それまで私は、意外にも泣きもせず淡々と日々を過ごしている状態でした。夫は私に「多発性骨髄腫の可能性がある」と伝えた時、私が大泣きして大変なことになるのでは、と危惧していたようですが、実際は(癌なんて、ガーン!だけは今言ったらいかんな)と思った位、冷静?に聞いていました。恐らくショックが大き過ぎたのと、それまで泣く事がない夫が泣く姿を見た事で、自分の感情を遮断してしまっていたのだと思います。

でも、わざわざ遠路はるばるフェニックスまで来てくれて、車から降りて来た彼女を迎えに行って見た瞬間に「私も泣いてもいいんだ」と初めて思えて、抱き合って号泣。それからはリンクで主治医と会って握手しては泣く、父兄が「大丈夫なのか」と話しに来てくれる度に泣く、ともう涙腺崩壊状態。日本人故に、ハグをする文化はなかったのですが、心が弱っている時にハグされると、何とも力付けられるものなんだな、と知りました。夫はというと、すぐに前を向いて、「すぐ死ぬような癌じゃないだけマシ、再発しようが一生付き合って生きれば良い」と開き直っていました。本当に、彼はメンタルタフネスのコーチングをやった方が良いのではないかと思います。

そしてそれから程なくして、ミネソタの友人が、GoFundMe に夫の支援サイトを立ち上げてくれました。他にも「立ち上げましょうか?」と言ってくれた方も数人居て、本当に有難かったです。アメリカはここらへんのスピード感が凄いです。アメ10主催者Masaさんやいつも読み応えのある記事を寄稿してらっしゃるMakiさんも励ましのコメントや支援をしてくださり、本当に感謝しております。

私は日本人なので、もし私が病気になったら、と考えた時、非正社員でない場合、つまり夫のようにプロのコーチとして雇われている場合、病気によりすぐクビにされちゃうのではないだろうか、と戦々恐々としていました。が、夫がメインで勤務しているチームのオーガニゼーションは真逆でサポートをしてくれて、夫もアシスタントコーチや手伝いをフルに使い、背骨が折れている状態でもリンクに立ち続けました。

生徒達も、病名を明らかにしてからは皆が「コーチ大丈夫? 早く良くなってね。」と声をかけてくれたり、カードをくれたり、父兄も「幸運を祈ってるから!」と必ず声をかけてくれて、凄く励まされました。情けない話ですが、私自身は日本に住んでいた頃は、知人が「癌かも」という話を聞いた時、何て声をかけて良いか判らなくて、結果何も言えなかったという事が何度かありました。でもアメリカは皆が「大丈夫か、痛そうだけど」とか「頑張って、幸運を祈ってるわ」とか「とにかくポジティブにね!」とか、ともかく声をかけてくれ、それがどんなに心強いかという事をこうなって初めて知ったのです。

あとはアメリカでは「主治医」の選択は本当に大事だと痛感しました。何故なら主治医が指示してくれないと、次には進めないし、病気を大まかに特定するのも主治医だからです。夫は幸運にも、主治医が本当に夫の事を思ってくれていたお陰で、検査結果や次に必要な検査をすぐに電話で教えてくれ、アレンジしてくれました。実際我々の保険グループは、「レントゲンを撮ってからMRIを撮るには6週間空けなければいけない」という謎のレギュレーションがあったそうで、そこを主治医が「そんな事言ってる場合じゃないんだ、今すぐ撮らないと命に関わる」と保険会社と個人的に戦ってくれて、1週間後にMRIが撮れ、考えうる可能性を調べまくってくれたお陰で、病名がほぼ確定。なので、主治医を決める時は、伝手があるならそれを使う事を強くお勧めします。

さて、序章はこれ位にして、次からは抗がん剤治療の事を記していきたいと思います。 

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「アメリカで難治性血液癌の治療 vol.1」への1件のコメント

  1. Junさん 同じ病気を発症し、来週から抗がん剤治療が始まりますが不安でたまりません。現在のご主人の様子はどうですか? 自家移植は終わって落ち着いてますでしょうか? 質問ばかりですいません。

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