アメリカに移住するまで Maki-K編 1

こんにちは、Maki-Kです。

「アメリカ」をキーワードに、たくさんの人が読みに来てくれるこの「アメ10ブログ」。

将来はアメリカに住みたいなぁ~となんとなくアメリカ生活にあこがれている方、どうやったらアメリカに留学できるかなぁと具体的に手段を模索中の方、結婚するならアメリカ人!と意気込んでる方(笑)。

アメリカ生活にあこがれる人の理由は様々。
実際にアメリカに住んでいる人の経歴も様々。

今日は私がアメリカへ移住するまでの経歴を、つらつらと書いてみたいと思います。
将来のアメリカ生活のために、こんなケースもあるんだなぁと参考にしてください。

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私とアメリカとの最初の接点は「英語」でした。

まだ「将来○○になりたい!」という具体的な希望もなかった高校二年生のとき。

英語がとても上手で人間的にも素晴しい、とても尊敬できる英語の先生に出会いました。
横田先生です。

高校での英語の授業はグラマー、構文、長文読解など、授業の内容によって先生が違い、横田先生は3人いた英語先生のうちの一人でした。彼の英語は他の二人の先生に比べて飛びぬけて上手で(少なくとも高校二年生の私にはそう思えた)、交換留学でオーストラリアから来ていた留学生ともぺらぺら楽しそうに会話をしていました。

「横田先生みたいになりたい!横田先生みたいに英語が話せたら、日本語しか話せない人と比べて、はるかにたくさんの人と話ができる!」

特に、おしゃべり好きでも社交的でもなかったそのころの私が「よりたくさんの人とコミュニケーションがとれるから」という理由ではりきっちゃったのはなぜか・・・まったくの謎ですが、とにかくこの「横田先生みたいになりたい」という思いだけで、俄然英語の勉強に力を入れはじめた私。

多感な青春時代、ちょっとしたことに感化されてのめりこむことはありがちですが、私の場合はそれが英語だったんですね。

学校の授業のための勉強はもちろんすすんでやりました。それだけでなく、横田先生は英語をもっと勉強したい生徒のために特別に宿題を出してくれたので、それも張り切ってこなし。。。

志望する大学を決めるころには、自然に「外国語学部へ行きたい」と思うようになってました。

そして外国語学部へ行くなら学校の授業だけでは不十分と、英会話のECCでその当時やっていた英語系の大学を受験するためのためのクラスを受講。週に2回、家から一時間くらいかけて通いました。

ECCの回し者ではないですが、これがとても良かったです。先生方も素晴しかったし、なにより同じクラスを受講している、他の高校の生徒たちの英語のうまさに刺激を受けました。クラスメートがみんな良くできるんです。もっと頑張らなきゃ!私もあの子みたいになりたい!

と、俄然張り切って勉強した(英語だけね)甲斐があり、第二志望だった外国語学部の英米学科へ入学(カランカラーン♪)。

第一志望は違う大学の外国語学部の中国語学科だったんですが、撃沈(↓)。

中国語学科を受験したのは、「英語はできてあたりまえ。これからは中国の時代だ!」という思いから。20年以上も前の話ですが、先見の明はあったけど、実力が伴わなかった私。はは~。
もし中国語学科に行っていたら、今頃はアメ10の記事は書いてなかったですねぇ。

私の英語の基礎の基礎は、こうして外国語学部受験のための勉強で身につきました。
受験勉強の一つとして、英検も受験。2級に合格。

大学受験が終わったときは「あ~、今までで一番勉強した!将来これ以上勉強することないかも!」と思った高校卒業の春。

もっとレベルの高い大学へ入学する人はもっと勉強してるのでしょうが(もって生まれたものもあるしね)、「自分のできる限りの努力をした」と言える受験勉強でした。志望校合格ために仕方なくする受験勉強と違って、「英語は将来きっと役に立つ」と信じていたので、英単語を覚えるのも、構文を丸暗記するのも、まったく苦にならず努力できました。

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晴れて英米学科へ入学した私。20年以上前のことです。

今では移転して学部も増え、大きくなっているわが母校

私が入学した当時は隣の中学校より小さく、学部も外国語学部のほかに一つだけ。外国語学部は英米学科、フランス語学科、スペイン語学科の三つだけ。一クラス20人程度。とても規模の小さいこじんまりした大学で、元女子大学だった伝統からか、男子学生はクラスに5人くらいしかいない、ほぼ女子大(しかもすごく地味)の大学でした。

苦しい受験生勝から解き放たれて、楽しいキャンパスライフの始まり~♪

本当に楽しかったです。大学生活。

だって、大好きな英語漬け

この英米科で変わっていたのが、最初の半年間の授業。
授業がすべて英語で進められるCommunicative Englishと名前のついた6つのクラスが必須科目で、そのクラスすべてで単位をとらないと、二年生に上がれないというルール。英語でコミュニケーションとれない生徒は、大学に入ったはいいけど二年生に上がれない。スパルタでした。

Communicative Englishの授業内容はエッセイやリーディング、スピーチ、ディスカッション、発音矯正、コミュニケーション能力UPのためにクラスでゲームなどなど。今から思うと楽しく遊んでただけみたい。。。

でも、英語が好きと言っても海外経験があるわけでもなく、大学レベルでは英語初心者の一年生たち。「すべてのコミュニケーションを英語でする」というルールは結構大きなハードルでした。。とは言うものの、英語が大好きなみんなですから、ひぃひぃ言いながらも楽しく授業を受けていました。

つづく・・・。 

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6 comments on “アメリカに移住するまで Maki-K編 1”

  1. 面白い裏話(?)、ありがとうございます。

    アメリカに移住してくる理由って、本当、様々ですよね。
    私も特に社交的なわけでもなかったのですが、まさにMakiさんと同じ理由で英語を話したい!と思いました。
    「一人でも多く話せる言語は?」と思うと英語ってすごくパワフルなんですよね。あ~あの時期が懐かしいな。

    そして横田先生のように、無理強いじゃなく、自発的に世界を広げさせてくれる人の存在って大切ですよね。日本で若いときにそういう人に会えたのはラッキーかもしれませんね。

  2. >Erinaさん

    この話を書こうと思ったのは、先日ブロガーのNorikoさんにお会いして、彼女がアメリカに来たいきさつがとても興味深かったんですよね。へぇ~、そんな風にしてここにたどり着いたんですか~!って。だから私の話も他の人が聞いたら、面白いかなぁと。

    結局私の英語は、とりあえずアメリカで生活できるレベル程度でとまってるんですけど、英語が話せるおかげで、いろんな国に旅行に行ってもあまり不自由せず、本当に助かってます。アメリカでアメリカ人と会話をしているときより、母国語が英語でない人たちと英語でコミュニケーションをしているときが一番、「あぁ、英語ってすばらしい!」と感じますね。

  3. うんうん、面白いですよ。
    こうやってアメリカで出会った日本人同士って、日本にいたんじゃ(たぶん)会ってない人だから、どんな経緯でここにいるんだろう?って思うと面白いですよね。

    私も外国語はすごく興味があるんですけど、英語の威力を感じてからはちょっとlazyになっちゃってます・・・。本当はスペイン語ももっと話せるようになりたいし、イタリア語もフランス語もやりたい。

    でも本当、留学生同士、外国人同士の英語って、つたないなりに通じ合えますよね。
    「うん、言いたいことはわかるよ〜!」って。
    言葉がもどかしい分、後ろの強い気持ちとか、口調に現れるしね。
    あ〜私も外国に行かなきゃ〜。アメリカで止まっちゃダメですね〜。

  4. アメリカに漂着してしまったNorikoです。
    記事楽しく読ませていただきました。
    実際にお会いして、仲睦まじいところを拝見していますので
    マキさんの アメリカエンジョイ姿が実感できます。
    確かにオーストラリアで、英語が第二言語の人々の中にいた時のほうが
    私の英語も通じてました。
    今は英語コンプレックスに悩まされてます。www
    続き楽しみにしていますね!

  5. >Erinaさん

    行きましょう行きましょう、外国!

    たぶんこの話の続きのどこかで書くことになると思いますが、アメリカの外から(日本以外ね)アメリカという国やアメリカ人を見ると、また違う発見があります。

    Erinaさんもう一ヶ国語やるなら、できるだけ若いうちがいいですよ。年取るごとに、ほんとーーーーーに、記憶力低下しますから。語学なんて基本暗記なんだから。少しでも若いうちがいいです!

  6. >Norikoさん

    その節はお土産までいただき、ありがとうございました!

    えぇ~、仲睦まじかったですかね?

    オーストラリアとアメリカでは、英語もまた違うから、余計大変なんではないでしょうか。
    おたがい地道にがんばりましょう~♪

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