アメリカに移住するまで Tamami編 -6

前回の続きです。

 

大学院留学で渡米、2年後に卒業、アメリカで就職して3年。

5年ぶりの日本生活を、私は本当に楽しみにしていました。おいしい食事、勝手知ったる東京、懐かしい友達。とくに食べ物のおいしさと来たら、帰国して1年が経過してもまだ興奮さめやらず、「おいしい、おいしい」を連発しながら食べまくってました(笑)

 

でも、最初の興奮が過ぎるとやっぱり、だんだん気持ちが沈んできてしまいました。当時は「逆カルチャーショックでつらい」と良く言ってました。

たかが5年海外で暮らしたからって逆カルチャーショックなんて、と言われてしまうかもしれません。でも、逆にたったの5年だったからこそ、結局アメリカに根を張ることもできず帰ってきてしまった、という後悔に襲われてしまうのです。

 

あんなに楽しみにしていたおいしいお寿司。カウンターに座っているとすぐ隣に座る人がタバコを吸う。赤ちゃんのとなりでも吸う。

電車で人にぶつかってしまって、とっさに「すみません!」と笑顔でその人を見ると、決してアイコンタクトをしてくれず、返事も帰って来ない。不機嫌な横顔が見えるだけ。

そんなことも、こんなことも、渡米前は何気ない日常だったのに、今では違和感を覚えずにいられなくて、でも、なにかと「アメリカでは・・・!!」と主張する鬱陶しい人にはなりたくない。アメリカに引き続き住んでいる友人たちにも、日本の懐かしい友人にもうまく説明できないつらい気持ち。

 

でも何よりつらかったのが、「やっぱりアメリカが良かったな」と思ったからって、もう簡単に戻ることはできない、という厳しい事実でした。母国に帰ることはいつでも、誰だってできるのです。ビザ申請の途中で帰国したって誰も引き止めません。

でもいったん帰国したら、5年間住んでいたことなんて何の関係もない。一般の観光客とまったく同じ状態に戻ります。

また未来が見えなくなってしまって、まるで、お釈迦様の手のひらを一周したことに気づいた孫悟空のように、「またスタート地点に戻ってきちゃった」という気分でした。

 

 

帰国してからはフリーランスの通訳者・翻訳者として働いていました。出張が多く、月の半分はホテルに泊まっているような状態。気がつけば、「留学して専門技術を見に付け、キャリアチェンジする」という目標そのものは、ちゃんと達成していたのでした。

でも、出張先のホテルで資料を読みながら、会議室で出番を待ちながら・・・「夢がかなったのに、なんでハッピーじゃないのかなあ」と考え続ける日々。

そんな状態で1年半が経過します。

簡単に帰れないはずだったアメリカに、1年半後、また戻って来れたのは、夫とついに結婚することを決めたからです。

今振り返れば、この1年半は私にとってとても悩んだけど、重要な意味のある時間だったと思います。

5年間のアメリカ生活の後、「帰国しよう」と決めた時点では、アメリカへの未練はなくて、久しぶりの日本生活が楽しみという気持ちでいっぱいでした。

もし、このとき帰国せずにそのままアメリカで生活を続けていたら、「日本に帰れば楽しい生活が待ってるのに」という気持ちが残ってしまって、夫とアメリカに永住するという覚悟がなかなかできなかったのではないか、と思います。

 

実際に日本に帰国してみて痛感したのは、「東京が懐かしい、と思うのは、その場所が懐かしいのではなくて、そこで一緒に過ごした友達や、その思い出が懐かしいということ。東京という場所に戻っても、私自身がもう一度20代に戻れるわけじゃない。地理的には戻れても、私が懐かしく戻りたいと思っていた”ホーム”には決して戻れない」ということ。

そして、「ホーム」とは、どこかに遠くにあって懐かしく思う場所のことではない。

ホームは、今いる場所で、大切な人と一緒に、努力して作り上げて行くもの。

夫と結婚を決意するにいたった経緯を書き出すと、移民までの道じゃなくて結婚までの道になってしまうので割愛しますが(笑)・・・

 

日本に帰国して生活している私のところに、久しぶりに夫(当時はボーイフレンド)が遊びにきたとき、きっと私たちはお互いの中に「ホーム」を見つけたんだと思います。

そしてアメリカで2人の「ホーム」を一から作り上げて行こう、という決意がやっとできたのでした。

 

こうして、私はまた、成田を飛び立ってアメリカへ。

移民の段階としては、「結婚を通したグリーンカード取得」へと進みます。その詳細は次回・最終回にて

 

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15 comments on “アメリカに移住するまで Tamami編 -6”

  1. レベルが全然違うのですが、なんか色々な経緯・経験がかぶっていて、「あ~そうだったそうだった」と(一度目の)帰国後の生活の中で感じていた異様な葛藤を思い出させていただきました。

    てか、日本の労働環境てやっぱ特別なんですかね。
    アメリカ(中西部)のペースがゆるくて逆に心配になるのは体育会系日本人だから?

  2. Tamamiさんとご主人、遠距離恋愛時期があったんですか?
    彼との関係も、アメリカ生活というものも、日本に帰国して再確認できたものは、やはりそれだけ強いということですよね。

    「逆カルチャーショック」、わかります。
    私も渡米後初の帰国で、ずど~んと感じました。
    大学生になった高校の同級生たちに会い、それぞれに新しい生活が始まっている。自分も彼女たちも高校の時からは変わったんだけど、自分は別の方向に歩き出したんだな、と実感しました。

    私も結婚して子供ができてから、自分の居場所は自分で作り上げるものなんだと強く感じています。誰もいなかった、自分ひとりだったこの国で、今は帰る場所がある。待っててくれる人がいる。
    それは間違いなく自分で築き上げたものです。

    私は渡米して6ヶ月の頃に、「あ、きっと私はアメリカにずっと住むな。」と感じたことがありました。それがこの現在につながるとはさっぱり想像もつきませんでしたが、あの勘は間違ってなかったんです。
    不思議ですね。

    続きも楽しみにしています。

  3. Tamami さん、始めまして。アメ10ブロガー美加です。いつも楽しく読ませていただいてます。今回のは特にいいですね。すんなり移住を決めかねていた気持ちもわかるし、逆カルチャーショックもよ~くわかります。”結婚までの道”シリーズ、ぜひはじめてくださいよ。きっと大人気シリ-ズになりますよ!

  4. おおっ!いよいよ、次回、私登場ですかっ!?

    あのプロセス、私たちだけしか経験してない上、説明がめんどくさいんですよね。。
    今はもう東京や沖縄ではプロセスを始められないから、途中でひっかかったとしても、私たちはラッキーでしたね。今思えば。。

  5. たつやさん、一時帰国していたときの葛藤、サラリーマン生活であれば余計にいろいろと比較してしまってつらいかもしれないですね。
    労働状況ですが、最新のデータではないですが、国民一人当たりの労働時間はアメリカのほうが多いと聞いたことがあります。イメージとはだいぶ違いますが・・・
    でもそれってアメリカ人全員が日本人全員よりたくさん働いてるっていうことじゃなくて、働いてる人がめっちゃ働いていて、働いてない人は徹底的に働いてない、みたいな、幅がより広いんでしょうね。私が日本にいて恋しかったのはそういうアメリカの「幅」の広さでした。いろんな人がいていい、いろんな価値観があっていい。その寛容さ。
    たつやさんも、そういう幅広い社会にとても似合う人だと思います。日本は本当に素晴らしい国ですけど、人によっては、たとえばたつやさんにとっては、きっと息苦しかったのでしょうね。

  6. Erinaさん、夫とは遠距離の期間があった、どころか、結婚前の7年間、最初の半年をのぞいてずーーっと遠距離ですよ〜(笑)ま、厳密にはところどころでブランクがあるんですけど(笑)

    日本の友達と方向性がずれていくという話もよくわかります。彼女達が一生、大切な大好きな友達であることにはかわりないんだけど、長いこと別の国に離れて暮らしていると、ふとしたときに「ああ、こういうところはもうわかりあえないな」って感じることはありますね。相手は相手で「外国に行って変わっちゃったな」って思っているのかもしれないし。でも、やっぱり友情は変わらないですけどね。

    ほんとに、スーツケースひとつで来たのに、気づいたらこっちに家族ができてましたね(笑)家族を築くということは、日本であれ海外であれ同じことだと思いますけど、私たちの場合はそれがたまたまアメリカだったということですね。

  7. Mikaさん、コメントありがとうございます!
    やっぱり移住した人の中には、一度は日本に戻って「やっぱりアメリカ」と思った人が多いのかな??
    結婚までの道、とくに「アメリカ」じゃなくてもいいんじゃないかという内容になってしまうかと思って。でもアメリカをキーワードに考えてみますね。

  8. Makiさん、例の事件については、移住の話とはまた別のテーマにしようかと思ってました。だってあれだけで充分ドラマになりそうで(笑)ほんと、当時はショックだったけど、今となっては良い思い出ですね。何よりMakiさんと知り合えたし。災い転じて福と為す、の見本みたいな話ですよね。

  9. ここのコメント面白いですね。
    アメリカに住んでいる人のコメントなので新鮮です。

    自分も大学卒業後もアメリカで暮らしていければな~と考えてるのですが・・・。
    何をどうすればいいのか・・・難しいです。

  10. >Tamiさん

    確かに、具体的なあのプロセスは、物語としては(特にTamiさんが書けば!)面白いと思うけど、情報としてはもう古くて役に立たないですからね。でも今でも、あのmixiのコミュでのやり取りとか、私がサンフランシスコの空港から「ビザなしで無事入国できたよ!」と報告してたこととか、鮮明に覚えてますよ。あぁ、懐かしい。

  11. Isseiさん、コメント有り難うございます。
    現在アメリカの大学に留学中ですか?今のビザがF1なら、卒業後はOPTで一年間就職できるんじゃないでしょうか。とにかく情報をたくさん集めて、OPT → H1B → グリーンカードと進んで行くのが、根気がいりますが確実な方法ではありますよね。努力と情熱で道は開けると思いますのでぜひ頑張って見てくださいね。

  12. Makiさん、ほんと、あれは過渡期のほんの一瞬の出来事だったものね、ここに書いてもあまり役立つ情報ではないですね。でも一般的に「移民っていうのは忍耐力が必要」という例にはなるかな(笑)

  13. Tamamiさん、ご返事ありがとうございます。
    あとあとよく見たらこのコメントはかなり無礼なんでは・・・と思っていました。申し訳ありません。自分は1月に留学スタートして、ようやく2学期目です。4年半大学に通うことを考えています。そのあともアメリカ滞在を望んでいます。努力と情熱ですか・・・やってみます。
    この記事を読んで思ったのは今グリーンカードという劇の練習をしているのですが、実際はグリーンカードについて何も知らない・・・。この記事が自分の中で一つの参考になればと思っています。なので続きをすごく期待しています!

  14. Isseiさん、こんにちは。ちょっとお返事が遅くなってしまってすみません。コメント、全然無礼じゃないですよ。Tatsuyaさんの投稿のほうのコメントも見ましたのでなんとなく背景もわかりました。
    さきほど続きを投稿したのですが、ごめんなさい、全然グリーンカード取得の情報源としては役立たない内容になってしまいました(というかそこはすっとばしてしまいました)。
    また別途グリーンカードについては書きますね。他の方もビザについてはいろんな情報を投稿してると思います。移民法はしょっちゅう変わるので、最終的には自分が実際に申請するときにまた情報を集めることにはなると思うんですけど、何かしらの参考にはなるはずです!

  15. 初めまして。メキシコ在住40数年の、日本産の老人です。(本人はまだ若いと思っています。) 私のこの世を終える前の夢は、世界リーダーズクラブを本部をサンディエゴに設立することです。サンディエゴを選んだ理由は、まずボケ防止に海に近いところ、低地に住みたいこと(低血圧治療)、海産物が豊富なところ、メキシコ人が多く本来の私の職業であるビジネスコンサルタント、リーダーズ養成、スペイン語でのセミナーの実施などができる可能性があると思われること、などなどいろいろあるのですが、まったく知人もなく、サンディエゴはほとんど知りません。何かアドバイスいただけるとありがたいのですが。近藤拝

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