中西部の生活 – 1: アメリカの田舎で車がないと・・・?

今年で12年目に入った私のアメリカ生活を振り返ると、今になって「あれはちょっと無謀だったな・・・」と反省する行動や体験がいくつかあります。

そのひとつが留学先の大学院を卒業して就職し、カリフォルニア州からオハイオ州に引っ越したとき、「車の免許を持っていなかった」ということです。

オハイオはアメリカの中西部に属する州のひとつ(地図を見ると中西部というより北東部なのですが)。州都のコロンバスやクリーブランド、シンシナティといった中心部を除くと、あとは農場や牧場が見渡す限りどこまでも続く、非常にのどかな場所です。

あとになって、「オハイオに最初に引っ越したとき、運転免許なかったんだよねー」と人に話すと、いつも「えー!どうやって生活してたの?!」と驚かれました。

アメリカではNYなど大都市を例外として、車がないと生活がなりたたない、と私も頭ではわかっていたつもりなのですが、当時はやはり日本の感覚がまだまだぬけていなかったようです。

日 本では東京に住んでいて、車がなくてもまったく困らない生活でした。カリフォルニア州の留学先は都会ではなかったのですが、アメリカとしては非常に小規模 のこじんまりとしたキャンパスがダウンタウンに隣接していて、徒歩圏内にひととおり生活に必要なものがそろっていたのでそれほど不便に感じていなかったのです。

 

そしてオハイオへ。

空港からタクシーでとりあえずの滞在先、モーテルへ。モーテルですから車でびゅーんとやってきて滞在する人用にできてます。場所はコロンバスの郊外。

困りました。その瞬間から、まったく身動きがとれなくなりました。

まず歩いていけるところにお店も何もなくて、食べ物が入手できないのです。

自動販売機で水を買おうとしたらたまたま壊れていて、フロントの人に言ってもすぐ修理してくれる様子もなし。

しかたなく、とりあえず歩いてどこかへ行ってみようと建物の外に踏み出すと・・・

モーテルの前は歩道もない大きな道路。そこを高速で車がビュンビュンと行きかう。

近くにハイウェイの入り口があって、見えるのはハイウェイと車と、その向こうには水平線までずーっと続くとうもろこし畑・・・、はるか遠くに同じようなモーテルがぽつん、ぽつんと建っている。

数分歩くごとにコンビニにぶつかる東京で育った私には、まるで地球以外の惑星に降り立ったような別世界でした。

とっさに「タクシー・・・」と思って走ってくる車を目で追いました。そして気がつきました。地上を歩いている人間が自分以外1人も見えないこんな場所に、「流し」のタクシーが走っているわけがないじゃないか・・・

ではモーテルのフロントに頼んでタクシーを呼んでもらおうか。でも、タクシーがこのモーテルにたどり着くのにも時間がかかる。その分も支払わなきゃいけない。そして最寄のスーパーまで行ってもらって帰ってくるとなると・・・

少し前まで貧乏学生だった私は、「よし、頑張って歩いてみよう」と思いました。東京では地下鉄の駅、数駅分くらいはしょっちゅう歩いていたんだから、車生活に慣れきったオハイオ人と違って私は歩ける!そう思って私は歩道のない車道を危なっかしく歩き始めました。

・・・・甘かったです。

東京でいくらでも歩けるのは、きちんと舗装された歩道に緑の並木があったり、次々とおもしろいお店が見つかったり、他にもたくさん歩いている人がいるからです。

人が歩くことが前提になっていない、暑い日ざしをさえぎる並木もない(季節は初夏でした)、見渡す限り道路と車と畑しかない場所をテクテクと歩くのには、かなりの体力と精神力を必要とすることを、このとき私は思い知りました。

eHow.comより

本 当になんと何もなくて広いところなんだろう、と私はオハイオの大地を見渡しながら思いました。日本でも地方に行けば、車がないと生活できない場所はあるで しょう。しかし、風景が違うのです。日本の田舎といえば大抵の場合地平線には山があって、なだらかな緑の曲線が目に映るはずです。

オ ハイオの郊外にはそういう曲線がない!「地平線」がちゃんとあって、その地平線までずーーっと緑の牧場や畑が広がっていたりするのです。山も谷もあまりな くて、とにかく平坦です。そしてあまりある土地にはゆったりと車が走れる道路、ゆったりと車が停められる駐車場、建物はそんな高くする必要がなくて、平屋 にして面積を広げれば十分。

とにかく横に横に広がる風景。何一つさえぎるものなく360度広がる青空。その茫漠とした感じ が、東京という垂直の街に育った私には本当に違う惑星のようで、なんとも不安感を誘いました。正直なところ、東京からカリフォルニアの留学先の街に引っ越 したときより、留学先からオハイオの就職先に引っ越したときのほうがカルチャーショックは大きかったかもしれません。

不安になりつつ歩いていると、歩く人がよっぽど珍しいのか、走りすぎる車に何度も何度もクラクションを鳴らされました。「大丈夫?」と聞いてくれる優しい人もいたけど、奇声をあげたりからかうような言葉をかけてくる人もいたりして、ちょっと怖い思いをしました。

歩いても歩いても何も見つからず、喉が渇いて、「このまま脱水症状で倒れてしまったらどうしよう・・・」と生命の危機を感じてしまいました。

結局このときはまた歩いて戻って水道水を飲んだり荷物に入っていたスナックを食べてしのぎ、翌日、就職する予定の会社ですでに働いていた大学院の先輩に「救出」してもらいました。

先 輩には「車がないのによりによってあんな場所に滞在してたなんて」とあきれられました。オハイオがいくら車社会でも、場所を工夫すればまだなんとかなりま す。ショッピングセンターやレストランに隣接しているホテルを選んでいればあんな苦労はしなくてすんだことでしょう。地元を良く知っている先輩がそういう 場所を見つけてすぐ予約しなおしてくれて、翌日からはとりあえず食べ物の心配がなくなりました。

しかし、このときの私はまだまだ考えが甘かったのです。

このあと、車に関しては様々な試練に襲われるのですが、その話はまた続編に書こうと思います。 

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