アメリカ在住20年が日本企業に物申す
こんにちは、ご無沙汰でした。Masaです。
最近、日本企業の不甲斐なさに嫌気がさしていて、ほんと、イライラの毎日です。
日本企業と言っても、日本の企業全般を指しているわけではなくて、「ある日本企業」です。
今からとりとめもないこと、まとまりのないことをお話します。興味のない方はスルーしてください。
これまでに、日本企業とアメリカ企業との違いについて、私なりに分析して、このブログに面白おかしく、いろいろとアップしてきましたので、このブログの読者の皆さんは、なんとなくその違いがお分かりになると思います。
もちろん私が書いている記事ですから、Masaのバイアスがかかっています。それをそのまま鵜呑みにするのも、アレかとは思いますが。
昨今の東芝、シャープの会社存続の危機などを見ていると、
「ああ、そういう体質だから、ああなっちゃうんだよね。」
と自分の心の中で、そう言う事実を裏付けとして、自分の考えを証明しているような。
私はアメリカでの生活が20年になり、20年前の日本は知っているけど、最近の日本はよくわからない、と言うことになっています。ですが、
「ああ、昔はよかった…」
などと、年寄り臭いことを言うつもりはありませんが、最近の日本企業(大企業)を見ていると、その動きに、将来の不安を感じずにはおれません。
「どうちしゃったの、日本企業」
もちろん、アメリカ企業にも悪いところもたくさんあるし、
「お前ら、もっと、自分の仕事にオーナーシップ、持てよ!」
と怒鳴りたくなることも多々あります。
でも、アメリカ企業には、日本企業にないような、
スピード感
があります。
これは必ず、
トップダウン
で、上から、ドサッと落ちてきます。下のものに有無も言わさず、
「いけ〜!」
「やれ〜!」
って感じ。
そうすると、1日もしないうちに、計画ができて、人がアサインされ、その日のうちに具体的な行動に移し始める。場合によっては、たくさんの従業員が解雇されたり、移動されたり。
ものすごいスピードで動く変化が目に見える感じ。
スリルを味わえると言うか。
一方、日本企業はと言うと…。
下々の者が、あ〜でもない、こ〜でもないとアイデア出しのために深夜までミーティング。自分たちの力で考えだしたものを、みんなで形にしていく…というのは、非常に理想的なことで、楽しいこと。そんな風にみえるし、モチベーションも感じているようにみえる。
ところがどっこい、そこから出てきたものは、自分たちの力で考えだしたアイデアなんだけれども、上司の気持ちを汲みとって、上司にうけるように作られた、上司から承認を得られるように作られたものになっている。
突飛なアイデアが出にくい、出せない。
で、上司もそれを見て、そのまた上司の気持ちを汲みとって、彼らに受けるような形に微修正する。そして、上に上げる。
そのまた上も同じこと…。で、
「うん、こんなんでい〜んじゃないかな」
と、それを持って会社としての決定事項とする。
ここで注意したいのは…、
中間から上は、自分の意見、考えをほとんど持っていないと言うこと。下から突き上げられたものを、評価して、決定するのみ。その評価方法も、コインをトスして、OKかNGかを判断する程度。
「だって、細かいことはわからないんだもん」
これで、日本の企業が成り立っているのが不思議でなりません。
良く言えば、
日本企業は下々の者があるからこそ成り立っている、下々のがんばりで存在している
悪く言えば、
日本企業から下々の者がいなくなれば会社は潰れる
こんな状態でこれから先どうなっていくのか不安を感じているのは、私だけではなく、当の下々の者でしょう。
このブログで何度も書いていますが、日本企業とアメリカ企業の決定的な違いは、トップ自らが直接動いているのか、動いていないのか、です。経営にバシバシ参加しているかいないか、です。
そして、そのトップをサポートする人たちがカリスマ的かそうではないか。そしてそれをまたサポートする人たちがカリスマ的かそうでないか。
話が予想どおりごちゃごちゃしてきました。
アメリカの下々の者と日本の下々の者と比較すると、間違いなく日本の下々の者が10倍、あるいはそれ以上仕事はできます。アメリカの下々の者は、極端な話、言われたことを忠実に行う、逆にいうと、言われたこと以外はやらない。
このような違いがあるのに、アメリカ企業にスピード感があるというのは、中間から上のコントロール(マネージメント)が日本とは雲泥の差があるからです。
最近感じているのは、日本とアメリカの企業文化をほどよく混ぜあわせた文化を作ることができれば、恐ろしいほどパワフルな企業に成長していくのではないか、ということ。
とりとめもないことを書きました。このモヤモヤ、イライラを誰かに伝えることができないので、このブログに記事としてアップしました。
繰り返しますが、これは私が持っている1つの考えですから、これがすべてではありませんし、こうなる必要もありません。ですが、日本を良くしていこうと言う気持ちは同じだと思います。
おい、日本人、もっとがんばろうぜ!
私はシアトルに移住して4年目なのですが、まったく同じ実感です。あまりの不甲斐なさにこっちから何かできんしものかとNPOにに参加し始めて次世代を担う学生をサポートするなど始めたのですが、一方で日本にいる大人がまったく変わらないばかりか後退しているのかと思えるようなことばかりしていることに、もう何とかしろ!!!という気持ちです。こちらにいる日本人がもっと何かできればいいのですが。
Ryutaさん、ご訪問、コメントありがとうございます。
そうですか、移住されたんですね。4年もいらっしゃると、日本を冷静に見られるようになるでしょう。
そうすると、日本のために何ができるか…ってことを考えられるようになりますよね。
私もそんな感じです。私のようなものにそんなことできっこないと思うんですけどね。
今後共よろしくお願いいたします。
もし失敗したら誰が責任を取るのか、というのが質問です。
齋藤さん、コメントありがとうございます。
「もし失敗したら誰が責任を取るのか」
アメリカの場合は、間違いなく上が責任を取ります。もちろん、下も解雇されると思いますね。もちろん時と場合によると思いますが。
日本の場合はどうでしょう。やはり上が責任を取りますね。下は…よくわかりませんが、私が働いていた会社だと、配置転換くらいになると思います。
日本での息苦しさは、「失敗が許されない」という感覚があるからではないかというのが私の仮説です。うちの息子の小学校を見ていても、たとえば漢字の「はね」でその漢字が正しいか正しくないか判断されます。つまり「はね」レベルの「失敗」でも許されない社会という認識が子供のころから埋め込まれてきます。また失敗した際の逃げる場所がないことが息苦しさのひとつの理由のような気がします。
齋藤さん、コメント返しありがとうございます。
確かにおっしゃるとおりですね。些細な間違いも許されない風潮がありますからね。たとえ、失敗で死ぬことがなくても、将来にわたってその失敗が自分の人生に響いてしまうことがあると思います。
アメリカでは、よほどのことがない限り(性犯罪、殺人、凶悪犯罪など)、本人にやる気さえあれば、取り返しができるようになっているのではないかと個人的には感じています(実際に自分が経験したわけではないので断言はできませんが)。
なので、自分の失敗で会社にとてつもない損害を出してしまい、首になったとしても(間違いなく首になると思いますね)、その後の人生は、まだそれほど悲観するほど悲惨なものにはならないと思います。
ま、いろいろとあるとは思いますが。
分かります分かります。
アメリカ社会にもアメリカ人にも文句言いたくなることは山ほどありますが、何か起きた時の対応、スピード感とパワーには素晴らしいものがあります。
立場や年齢にかかわらず、オープンにモノを言える土壌がありますよね。
日本に帰りたいと思いつつも、アメリカ様式に慣れてくると日本様式や感覚に窮屈さを感じてしまいます。きっと私も帰ったら「空気の読めない人」とか「アメリカかぶれ」「外国かぶれ」と思われそうで怖いです。
はじめまして。アメリカ会社に就職して5年、解雇の危機により解決法を探していたらこのブログにたどり着きました!みなさんとてもがんばっていらして、アメリカ暮らしが15年になろうとしている私ですがなんだかエネルギーをもらえた気がします!これからの更新も楽しみにしていますね!
私も日本の企業がんばれ!って思います。
アメリカの会社がすべていいわけじゃないですけど、会議などのパワーや会社内のエネルギーはきっと日本のオフィスには足りないものなんじゃないかなて、私も思います。日本人は全体的に働き者だから、いいところを伸ばしていけばものすごい会社になれそう
またちょくちょく読みにきます!
mrs gさん、コメントありがとうございます。多分、バランスが大切なのだと思います。アメリカの文化を知りそれを日本の文化にほどよくブレンドしていくのがいいと感じます。
Kyuさん、初めまして。コメントありがとうございます。
そうです。日本人の良いところをうまく使って、それにアメリカ文化をほどよく理解して動いていけば、すごい人間になれると思います。
お互いに頑張りましょう。