バイリンガル教育 その2
Maki-Kさんの、「その1」に続き、「その2」についてお話しますね。はっきり言って、長いです(笑)。
「その2」とは....
このブログに何度も登場している、うちの息子と娘の話。
私たちは、1996年10月に日本からサンディエゴにやってきました。当時、子供たちは、上の息子が5歳、下の娘が3歳でした。私の会社の都合で、彼らは無理やり、見
知らぬ土地、サンディエゴにやってきたわけです。
彼ら、純粋な日本人から生まれた子供たちですから、まじりっけなしの純粋な日本人。5歳と3歳になるまで、ずっと日本で過ごしました。当然、日本語のみの環境です。
それが、突然、見知らぬ土地、見知らぬ人たちの中に放り込まれたわけですから、彼らにとってはたまったもんじゃありませんよね。
私たち親も、忙しさにかまけて、彼らに「英語」と言うものをまったく教えていませんでした。「サンキュー」と「グッドモーニング」くらいだったかな。
近所のおじさんが、「ハロー」と声をかけても、「???」。テレビの漫画番組を見ていても、「???」。さっぱり。
相当驚いたと思いますね。相手が何を言っているのかさっぱりわからない。髪の毛の色、目の色が違う人たちがたくさん。
なので、アメリカに来て最初の2週間ほどは、ずっと家の中。
かみさんの買い物について行くのですが、「???」。
そうこうするうちに、学校への入学の準備ができて、学校へ入ることになりました。上はキンダーガーデン。下はプリスクール。親の私たちは、気が気ではありませんでした。「うまく友達を作ることができるんだろうか」、「毎朝、泣き叫ぶんじゃないだろうか」などと、心配していました。
息子の入学当日、朝から少し暗い気分。「あ~、学校にうまくなじんでくれるかなぁ...」
そんな心配をよそに、息子は、背中を押すまでもなく、元気良く友達のたくさんいる運動場へ走っていきました。まぁ、息子はもともと誰とでも友達になれる活発な子だったのですが、言葉のまったく通じないところに置かれたら、さすがの息子でもどうかなってしまうんじゃないかと...。
でも、まったく違いました。家に帰ってきた息子に、「学校、どうだった?」と聞くと、「楽しかった」とウキウキしていました。その次の日も、次の日も、息子は大喜びで学校に行きました。
かみさんと私、「いったいどうやってコミュニケーション取ってるんだろう...」
娘の場合は息子とは違っていて、初日は、私たちから離れようとしませんでした。帰ろうとすると泣き叫びます。「ほーら、やっぱりだ」と内心思いましたね。そうなるのが当然でしょう。担任の先生が良い方だったので、娘に何か話しながらみんなのいるところに連れていきました。
かみさんと私、「言葉わからないのに大丈夫かな。おしっこちゃんとできるかな。」
娘は、数日は、泣き叫んでいましたが、1週間ほど経つと、こちらも喜んで学校に行くようになりました。
かみさんと私、「どうやって英語を教えようか...」
学校へ行き始めて、数週間経つと、子供たちの口から徐々に英語が出始めました。驚き!親のわれわれは英語はまったく教えていません。でも、言葉は簡単ですが、発音は完璧。
それから数ヵ月後、子供たちは、アメリカの子供たちと、英語で完璧なコミュニケーションを取れるようになっていたのです。驚き!
かみさんと私、「われわれも子供のころにアメリカに来れたら良かったね」
さて、話が少しずれてしまいました。バイリンガル教育の話でした。
と言うことで...
私たちは、子供の小さいころは、バイリンガル教育に関してはまったく意識していませんでした。ルールとして課したことはたった一つ。
「家では、英語はしゃべるな。パパとママとはちゃんと日本語で話すこと。」
くらいでした。
そのころは、学校にいる時間もそれほど長くなく、親といっしょにいる時間の方が長いので、彼らの日本語力はさほど落ちていませんでした。と言っても、幼児の話す日本語ですから、大したことはありませんけどね。
そうこうするうちの子供たちも小学校に入学です。サンディエゴには土曜日に日本語補習校があるのですが、2人ともそこに通うようになりました。毎週結構な量の宿題が出ていたようです。漢字テストが毎週あって、そのために、毎日、漢字を練習していたのを覚えています。
ウィークデーは現地校(アメリカの学校)、週末は補習校。宿題はどっさり。
さらに、日本でおなじみの「公文」も行ってましたね。そこで、算数と国語を習っていたと思います。
今考えてみると、かなりハードだったんでしょうね。よくやった思います。親も大変でしたけどね。
小学校も学年があがってくると、週末のアクティビティも増えるものです。息子は、バスケットボール、娘はチアーリーダーのチームに入りました。つまり、土曜日はそちらの方に時間を取られ、補習校に行く時間がほとんどなくなってしまいました。
なので、息子は小学校6年まで、娘は4年生までで、補習校に行くのをやめてしまいました。
かみさんと私、「おい、これからどうする?日本語忘れちゃうな。」
とりあえず、「公文」は引き続きやっていたので、漢字は大丈夫だろうと言う結論。
でも、子供たちの日本語能力がどんどん落ちていくのがわかりました。息子の方は小額6年まで補習校に行っていましたので、とりあえず漢字もある程度知っていますし、日本語の本も読めましたが、娘はかなり怪しい。日本語による会話はまったく問題はないのですが、本が読めない。特に漢字。
私たちと話す以外、どんどん日本語に接する機会が減っていきました。
漫画は良く買い与えましたね。あれなら、とりあえず日本語ですし、難しい漢字も出てきませんしね。あとは、ポケモンとか、遊戯王とか、ドラえもんなどのキャラクター関連。とにかく子供たちに、日本のものに触れさせる機会を多く作りました。
でも...
娘いわく、「私はアメリカ人だから、日本語知らなくてもいいの」
おいおい、顔見りゃ、間違いなく日本人だぜ。その日本人が日本語話せないとみっともないだろう...と脅してもみましたが、娘はほとんどあきらめモード。
まぁ、仕方がないか...。
と言うことで、日本語をきちんとキープするかしないかは、子供たちの判断に任せることにしました。2人とも、日本で、日本語で会話する程度の日本語力は持っているので、後は本人のやる気次第。
逆に、英語の教育の方をしっかりした時期もあったんですね。
毎週1回、家庭教師のところへ英語を習いに行ってましたねぇ。話す英語はまったく問題なかったのですが、書く方がかなり弱かったようです。まぁ、日本人ですから、仕方が
ないでしょう。毎週、宿題で英作文をさせられていたと思います。今後アメリカで生きていくことになるので、最低限、アメリカ人ができることを身につけさせようって話です。
話がかなりごちゃごちゃしましたが、純粋な日本人相手のバイリンガル教育として、私たちがやってきたことは、
・家では日本語しか使わない
・日本補習校に通うこと
・漢字練習は毎日すること
・日本のものにできる限り多く接する
・日本のテレビ番組、漫画などをいっしょに見る
・日本について話し合う機会を持つ
・その他いろいろ
・英語をしっかりと勉強する
今じゃ、この9月から、息子は大学3年生、娘は大学1年生。とりあえず、日本語はキープできてます。親元を離れて、日本語環境ゼロになっても、キープできるでしょうか。本人次第です。
何かご質問があるかた。遠慮なくメッセージください。
うちの3歳の息子は日本語が全く出ません。
心配していたところ、こないだ、日本のおもちゃが欲しくて、「(日本の)おばあちゃんにお願いの電話する!」と言ってました。電話も嫌いなのに。
3歳ながらも、欲しいもの、言いたいことがあると、外国語への意欲は湧くんだな〜とニヤニヤしちゃいました。
やっぱり日英バイリンガルへの道は険しそうですね。。
言葉だけでなく、日本人なのか、アメリカ人なのか、というアイデンティティの問題でもありますよね。そこのところは息子さんたちはどう捉えているのでしょうかね。Masaさんは?
うちの子はどうなるのか・・・。たのしみ♪
最初は馴染むことが大切で、でもやっぱりキープすることも必要で、、、でも一度馴染んでしまうとそのスピードは誰にも止められないんでしょうね。
大人の私たちには、その馴染むアビリティーが羨ましい!!
私の友達に、4歳で移住してきた日本人の子がいます。現在活字は頭痛がしてくるので読めないそうです。英語の方が安心するらしいです。日本語会話はまんま日本人ですが、公共の手続きや医療系の言葉は一切ちんぷんかんぷんで、日本には怖くて住めないと言います。
来た当初からアメリカが好きだった?と聞くと、
「ハローとサンキューしか言えないのに、どうやって生活したら良いの!!」と食卓で怒ったのを覚えていると言っていました。
私は心から湧き出てくる言葉で小桃に語りかけていきたいし、小桃にも日本語で話すことに安心感を覚えて欲しいです。
ハハハ、まるでうちの娘の話を聞いているようです。料理本を使って料理をしている時など、結構笑えますね。「薄力粉=うすりょくこ」って何?とか。我々親は頭をかかえていますが、本人は何とも思ってないようです。ずっとアメリカに住むつもりですから。
Maki-Kさん>どうなんでしょうね。彼らは英語の方を自分の言葉だと考えているでしょうね。第二外国語が日本語って考えてるかなぁ。私は間違いなく日本人ですが、彼らは、日本で教育をほとんど受けていませんから、考え方もアメリカ人に近いでしょうね。我々ピュアな日本人は、日本の文化がしみ込んでいますが、彼らにはそれが多分ないですからね。息子は歴史が好きなので、日本の文化も言葉の上ではよく知ってますね。娘は「あたしゃ、アメリカ人」って言ってるほど、アメリカ人に近い考え方をしますね。
親の私としては、今後どうするかは、彼らの判断に任せるしかないと思っています。必要な場合には、どんどん援助はするつもりですけどね。