人生の終わりというステージ
先日、サンディエゴ在住日本人のための団体Japanese Family Support Center (JFSC)の集まりで、アメリカで活躍されている日本人女性お二人とお話する機会がありました。
一人はサンディエゴのあるホスピスで訪問ケアのナースをされているAさん。アメリカに来てからナースの資格を取り、サンディエゴで一番大きいサンディエゴホスピスで4年間働かれました。
もう一人はそのサンディエゴホスピスでボランティアの訪問ケアをされているNさん。現在、日系企業で営業のお仕事をされながら、スピリチュアルカウンセラーのお勉強中だそうです。
二人とも、日本では全く別のお仕事をされていたのですが、アメリカに来てホスピスという道を選びました。アメリカのホスピスは余命6ヶ月以内と宣告された方が対象で、がんとエイズ患者だけが対象の日本のホスピスとは異なっており、毎日、様々な方との出会いがあるそうです。
このJFSCにホスピスで働かれている方が多数いらっしゃったのは知っていたのですが、きちんと彼女たちのお仕事についてお話しを聞く機会もなく、そして私自身が人の「死」というものを遠ざけていたのかもしれません。
今回、プロの方たちのお話を聞き、人の死というものと、アメリカと日本での捉え方の違いについて考える機会となり、すごく考え方も変わりましたので、ちょっとシェアしたいと思います。
まず最初に驚いたのは、アジアはもともと、仏教の考えが根強いので、「自宅で息を引き取る」という文化であること。しかし、日本でそうできる人の数は少なく、アジアの中でも一番少ないそうです。
私の個人的な体験をお話します。
私の祖母は2009年12月に札幌の病院で亡くなりました。
彼女は札幌から車で一時間半ほどの鵡川町というししゃもで有名な町に住んでいたのですが、私の渡米後、腎不全になり、私の母や叔母が住む札幌の病院に入院することになりました。
足腰の弱った祖母は、痴呆も加わり、寝たきりの状態になりました。
亡くなる1年前に帰国したとき、それが祖母に会った最後の機会だったのですが、私が子供だったときの彼女の面影はまったくなく、小さく細くなってベッドに寝ていました。
彼女は人生の最後の3年を、話せない、食べられない、動けない状態で病院のベッドで過ごしました。
私の義母(アメリカ人旦那の母)も、同じ年の8月にケンタッキー州で亡くなりました。
彼女も高齢で私の祖母と年が近かったのですが、その年の初めにすい臓がんが見つかり、余命6ヶ月と診断されました。
娘(私の義妹)と住んでいた彼女は、キモセラピー(化学療法)や手術などの治療を全て断り、自宅で余生を過ごす選択をしました。
私の主人を始め、全ての家族メンバーが彼女の意思を尊重したのです。
それから、訪問ケアのナースやアシスタントに来てもらい、子供や孫、友人たちが顔を見せにやってくるという日々を過ごした義母は、8月のある木曜日の明け方、自分のベッドで息を引き取りました。
彼女は人生の最後の6ヶ月を、今までどおり自分のおうちで過ごしました。
人生の終わりというステージが視野に入ったときに、本人と家族がどのような考えを持って、どのような選択肢が与えられて、どのようにその事実を受け入れるのかという違いを目の当たりにした体験でした。
私はここで、自分の母や叔父・叔母の選択が間違っていたというつもりは全くありません。
日本にもアメリカにも、祖母のような患者さんはたくさんいるはずでしょうし、それが間違っているとは思いません。
「死」に対するPhilosophy(概念)が違うので、それを医療としてどう扱うか、家族としてどう受け入れるか、の違いなのだと思います。
アメリカでは、「自分の人生は自分のもの。その終わりは自分で決める。」という個人主義が表れています。
日本では、家族の意見や選択肢が、個人の人生に大きな影響を与えているという文化が表れています。
それをもとに医療の中のプロトコルなども、それぞれに派生していったのでしょう。
今回、AさんとNさんのお話を聞いて、「そうか」と納得できたことがありました。
このステージにおいて一番辛いのは、「別れ」ではなく、「痛み」であるということ。
今まで私は、家族や友達が、この世界からいなくなるということを想像しては「死」というものを嫌悪していました。「死なんてものはなければいいのに」と。
しかし、AさんやNさんのように、毎日、「死」と向き合っている人たちは、愛する人が痛みに苦しんでいる姿を見るのは辛いという現実を知っています。そしてもちろん、本人はもっと辛いのです。
私はこのお二人とお話しをして、今まで理由もなく持っていた「死」への恐怖や嫌悪がすぅ~っと薄らいだ気がしました。
その代わり、毎日を一生懸命生きること、今ある人生を楽しむこと、(うちの旦那いわく)”Live fully.”ということをすごく身近に感じました。
そしてAさんやNさんのような、明るいエネルギーとやわらかさ、あたたかさ、そして強さを持った人たちがいるからこそ、このステージを受け止められる、乗り越えられるのかもしれない、とも思いました。
私が「老齢学」を選んだのも「死」というものが関係していますし、一番大きな要素はやはり病院で亡くなった父や現在87歳になる母に寄り添いたいという気持ちからです。昨年、叔父や叔母を亡くし、ここ数年は身内の死に接する機会が増えました。そういう年齢に私もなったという事実もありますが、「生と死は」どういうわけか昔から私の気持ちの中に存在していました。父は病院で亡くなりましたが、最後の一ヶ月は意識がありませんでした。でも亡くなる寸前、私と母の前に「戻って来ました」。それは私と父との約束だったからです。肉体は消えかかっても、精神は存在した?父は最後までその約束をおぼえていたと思っています。「死」にはひとそれぞれの考え方があります。私は最後に約束を守ってくれた父と、亡くなった後の私へのメッセージで、(亡くなった父から)安らぎと安心をもらいました。そのお陰で少し(別の意味の恐れ)「死」という見方が変わったような気もします。人の「死」はどういうカタチであれ、残った私たちに無言のメッセージを残すものなのですね。それは「否」ではなく、「肯」なのかもしれない。と思ったロサ(ハンドルネームです)でした。
ロサさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
ロサさんのように、近い人の死を体験することはすごく貴重なことですね。そこから得られるもの、感じたことというのは本当にかけがえのないものだと思います。
うちの主人が、義母が亡くなったときに言ったのは、「亡くなった人の人生が、楽しいものだったのか、幸せなものだったのか、辛いものだったのか、決めるのは残された人間だ」ということでした。私が思い出すのは、いつでも幸せそうに笑っている義母です。