俺って親不孝者なのかもしれない

親父

ども、Masaです。今、日本滞在中です。

親父の具合がよくないので、この年末は実家の手伝いをするために、息子と一時帰国をしています。

親父の具合というのは、病気ではなく、「ボケ」。3年ほど前から突然無気力になり、朝から晩まで暇さえあれば寝ている、という生活を続けていました。当然のことながら、ボケが始まります。今は要介護3の認知症。

実家に到着するやいなや、ソファーで寝ている親父を寝床に運び、パジャマに着替えさせる。私のことがわかっているのかどうかよくわかりませんが、無表情でこちらを見ています。

「なぜここまでひどくなってしまったのか」

親父を責めるわけにもいかず、少し苛立ち。

お袋と二人暮らしの親父。お袋の負担を少しでも軽くするために、ちょくちょくショートステイを利用。二泊三日が基本ですが、たまに一週間になることも。

無気力な親父は、他の人と話すこともなく、ただ居眠りをしているだけ。なので、ショートステイをするたびに、症状が悪化。

ここ数週間はヘロヘロで、食欲もなく自分でしっかりと歩くこともできず。当然トイレも自分で行けず。テレビも見ない、話もしない。寝ているだけ。

ボケてはいても、プライドはあるようで、服を着替えさせたり、体を拭いたりしようとすると、自分のプライドが許さないようで、

「触るな!」

それでも続けようとすると、

「叩くぞ!」

と言って、げんこつで叩こうとする。

5年ほど前に胃がんで胃を全摘しているので、食が細くなり痩せているのですが、最近はあまり食べなくなって更にやせ細り。ですが、痩せていると言っても、同じく痩せ型のお袋では一人で親父を扱うこともできず。

このままいくと、親父、お袋、共倒れになりかねない。

姉貴と3人で相談して、仕方なく老人ホームに親父を入れることにしました。

なんか、ものすごく罪悪感。

私は結婚して5年ほど社宅生活をしていましたが、その後、実家を改築して二世帯住宅で親と同居をしていました。子どもたちは、ジーちゃん、バーちゃんによく面倒を見てもらっていました。

同居から約1年後、アメリカ赴任の話が出て、アメリカに出向。親父もお袋も文句ひとつ言わず、暖かく見送ってくれました。

今思うに、我々がずっと同居していたら、もしかしたら親父はボケることはなかったのかもしれないと。子どもたちの面倒を見ててもらったら、生活に張り合いがあって、無気力になるようなこともなかったのかもしれない。

「俺ってどうしようもない親不孝なのかもしれない。」

親父は今、ショートステイ。大晦日も元旦も家族で過ごすことはできない。一人で寝ているだけ。

ショートステイの後、老人ホームへ入居。

もう、自分の建てた家にも帰ってくることはないのかもしれない。

「親父、ごめんな。面倒みてやれなくて。」

「もっと頻繁に電話をして、話すべきだったよな。」

「お袋との共倒れを避けるにはこれしかないんだよ。」

アメリカは遠いけど、またすぐに帰ってこようと思う…。 

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10 comments on “俺って親不孝者なのかもしれない”

  1. 親不孝という言葉がすごく重く、胸が痛みました。その言葉がMasaさんの頭から無くなる日が来て欲しいと願います。介護をして、今出来ることをきちんとやっている方の心に影でなく光が射してほしいな…。

  2. はじめまして
    私も米国で暮らしていていつの日かMasaさんのような
    日が来るのだろうと、どうしたらよいかなというのを
    いつも考えています。この答えを出すのは大変難しい
    問題ですよね。改めて考えておかないといけないなと
    思いました。

  3. Masaさん
    ご無沙汰しております。夏はサンディエゴでたいへんお世話になりました。
    わたしも、ビザ更新で12/16〜29まで日本に一時帰国していました。一昨日帰米して、こちらで大晦日を迎えています。
    日本に後期高齢者間近の両親を残して、通算14年の米国駐在です。今のところは2人とも健康ですが、年齢からしたらいつ何が起こるか分かりません。一時帰国するたび、後ろ髪を引かれる思いでアメリカに戻っています。米国生活は日本にない魅力もありますが、日本にいる両親のことを想うと複雑な気持ちになりますね。このまま何かあったら後悔するぞ、という・・・
    Masaさんも今、大変な状況とのこと – ご本人にしか分からないご苦労もあるかと思いますが、月並みながら、どうかうまく乗り越えていただければと思っています。

  4. Masaさん、
    お正月に帰省されてるとのことで、ただ「うらやましい!」なんてコメントしてしまい、すみません。この記事を読んで、私も色々と考えました。
    あんなに出張でいつも飛び回り忙しいMasaさん、その中で時間を作ってはこうやって日本に帰省して、できることはしていると感じます。
    それでも、親不孝だなと感じる気持ちは、Masaさんのお父様への思いやりですね。
    私はアメリカに来て1年ですが、これから老いていく日本の両親をアメリカからどうやってサポートしていくかをよく考えます。
    Masaさん、がんばってくださいね。

  5. Masaさん、はじめまして。
    LAに移住して四年目のoscarです。
    「海外に暮らすことイコール、親の死に目には会えない」「離れていて介護はどうするの?」「親に何かあったら、残してきた兄弟に負担が偏るのでは?」という想いが、いつも心のどこかに引っかかっていました。
    そんな方、多いのではないでしょうか?
    私の体験をシェアさせてください。

    ちょうど一年前、一昨年の年末に両親が日本から遊びに来てくれました。
    母はそれ以前に私の2度の出産に合わせて手伝いに来てくれたことがあり、3度目の渡米でした。
    父は仕事人間で現役中は長期休暇なんていらないような人でしたが、退職して次の仕事を始めるまでの時間を利用して来てくれました。「こんなに休んだのは初めてだ」そうです。笑

    さて、この約1年前の両親の訪問中に、私は父の言動がおかしいと気づいてしまいました。
    毎晩同じ話をする。
    子供のハイチェアのセッティングを毎日お願いするも、毎回初めてのようにやり方を聞いてくる。
    昼間も寝てばかり。
    洗濯機から乾燥機への洗濯物の移動を失敗する。
    歩くのが遅い。等です。

    母とキッチンで二人きりになった時に、父の異変について尋ねても、あまり気にしていない様子でした。

    日本に帰国後、父がかかりつけの医師に会うという時に、母も何とか理由をつけてついて行きました。
    すぐに検査に送られ、検査後すぐに診察室に呼び戻されました。
    脳腫瘍でした。

    すぐに手術が予定されました。私は子供二人を連れて、両親を見送ってからひと月もしない内に日本の病院に立っていました。

    手術までに、家族だけは父の余命宣告を受けていました。
    父は知りたくないだろうと医師と家族で判断し、父には「手術頑張って治していこう」という説明がされていました。
    アメリカでは考えられないですね。
    この日本の告知の慣習を目の当たりにして、アメリカに越して良かったと思いました。

    手術、ガンマナイフ、抗がん剤治療を経て、10月に父は余命を全うしました。
    亡くなるひと月前に病院で出来ることは無くなり(これ以上の治療はQiality of Lifeわ を低下させるという判断)、自宅療養そして介護が始まりました。
    この時点で私は夫と子供二人と再び日本へ行きました。
    私は子供達と残り、介護に加わりました。
    まだ意識もあり、ご飯を食べ、笑うこともできるうちに孫の声が聞こえる日々を過ごしてもらえたことは、娘としてとても嬉しく感じています。
    嫌だったろうけど毎日オムツを替えさせてもらえたこと、訪問看護の看護師さんに指導を受け、息苦しくなると痰を引いたこと。振り返れば介護期間はたったのひと月で終わってしまいましたけれど、父の身の回りのお世話をさせてもらえて、自宅で看取ることもできたなんて、海外に越したらまず親の死に目には会えないと思っていたのに、とても幸運なことだったと感じています。

    ただ、介護って難しいですね。
    介護の実態や病状の進行具合なんて、家族のことだからとか、個人差が大きいからとかいう理由で、なかなか世間で情報が共有されていないですよね。
    私たちも病気のこと、介護保険制度のこと、葬式のこと、遺産相続のこと、全てが手探りで、特に先が正確に読めないことでストレスが強くかかりました。

    残された家族は、必ず後悔します。
    もっと何か出来たんじゃないか?って、必ず思います。
    余りにも分からないことだらけで、何もかもが圧倒的すぎて、やれるだけの事をやるしかないんだと、振り返れば思えます。
    そして、利用できるサポートはとことん利用することが鍵だと思いました。
    できるだけ自分でやらないことです。
    プロの手を積極的に借りることで、父も家族もかなりストレスが軽減され、より穏やかな時間を共有することができました。
    もちろん、外からの助けを得ることには、しばらく精神的葛藤がありました。
    でも、振り返れば大正解でした。
    たったひと月の自宅介護においてでも、正しい判断だったと断言できます。
    これが長期となると、本当に辛いことだろうと思います。
    どれだけ続くかわからないからこそ、本人も家族も初期の頃から支援を受けることに慣れておくことが重要だと思います。

    海外に暮らし、父に日常的に会っていなかったお陰で、私は父の異変に気付けました。
    上記の初期症状はつい歳のせいにしてしまいがちですから。
    実は、「ちょっと気になるから、病院に行ってね」と父に直接言えたのも、物理的に距離がある私だけでした。
    日本の家族のように日常的に介護にどっぷり浸かれない立場だからこそつとまる役割は、あるんだと思います。
    アメリカにいる間に、私は母と妹の話し相手や病気や介護保険制度の情報提供ができました。
    日本の家族が共倒れの全滅にならないように、物理的・精神的な距離を利用しました。
    何もない内から備えておけるような本も、たくさん出ています。
    なかなか話題にしづらいことですが、可能な方は日本の家族と大病時の対応、告知、介護、あるいは葬式の希望などのいざという時の話はしておくと良いと思います。
    父をきっかけに、母の自分の時の希望は聞くことができました。
    私と夫の間でも、会話を始めることができました。そしてその会話はこれからも続けて行きます。

    長くなりまして、大変失礼しました。
    長女の私が海外に来てしまって、親不孝、兄弟不幸をしてしまったのではないかと思う瞬間が良くあります。
    その気持ちも、今は正直に妹に話しています。それをきっかけに、姉妹でどう協力していくかについて話し合うことができました。
    離れているからこそ、日本の家族とのコミュニケーションは大切なのだと実感しています。
    最初から重い話は難しいですが、いつでも話ができる下地作りはしておいた方が良いかもしれませんね。

  6. Tomoさん、優しいお言葉、ありがとうございます。いつかは誰でも必ず来ることですから、しっかりと現実を見なさいってことでしょうね。

  7. Tyさん、コメントありがとうございます。

    確かにそうですね。アメリカ在住の日本人は、少なからず似たような境遇の方々がいらっしゃると思います。それぞれ対処の仕方が違うでしょうが、考えていかなければならないことだと思います。

  8. Jackさん、ありがとうございます。

    なかなか難しい話ですが、誰もが通る道なので前向きに考えて対処していこうと思います。

  9. Tomomiさん、コメントありがとうございます。

    Tomomiさんはまだお若いので、ご両親もお若いと思いますが、(縁起でもないなんて怒られそうですが)早いうちにその辺りの話をご両親とされた方がいいのかもしれませんね。話しておけば、その場になって何とかなるってことでもないでしょうが、お互い心構えができているかもしれません。

  10. oscarさん、コメント、体験談、ありがとうございます。

    oscarさんに介護されてお父様も幸せだったのではないでしょうか。親にとって子供が一番ですから、自分が子供より先に死ぬことができて良かったと思っているかもしれませんね。

    頂いたコメントについて少しご相談があるので、もし、このコメントをご覧になっていたら、上の「コンタクト」からご連絡いただけないでしょうか。

    よろしくお願いいたします。

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