分子生物学的に見た銃乱射事件

先日、コネティカットで悲惨な事件が起きてしまいました。

銃を使った事件が起こるたび、「銃の所持を規制するべきだ」と主張する人がいます。が、ボクはこの意見に関しては、少し違和感を覚えます。

なぜならば、銃は単なる「手段」であって、「原因」ではないからです。

もちろん、簡単に銃が手に入ってしまうことは犯罪を助長していると思います。

しかし、べつに銃が手に入らなくても、この犯人は他の手段で同様の犯行を犯していたと思います。

それは、日本の脅迫犯罪を見てみると明らかです。

日本でも、同様の凶悪犯罪はかなりの頻度で起こっています。

その手段は刃物だったり車だったりと、決して銃を使わなくても行われています。

池田小学校事件、秋葉原事件、たくさんあります。
いま、沖縄ではオスプレイの配備が問題になっています。

過去のオスプレイの事故をとりあげて、危険だというのです。

しかし、オスプレイが開発された目的は、中国や韓国が日本に侵略してきた際、すぐに飛び立てるためのものです。

オスプレイが危険だというのなら、なぜ年間何千人という死者を出している自動車の禁止はしようとしないのでしょう?

 

人間は過ぎ原因を目先のものとしてとらえがちです。

 

今回の犯人は、自閉症とアスペルガー症候群を患っていたそうです。

そこまで考慮して今回の事件を見る人はあまりいません。

脳の病気は、目に見えない分、他のヒトから敬遠されがちな病気です。

ここまで医学が発達しながらも、脳の病気に関してはいまだ有効な治療法が見出されていません。それは脳が、それだけ複雑な構造をしているからです。

 

1993年に刊行された、利根川進(1987年にノーベル医学・生理学賞を受賞)著の「精神と物質」のなかで氏は、

「いづれ、脳機能も物質の相互作用によって説明できるようになるときが来る」と書いています。

なぜ、そういうことをする動機に至ったのか、どうすればその感情を抑えることができるのか、いづれ、論理的に説明できるときが来ると説いています。

 

感情論にまかせず、物事は突き詰めた考えなければいけないと、思います。

 

 

 

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9 comments on “分子生物学的に見た銃乱射事件”

  1. 私も今回の事件で池田小学校のことを思い出しました。
    けれども、銃を規制する社会と、そうでない社会の場合で、同じ質の人がもたらす被害の規模は違うのでは?とも思います。 だから、両者を一緒だって言うのはちょっと乱暴かも・・・と思いました。

    銃を規制しない社会を作るひとたちは、よほど自分を信じるしかない(他人なり国家なりを信用できない)環境にあったんだなあと感じます。そして今になってそれを変えるのはとても苦しいことだろうと思うのですが(なぜなら自分を生きのばさせてきた世界理解をとっぱらうことになるのだから)、でも、ほんとうはそれができたら楽になるだろうになあとも思います。

  2. 銃が手段であるのはその通りです。ですから正常な判断力を持たない人間が銃を簡単に入手できないようにしよう、というのが銃規制の趣旨であり、今回の銃撃犯が精神的な病を抱えていたことは、見落とされているどころか、銃規制派の一番のフォーカスだと思います。

    池田小学校の事件も秋葉原の事件も、もし犯人の手に銃があったら、被害者の数はもっとずっと多く大規模な事件になっていたでしょう。効率よく人を殺す道具である銃が手元にあることで、犯罪実行がよりたやすくなってしまうが、日本では簡単に銃が手に入らないために、銃があれば行われてしまったであろう犯罪が抑制されてきた、と考えることもできます。

    銃を自動車に例える人は多いですが、たしかに自動車は走る凶器になりえるものの、本来の目的は人の殺生ではない。煙草もお酒も同じことです。銃の目的は人を殺すことですね。まずここが大きな違いなので、自動車を使ったアナロジーには無理があると思います。

    その上で、たしかに自動車事故によって毎年多くの人が亡くなる、だから自動車をなくせばいいか?と言えば現実的には不可能。しかしだからといって「しかたないもんね」と自動車が野放しになっているかといえばまったく違う。安全技術は年々進化し、政府の安全要件も年々厳しくなり、実際自動車事故によるFatalityそのものはここ数年で劇的に減っています。自動車を買うには免許が必要、登録が必要、その登録は定期的に更新が必要。

    同じことを銃でもやらなきゃいけない、というのが「銃規制」です。現在その銃規制が抜け穴だらけで機能していない、ということを銃規制派は問題視しているのであって、単純に「銃が悪いからなくせ」とは言ってません。

    たとえば、今すぐ銃がほしいと思ったら、たしかに表向きは手続きがあって時間がかかることになっている。でも実は、銃を武器としてではなく、コレクター向けのアンティークとしてとらえるという理屈のもと、アンティーク銃のお店で誰でも今日すぐ銃を買うことができる。

    もし古い自動車がアンティークというカテゴリーで売られていて、免許がなくてもコレクターとして今日すぐ買うことができて、運転できるとしたら?ありえないですね。これが銃だとできてしまう。

    銃規制にはこういうLoop Holeがたくさんある。こういうところからまず正していこう、というのが銃規制派の言っていることです。

    一方で、レーガン大統領の暗殺未遂事件に巻き込まれて重傷を負ったJames Bradyにちなみ、Brady Lawができて銃規制が強化された後、最近有効期限が切れてまたもとにもどったわけですが、この法律が有効な間、銃による犯罪が減ったかというとそうでもなかった。減ったのは、お年寄りによるハンドガンを使った自殺のみ、というデータもあります。

    つまりBrady Lawは犯罪抑制にはあまり有効ではなかった。だからとにかく強化すればいいってもんじゃないことは、銃規制派もわかっています。もっと有効なシステムを探さなければならない。

    銃規制派は感情的に「銃なんてなくせー!」と叫んでるイメージをお持ちですか?(笑)

    まあ、なかにはそういう人もいるかもしれませんが、そんな人は規制派の中でも相手にされてないと思います。真剣に銃規制を考えている人たちはみんな、客観的なデータ、統計、心理学などに基づいて現実的な長期的政策を提案していると思います。

  3. 「いづれ、脳機能も物質の相互作用によって説明できるようになるときが来」て、「なぜ、そういうことをする動機に至ったのか、どうすればその感情を抑えることができるのか、いづれ、論理的に説明できるときが来る」んでしょう。そして大量殺人をする可能性のある人間が誰かを殺す前に止めることもできるようになるんでしょう。

    でも、今はまだその「いづれ」の時ではないんだから、大量殺人可能な銃の規制をどうにかする方が、現実的ですよね。

    銃というものがまったく日常にない日本で生活をしている日本人は、こういうニュースを聞いて「だから銃なんてなくせばいいのに!」と単純に思うかもしれませんが、アメリカの国の成り立ちや、今でも食料を猟をして調達する人たちが実際にいる現実を考えると、銃を所有することの自由がアメリカからなくなることはないと思います(他の記事でのコメントに書いてあるTamamiさんのご主人とまったく同意見です)。でも銃規制反対派も、銃で人を殺すことに賛成しているのではないでしょうから、こういう事件をきっかけに有効な規制ができるよう、歩み寄って欲しいですね。

  4. こけぐまさん
    仰るとおり、池田小学校の事件と今回の事件は一緒くたにすることはできませんが、これらの事件を関連づけて考えていかないと思いました。
    被害者の規模は違いますが、いずれの事件も狂気的行動によって、罪のない子供や大人達の尊い命が失われてしまった事は同じです。こんな社会にしてしまった一大人の責任として、なにするべきか、もう一度よく考えてみます。

  5. Tamamiさん
    今回は、アメリカの銃規制について勉強不足なまま記事を書いてしまいました。
    Tamamiさんが指摘して下さったように、アメリカが銃所持の権利を与えている背景にはいろいろな歴史的事実がある事は承知していますが、そこまで詳しくは知りませんでした。
    もちろん私は銃を含む武器の所持には断固反対です。かといって、アメリカの歴史や様々な人種がいるアメリカで、どうすればこういった犯罪がなくなるかは、私自身明らかな考えを持っている訳ではありません。
    にもかかわらず、記事を書いてしまったことを反省しています。

    これをきっかけに、私自身、アメリカの現状についてきちんと勉強します。

  6. Maki-Kさん
    仰るとおり、今できることから始めるべきですね。
    私が今回書いた内容はただの机上の空論だといわれても文句は言えません。
    ただ、規制、規制で縛っていっても、必ずその目を潜って悪いことをするのが人間です。
    今できることから始めるのと同時に、もっと人間の心の奥に潜んでいるガンを取り除く方法を探せていけたらとも思います。

  7. tamamiさんのコメント、とても勉強になりました。ありがとうございます。

  8. 分子生物学的に見た犯罪予防は、私もそう遠い未来だとは思いません。科学が犯罪を予防し、解決する時代はもう目の前に感じます。というか、すでに何らかの形でも使われているでしょうね。

    私は数学の分野から見て、犯罪というものを考えたことがあります。映画の「マイノリティ・レポート」を覚えているでしょうか。特別な知能を持った3人の予知能力を使い、犯罪を予知する映画です。
    科学はそもそも、過去のパターン(データ)を集め、仮定を証明し、未来に応用することが目的ですね。

    このマイノリティレポートのような犯罪予防システムは、コンピューター(というかデータと統計モデル)を使えば、「理論上は」実現可能なツールです。
    実際、現在の軍事、FBI、CIA、警察で使われている”intelligence”と呼ばれる知能は、私たちの想像を遥かに超えます。(と素人の私でもそう思います)
    ただ、これが民間レベルで実現するかどうかというのは、政治的、経済的、人権保護的な観点から見て、すごく時間がかかるとは思いますが。
    凶悪犯罪が増えれば、市民の犯罪予防意識も高まり、このようなシステムも発展するのかもしれませんが、個人的には、やっぱりそんなものは必要のない、平和な社会が欲しいです。そこが科学者の葛藤ですよね。

  9. つけたしですが。。

    「銃規制」は「銃の排除」ではありません。「gun control」という英語で聞くと分かりやすいですが、銃の販売や所有、扱い方その他、銃に関することをコントロールしようとすることです。

    銃規制=銃をなくすこと、と頭の中で日本語変換をしがちなのは、日本人の銃アレルギーがなせる業でしょうか。。

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