続「行ってから踏ん張んべ」(11)
1995年9月下旬の土曜午後。
いよいよ、生まれて初めての「ジャズ演奏」の日。
英語教授・ジェフから事前に入手していた、(今の常識では考えられないだろうが、それでもまだきっと存在する)暗号のようなアメリカの地図を床に広げ、まず現場への道順確認。
アメリカでは、「街」として登録されている規模の土地にいれば、大体この手の地図があり、その街ごとの道路や位置を確認することができる。
基本的に全道路に名前が付いているので、アメリカ人に建物の位置を聞くと、大体「南北(縦)に走るホニャララという道路と、東西(横)に走るホニャララという道路が交差する場所(例:”The restaurant’s on Central (縦)and Broadway(横).」という風に説明される。
結構大雑把な土地開発が当たり前な日本人には普通ピンとこないもの。
地図上に目的地である建物の名前が記載してあることはまずないため、地図で確認しようが、どうしても難しい。
「心配だから、時間前に一度下見に出向いたほうが良いのだろうな」「服装はカジュアルで良いと言ってたな…」など諸々を独り言を言いながら再確認。
再度思う。
やべぇ、初ギグ。
しかもジャズって。
やべぇって。
緊張してしまい家に居ても落ち着かないので、前夜ジャズ教授・ジムからの許可を貰い(当時自前のセットは所有していないので)大学から借りた機材を積み込んだ自分の車内を再確認。
結局、出発。
現場は「いかにもアメリカ」な(ファーストフードではない)ハンバーガーやステーキなどが有名なレストランのパティオ。
約束の時間の二時間くらい前だが、すでにエプロンをした店員風な数人がグリルを囲んで作業をしてる雰囲気。
ここは勇気を出して話しかけておくか。
俺「今夜ここで演奏する予定の者なんですけど…」
(余談:あれから18年経過してるが、実は今でもこの「初めてやる場所での自己紹介」が本当に苦手。)
店員「お~。ジェフと一緒にやる人?じゃ、あの入口から搬入して良いよ。」
俺「OK, thank you.」
トランクと後部座席に詰め込んだ機材を両手に持ちながらエッコラセッコラと運び始めると、ふと思い出す。
「あ、ドラムの下に敷くカーペットがないじゃんな。」
通常ドラムは演奏していると、足元(日本語で通称バスドラとハイハット)が踏み込みで滑って前方にずれて行く。これを防止するため、一般的にはドアマットのようなものを持参して下に敷く。
「初物尽くし」だったこの時、事前にこのことを思い出すわけもなく、どこに行けばそのような物が買えるのかも分からない。
静かに1人で少しだけアワアワする。
「仕方ない。」
パティオのコンクリートに直に置き、軽く踏み込むことにする。ジャズで大音量で叩くわけでないから大丈夫なはず。
30分くらいかけてセッティング完了。
さて、演奏開始時間まで残り一時間半。店員達は忙しそうだが、俺は暇になる。
「ふむ。ならば…」
店内外をバタバタと出入りしグリルを囲む彼等の英会話に耳を傾け、最近あまりやっていなかった「ひたすら何か単語を拾う努力」をしてみることにする。
聞き耳立てて人間観察すると、「このタイミングでこれを言うのか」「あ、こういう決まり文句的なオチの付け方するのね」とか結構見えてくるものだ、と再確認。
しばし少し固いながらニコニコと笑顔で、当時は携帯なんて無い時代。
常に持ち歩いていた辞書を片手に周囲を見回す時間を過ごしていると、本日のベーシスト・エラン登場。
エ「へ~イ、どうよ」
所謂アメリカのティーンエイジャーのノリで握手してくる。
俺「へ~イ、ぼちぼちね」
エ「ハハハ、今日は楽しみだわ」
俺「…(冷や汗)」
ジェフその他ジーン(キーボード)とブライアン(ギター)も登場。
彼らが準備しながら、軽く自己紹介をしてくる。ぎこちないが、こちらも「ハーイ」と握手を返す。
そうこうしている内に、ジェフがこちらに目をやりながら、指を鳴らし始める。
ジェ「レディ? ワン、トゥー、ぁワントゥスリー…」
—–
随分慣れた感じの周囲に対し、ひたすら難しい顔をしてる俺。額からは冷や汗が垂れる。
本当に基本的なジャズの基本中の基本パターンを(雑だけど)延々とやり続けるのが精一杯だった以外、ほんとうに何もできなかった。
「全然何が起きてるのか分からない」とひたすら思い続けながら時間だけが過ぎていく。
—–
休憩を挟んで演奏時間合計3時間。
足元がたまに滑ってしまっていたが、そこについてはほぼ大丈夫だった。
終わってみると皆が機材を片付けながら声をかけてくれる。
「Hey, welcome to Twin (街の呼称)! You played good!」
いや、みっともない演奏でごめんなさい。次回こそは次回こそは…
褒められることに不慣れで、そんな風に考えてしまう、ごくごく控えめな日本人の俺。
—–
その夜、演奏後は「まかない」であるハンバーガーを皆でテーブルを囲みながら食べていると、ジーンと話していたエランが一言。
エ「やっとまともなドラマーがこの街に来た。やっと」
どうして、皆こんなに優しいのか。
—–
その夜、10時過ぎ。
レストランが閉店準備に入ると、メンバーの皆が席を立ち始める。
すると、店員が店内から箱一杯にクッキーやらケーキやらを持ち出してきた。
「これ、明日には捨てなきゃいけないから、持って帰ってくんない?」
皆が首を横に振ると、エランが肩を叩く。
エ「これはもうタツヤが持って帰るしかないんでない?」
皆と分けようとすると、全員こっちに手を払いながら、いらないと言う。
ふむ、じゃルームメート分けるか。
ジェフは店内に入って店のオーナーらしき人と話している。外に出てくると、一枚の紙切れを渡される。
ジェ「(日本語で)お疲れ様。今日のギャラね。」
え?
あ、そういやお金貰えるって言ってたっけか。
遠慮しがちな日本人らしく、いやいやあんな演奏じゃ貰えませんとか言ってると、周囲に首を傾げられた。
ジェ「大した金額じゃないし、皆も貰ってるから、貰ってくれないと困る。」
困られるのは困るので、受け取る人生初のジャズ演奏でのギャラ、$42。
—–
帰りの車内、信号待ちでチョロチョロと助手席に載せた箱一杯のクッキーとケーキの箱の中を覗く。
ふと去年末の初渡米の頃を想う。
ちゃんとかは別として、意外とアメリカ人に混じって何かをやれてるもんだな。
結構やれてるやれてる。
よしよし、前進してる気がしてきた。
かなりしてきた。