H-1Bの転職:大学職員の場合(下)
10月21日。
出張の道中、WSUから「外国籍だから対象外ということはない」と嬉しい返答メールが来る。すると、少し遅れて、レファレンス頁に載せたい人達全員から「是非載せなさい」とこれまた快い返答が来る。
通常3人くらいを記載するらしいが、今回は急ぎであったため、「返信が来ない」などの事態に備え、5人に確認する。
短大学長2名、某IT会社のCIOでWSUビジネススクールの役員1人、アンドリアを含む現職場のディレクター2名(直属の上司ではない)。
最初の3人はすでに「先方に軽く連絡入れておいたげる」とヤル気満々。
「ま、大は小を兼ねるか。」
その日のホテルでパソコンをいじりながら、今回はそのまま5人をありがたく記載することに決定。
出張から戻り、改めて夜遅くまで応募書類をまとめ、アンドリアに「一度目を通してみてくれる?」と依頼メールに添付。
(前職が制作だったため、個人的な経験から強く思いますが、「(求人応募であれ)何かを提出する前に第三者の目を通す」という作業は結構重要です。)
同じ頃、アンドリアと自分と共に「トリオ」として、主に手続きのスペシャリストの一人として頼りにしていたバーブがリストラ対象となる。やり取りと交渉の結果、残れることが決まったがディレクター職からの降格と減給が決定。
ますます背水の陣で臨むしかないことを自覚。
10月23日。
「いいんでない。」
アンドリアからのゴーサインを受信後、今度はWSUの求人応募ページを開き、該当ポジションを選択。
応募に際し、まずは(提携外部)応募サイトにアカウント開設の必要あり。これがまた面倒くさい。
結構「重要だな、やっといてよかったな」と思ったのが、学生時代から不定期に続けているボランティア活動。応募サイトの項目が1ページ、ボランティア経歴に割かれている。たまたま現在も続けているものを含めて、4団体を記入できたのは幸い。
この「必須項目を埋める」作業だけで、(慎重にやったからか、遅いからか)余裕で2時間以上を費やす。
月曜に見た求人募集広告から、すでに木曜夜になっている今。すでに時計の針は9時過ぎを指す。
仕上げに、これまた結構重宝したのが、(いやらしく宣伝するわけでないですが)マサさんの過去記事。「履歴書」と検索して、読み返しまくり。そして、また添削・更新。
「応募(Submit)」ボタンを押した時にはヘロヘロだが、とりあえず仕上げに至れた達成感に「バーで一杯やろう」と帰りに(外で飲むと高いのに)ウィスキーをストレートで引っ掛けたりして。
募集要項には「11月7日、応募〆切り」とある。
その期日を過ぎたが、うんともすんとも連絡が来ない。
結構いやらしいな、と我ながら思ったのが「試しに」と期待せずに応募したはずなのに、やっぱり何かを期待している自分がいるところ。
「正式に11月27日が最後になるから、その前に今週またランチ行こう。」
サンクスギビング連休の前の週、アンドリアが携帯にメールしてくる。
どうせだから、(ちゃんとイタリア出身のシェフがいる店だが)「アメリカのなんちゃってイタリアンで最後〆るか」と返信する。
「もう最後だから、お昼休み2時間くらい出ちまうか。」
当日11時頃からお店に向かう。
2009年夏、「Friends University」での仕事を開始して二日目に「はじめまして」と出会って以来、本当に仲良くしてくれたアンドリア。思い出話は尽きず、少し湿っぽくなりながら、意外と高レベルなイタリアンに驚きながら、お互いの「人生の次章」について語り始める。
ア「あ、てかWSUの話、なんか聞き辛いから言わなかったけど、どうなった?」
俺「まったく音沙汰無し。」
ア「そうか。電話かけてみる?」
俺「いやぁ、なんかLinkedInで『用があったら先方から連絡してくるはずだから、騒がないほうがいい』て記事読んだらさ、何か妙に納得してさ…」
ア「ま、確かにそりゃそうか。」
俺「潔く、『次』て気持ちを切り替える感じかね。」
二人ともお腹一杯でデザートはティラミスを二人でシェアしながら、シシリー島の話に移る。
キャンパスに戻り、車を降りてガシッとハグした後、お互いの建物に戻る。
俺「ま、また来週月曜の最後の日にオフィスに立ち寄るわ。」
ア「もちろん。立ち寄らなかったら怒るから。」
11月21日朝。
そのまま週末に突入するかと思いきや、携帯が鳴る。
知らない番号が画面に表示されている。
「はい、もしもし、タツヤです。」
「WSUのターニャです。今回応募していただいたポジションについての連絡です。来週サンクスギビング前、面接に来てもらえますか?」
「イエスッ」
電話を切ると、急いでアンドリアに携帯メール。電話がかかってくる。
俺「へい、面接、来週火曜になったわ。」
ア「イエスッ!面接前に、何か手伝えることあったら遠慮なく言って。」
俺「口頭でプレゼンしてくれ、て言われたから、来週ちょっとその練習に軽く付き合ってくれると助かる。」
ア「もちろん。」
その週末、改めてWSUからメールで受信した情報を元にプレゼンをまとめる。
10分間程度のプレゼンは、軽く原稿を用意し、自前のデジカメで撮影し時間を計りながら練習すると、11ページくらいの原稿(資料)になる。
添削と音読を繰り返しながら、編集する作業を繰り返す。ほぼ暗記した状態に持っていってから、少し冗談、オチを加える。そこから再度練習を繰り返し、月曜の予行に備える。
11月24日。
思いのほかウケてくれたアンドリアの反応に安堵感を覚えながら彼女のオフィスを後にしようとしたところで呼び止められる。
ア「てかさ、明日何を着るの?」
俺「一応無難に灰色と黒のスーツ両方はクリーニングに出してあるから、今夜取りに行くんだけど… 灰色のに紺一色のネクタイかな。」
ア「WSUはスクールカラーが、黒と金だから、黒のスーツにして… ネクタイ、なんか黒と金がベースになってるのを買っていけたら一番なんだけど…」
俺「あ、じゃお昼休みにモール行ってみるわ。」
昼食そっちのけに立ち寄ったのは、日本でいう「青山」みたいな「Men’s Warehouse」。
意外と悪くないチェック柄のものを2種類発見。ついでに安い奴も。慎重に写メをアンドリアに送り確認する。
写真内、一番上のもので及第点を貰い、無事「最後の仕上げ」を購入し仕事に戻る。
ネクタイ、物凄い久し振りに買ったが、結構高ぇな。
11月25日。
朝8時50分。Wichita State University International Education Officeに到着。
受付で「朝9時に約束がある、タツヤと申します」と挨拶をすると、「あ、面接の方ね」と座って待つように促される。
数分後、「へーい」と声をかけてきたのは知り合いの中国人、ファイ。
何やら、面接はファイ、また別の知り合いヴィンスにターニャの3人で行う、とのこと。
3人中2人が知り合いという、これまた吉と出るか凶と出るか不明な状況で面接開始。
元々知り合い(というか友達)ということもあり、予想外にカジュアル。
以下は、(お馴染みかも知れないが)実際聞かれた質問。
- 自己紹介(定番)
- ボス、同僚、クライアントとの関係は?
- 自分のコミュニケーション能力をどう評価する?
- 米国留学のコスト高が話題になる中、留学をどう売る?
- この仕事を始めるにあたって何か特に取り組みたいことはある?
- 四年間で大学卒業する割合が最近下がっているが、これを心配する出願者にどうWSUを売る?
- アジア諸国には色々な変わった食材があるが、そのような物への反応は?
などなど。
無事プレゼンをこなし、拍手と笑いもとる。
最大1時間程度を予想していたが、なんと雑談を含め2時間半を過してしまう。
ファ「サンクスギビング明けに、あともう1人面接予定で、連絡はその後になるから。」
俺「了解。」
3人と握手を交わし、ヴィンスに「てか、また今度都合合わせて飲みに行こうよ」とか訳の分からない口約束で〆た面接を後に、キャンパスに戻る。
アンドリアに早速メールする。
ア「胸に手を当てて…ぶっちゃけ、どうだった?」
俺「予想外にカジュアル過ぎて、どっちだったのか正直分からん。あ、面接のお礼って、した方がいいモンかね?」
ア「あ、お礼の手紙を貰って悪く思う人はいないから、念のため、書いて、ちゃんとした紙に印刷して今日中か、遅くとも明日までに届くようにしたほうが良いかも。」
俺「あ、じゃすぐ書いて、自分で車で明朝までに届けるわ。」
サンクスギビング連休が明け、12月突入。
師走らしく、周囲が冬休みに向けてバタバタする中、大学は期末試験の週が始まる。
連絡が来ない。
ここまで来ると、結果云々ではなく、正直「終わりを見たい」という気持ちだけ。
または前回の電話連絡の時と同様、勝手に「次」と気持ちを切り替えるしかないか。
何はどうであれ、今目の前にある課題をこなしていかないことには変わりはないし。
12月8日。
出勤後、まとめなくてはいけない企画書に焦りながら、2015年春学期に来る生徒とのやり取りをしていると、携帯が鳴る。
また知らない番号である。
俺「はい、もしもし。タツヤです。」
ヴィ「へい、タツヤ。先日は面接に来てくれてありがとう。今回タツヤに是非WSUの一員になってもらいたいのだが…」
イエス。
イエスイエスイエス!
ヴィ「ただ、WSUは新しい人を雇う時、バックグラウンド・チェックが必要なので、今回は口頭でのオファーになるから、書面での契約はまた後日。今、この電話口に就労ビザ手続きを担当する、スーがいるから、今回の『就労ビザの移行(H-1B Transfer)』についてのやり取りは彼女とお願いね。」
当日午後、スーから次々と送信されてくる各種WSU雇用者向け書類に目を通す。
– H-1B Request Form(就労ビザに関する契約書).
– H-1B Personal Data Form(ビザ種類、契約内容、勤務開始日などの契約書).
– H-1B Checklist(今回必要な就労ビザ申請書類13種類*のリスト).
– Actual Wage Statement(米国労働省へ提出する給料詳細の証明書).
(*各種職場・申請内容により、必要書類の内容や数は異なります。)
H-1B Transferと今回のように非営利団体(Friends Universityも同様)での申請の場合、年間の就労ビザの発行制限(H-1B cap)には引っ掛からないので、その心配はないが、このバックグラウンド・チェックに何か緊張する。
12月9日。
早速スーのオフィスに向かい、就労ビザ申請書類の手続きを開始。
WSUの人事から、今回の条件として「1月19日までに勤務開始が必須」と言われていたため、仕方なく自腹で「Premium Processing」費用$1,225を支払うべく、小切手を書く(涙)。
この手続きをすると、ビザ申請先であるU.S. Citizenship and Immigration Services(米国移民帰化局、USCIS)は就労ビザ申請書の受領日から平日・週末関係なく15日間以内に手続きを完了してくれる。
可能な限り書類を仕上げ、スーのオフィスを出た後も、彼女はほぼ毎日電話かメールにて進捗状況を報告してくれる。この丁寧さは稀だ。感激。
その後、数回のやり取りを交わす。
12月18日。
最後の直接の書類手続きのためにWSUに赴く。無事、書面での契約を交わした後、なぜか餃子の皮の作り方を30分以上ヴィンスと話す。
12月19日。
USCISから申請書受領のメールを送信。
これで、なんとか年始すぐに審査が無事終われば、1月5日に退職届を提出できる。
スー、ヴィンス、ファイ、ターニャに一連の手続きについてお礼のメールをし、クリスマス休暇に備える。
12月24日。
スーからのメールを受信。
ス「おめでとー、無事許可下りたわよッ!」
俺「うぉーうぉーうぉー」
12月30日。
現職のオフィスに向かい、事務処理を済ました後、諸々を片付け始める。その勢いで(日本で提出以来の)退職届を書き始める。内容はまさにマサさんの記事にある通り。
1月2日。
相変わらず働き者のスーからメールを受信。
ス「USCISから正式な書類が届いたわよッ!」
俺「うぉー凄ぇー、うぉーうぉー… てか、まだクリスマス休暇中でしょ?」
ス「タツヤが気になってたら可哀想だから、一応確認しにオフィスに顔出したのよ。」
俺「うぉー(彼女の優しさに感激、男泣き)」
1月5日。
現職の上司に退職届を提出する。
俺「こちらが退職届になります。」
上司「… what!!!」
紙面にあるように、お礼と退職日を伝える。
一応、先方は終始笑顔で応対してくれるが、俺がぎこちない。
今後のことについて質問攻めに合うと思ったが、意外とあっさり受領される。上司のオフィスを後にし、何事もなかったかのように仕事に戻る。
春学期から来る新入生が今週続々とウィチタに到着予定。
それに伴い、「あのさあのさ、タツヤさぁ、あのさあのさぁ」と質問メールが多くなる。
カチャカチャ返信しながら、ふと思えば、横浜の前職に退職届を提出し、初めてFriendsのキャンパスに足を踏み入れてから、ちょうど7年くらい。
あの時も、今と同じように雪が積もったキャンパスの光景。
学生として3年。
スタッフとして3年超。
大変お世話になりました、という感謝の気持ちで胸一杯。
その後、友達、元・同僚達にその旨をメールや携帯テキストで報告する。
「でかしたッ!」
先に転職を果たしていた同僚からは昼飯・晩飯のお誘いがくる。
所謂「元フレンズ・スタッフの会」みたいなノリ。
ボスにお願いした同じオフィス内の同僚への周知。
「え~まじで~」
でも皆素直に喜んでくれる。
一部教授達からは早速メールが溢れる。
「え~ちょっとちょっと、移る前にランチ行こうよ。」
特に住所が変わるわけではないのだが、ま、お誘いは嬉しいもの。
まだ冬休み中の生徒達へはFacebook上の生徒用掲示板で来週報告予定。ちょっと、どういう内容を書いたほうがいいのか、まだ分からない。詫びるのか、単純な報告なのか。ま、悪いことしたわけではないのだが、なんか後ろめたい部分も少しある。
1月6日。
朝一番、オフィスのPCにログインすると、システム発信のメッセージに気付く。
題名「Employee Separation – Tat Hidano 1-16-2015」。
中身は、「Employee: Tatsuya Hidano/ Termination Date: January 16, 2015/ Position: International Public Relations Specialist…」。
どうやら、ここでの最終日1月16日11時59分を過ぎると、自動的に自分のアカウントは無効になる手続きだった模様。
絶対数で見ると大したことのないが「2012秋-2014秋の売上、90%超成長」を達成した。
この段階では当然だが、後釜を埋めずに廃止の流れらしい。
ボスは常々「タツヤには、何年も居て欲しい」と繰り返し言っていたし、結果的にそうなっただけで考え過ぎなのかも知れないが、経営陣の方針からすると、自分の解雇はもうすぐそこだったのかもな。
自分の中の一つの時代が終わりを迎える実感を強く覚える。
とりあえず誰も何も教えてくれない中、なんとか孤軍奮闘できたのも、素敵な教授達と可愛い生徒達に囲まれていたお陰。そんな俺、お疲れ。
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早速今週から来週末まで二束のワラジで、二つのキャンパスを往復予定(車で片道約15分)。
さて、新しい環境と仕事が少しずつ楽しみになってきた。
ちなみに、一発目の出張は東京。
ラッキー。
てか、またビザ面接の手続きか…
アメリカの転職の裏側を知ることができて、とても興味深かったです。
私も、人員整理に遭遇したことがあり、あの何とも言えない緊張感(と寂しさ)を記事を読んで思い出しました。
WSUでの武勇伝、期待しています。
Fredさん、どうもありがとうございます。
武勇伝というか、生き残りをかけての駆け引きばかりになるような…
ま、どこ行っても食っていかねばならんので、踏ん張ります。
よろしくお願いいたします。