I love youの使い方を間違えると…
こんにちは、Masaです。
今日は、うちの子供達に聞いて初めて知ったお話。
日本では大して問題がない言葉でも、アメリカ(だけではありませんが)では使い方を間違えるととんでもないことになる言葉って結構あります。今回は、
I Love You.
この言葉、日本語に訳せば、
「私はあなたを愛しています」
「愛してるよ〜」
てな感じになります。ま、英語でも同様の意味で使われていることは間違いはありません。
ところが、どのような状況で使われるのかが、日本とアメリカとでは違います。
日本の場合、割りと気軽にI Love Youって言葉、使いませんか?例えば、付き合い始めて数週間でも、彼氏、彼女との関係がうまくいっていれば、
「俺、お前のこと、愛してるんだよなぁ…」
なんてこと、言わないでしょうか。わたし個人的にも、「愛してるよ〜」ってのは、付き合っていればそれほど重みは感じてなかったですね。
もちろん、赤の他人に「愛してるよ〜」なんて言うと、思い切り引かれますけど。
男性の場合、彼女の誕生日に、夕食後、プレゼントを渡しながら、
「愛してるよ。これからもいっしょにいようね。」
みたいなこと、言いますね。
女性の場合はどうでしょう。
バレンタインデーで、付き合っている彼氏にチョコレートやプレゼントを渡しながら、
「愛してる♪」
なこと、手紙に書いたり、言ったりしますね。
付き合っていれば、あまり照れずに、
「愛してるよ〜」
って言えません?
ま、もちろん、年齢にもよりますけどね。
で、本題の、アメリカでのI Love You。
子どもたちに聞くと、日本と比較すると、かなり「重い」言葉とのこと。
ちなみに、「付き合ってくれませんか」と、男性から女性に告白する場合に、英語でなんと言うか。
“Will you be my girl friend?”
だそうです。
で、女性が同意すれば、そこから付き合いが始まるわけですが、付き合っていても、よほどのことがない限り、I Love Youは言わない…とのこと。
娘曰く、
「付き合い始めて、ひと月くらいたったときに、相手から、I Love Youって言われて、思い切り引いてしまった。あまりに唐突だったので、言われたすぐに一瞬別れてしまった。まぁ、またしばらくしてよりは戻ったんだけどね。」
だそうで。
それくらい、I Love Youってのはおも〜い言葉らしい。
また、ある日、息子に、
「お前、彼女と付き合ってからもう半年以上経つよな。I Love Youとか言いまくってるんじゃないの?」
と聞いたら、息子は、
「I Love Youなんて半年じゃ早すぎるよ。まだまだ。」
と。
「え?I Love Youってそんなに特別な言葉なの?」
と私。
娘や息子によれば、I Love Youという言葉は、相手との間をかなり真剣に考えていて、近い将来結婚するかもしれない、と思っているような場合に使う、ひじょ〜に大切な言葉とのこと。
なので、例えば男性が女性に対してI Love Youといった場合には、
「俺は君のことを真剣に考えているんだ」
と言う大きな意味を含んでいるとか。なので、言われた女性もその気持を真剣に受け止める。もし、受け止められないようであれば、うちの娘のように、別れてしまう場合もあるとか。
なので、付き合い始めたばかりで、I Love Youなんてことばは、そうそう軽々しく口にするような言葉ではないということらしいです。
じゃぁ、アメリカの場合、日常茶飯事に使うI Love You的な言葉って何?
“You are beautiful.”
のような、相手の容姿を褒めるような言葉をよく使うそうで。
逆に…
アメリカでは、夫婦間や、親子間では頻繁にI Love Youが使われます。
“I Love You Honey.”
とか、
“I Love You My Girl/Son.”
とかは、それこそ毎日のように使っています。
日本では、こう言うのってあまりないですよね。
と言うことで、I Love Youをアメリカで使う場合には十分に気をつけましょう。
“You are beautiful.” は小2の娘の誕生日ブック(クラスのお友達がいろいろ書いたものを先生がまとめてプレゼントしてくれます。)に確かに書いてありました。なかの良い男の子の友達で、アメリカではこんな事を普通に書くんだ、と思ったのですが、あれは彼の好意も伝えてきているんですね。
私の大昔の学生を思い出しても、結構アメリカ人でもはっきりした言葉がなくて、慎重でわかりにくかったと思います。誘われて外に出ても映画とかだと純粋に留学生連れて映画を見に行ってるのかとも思うし。勉強に忙しいと簡単にひきこもって会わなくなります。純粋な日本人の女性では“You are beautiful.” ではありがとう、で褒め言葉の1つで片づけてしまう気も。まあ、その言葉の重さもおそらくタイミングと雰囲気が付いてきて、の事でしょうか。。