「行ってから踏ん張んべ」 (8)

夕方に帰宅後、ムンちゃんから貰った彼女の電話番号の走り書きを自室の机に取り出す。

サササと書いてた割に彼女の几帳面さが伺える、はっきり描かれた「Moon Kim」の文字を見ながら、「さて、これは…」と脱力。

渡米以降、(先生以外では)初めて「まともな英会話をした」という事実が素直に嬉しい。「明日学校に行ったら、友達がいる」という事実にもジワジワと嬉しさがこみ上げる。

早速電話したいような、電話をしたところでどうするのか(この時点で電話は鬼門中の鬼門ですから)、実家には家族住んでるから両親出たらどうするのか(もちろん携帯なんてない時代ですから)、てかムンちゃんのお爺ちゃんお婆ちゃんとかウッカリ出たらどうすんのか。

煮え切らないことを色々と考えていたら夜10時を過ぎている。

「ふむ、ちょっとこれは遅いか…ま、明日また会うだろうから」とその日は諦めて(?)いつもの勉強に戻る。すぐ気が散る。

(基本的に話すほうなので)まだ「頭の中で『日本語→英語』の翻訳をしてる」感覚がまどろっこしい。でもまぁここからだな、とかいつものように自分と会話を始める。というか、明日の会話の予行練習が必要な気がしてきた。

その晩、いつもよりも念入りに会話例を思い付く限り書き出して踏ん張る自分に笑ったものです。

翌朝、なんとなくバッチリと再会を期待をしながら登校。朝の引き締まった空気が気持ち良いものだ。

学校到着。

にらんでも時計の針が早く進むわけではないのだが、授業中に何度も時計を目をやりながら、やっと「次の授業!」というタイミングで教室移動。

廊下に出ると「タツヤ~」と手を振りながら早速ニコニコとしてるムンちゃん。別に付き合ってるわけでもないのに、ニタ~としながら立ち寄る俺。

さっぱりしていてテンポが速いムンちゃん。すぐ「ヘイヘイ」と昨日のつづきが始まる。

一緒に次の教室に向かい歩き始めると、ムンちゃんが「そういえば、あだ名ないの?」と聞いてくる。

当時の自己紹介はまだフルネームで「たつや」。

我ながら少し伝え難いなぁ~と思ってたが、中国人・韓国人留学生がよくやる「英語名のニックネーム」は若干照れるし、実際ややこしい。

「日本だとね、名前の最後に『ちゃん』とか『君』とか付けるね。俺の場合は、『たっちゃん』みたいな」と、ちょっと難しい説明をなんとなく英語で頑張る俺。

「あ、それなら簡単だわ。たっちゃん」と早速のムンちゃん。

その日はランチも一緒にとり、何を話したか思い出せないくらい(たぶんしょ~もないことを)ひたすら話し尽くす。

今思い出しても、ムンちゃんは間違いなくアメリカで作った初めての友達。

「韓国美人」とかいうことを抜かしても、あの常にニコニコしてハキハキして几帳面な感じには癒されていました。同時に「もっと英語を喋れたら…」と強く思えたものです。

出会いから、少し経ち、ふと会話の中で「そういえば、電話してこないね」とムンちゃんがボソッと聞く。

「…いやぁ電話はちょっと苦手でさぁ」と頭をかく。

「何番?」とメモ帳片手に聞いてくるムンちゃんには逆らえず、「え~と」とホストファミリー宅の番号を告げる。

その夜、もちろん「へイ、たっちゃん?」とムンちゃんからの電話が鳴ったものでしたが、「やべぇ、やっぱ電話はまだ辛いな」とまだまだな俺。

海外旅行したことある人なら分かると思いますが、現地到着して日が浅い頃は独特の「勢い」があれば、細かいニュアンスを伝える語学力がなくても、不思議と会話は成立するものです。

つっかえながら、間違えながら、ゆっくりと一生懸命に伝える側(俺)。

我慢強く、時々「~ってこと?」と確認したり、言い直したりして時間をとってくれるムンちゃん。

時々、彼女に何かを言われても「…やべぇそんな単語知らん」と無言で口をへの字にして目を細めて、「ちょっと待って…」と何となく単語を調べたことも何度も何度もありました。

何事も、前向きに諦めず、ひたむきな向上心さえあれば、数をこなす内に何とかなるもの。それを実践していたのが、この頃だった気がします。

一方、ムンちゃんに対しては、我慢強く常にニカニカと相手してくれる「ほんとに良い人」という気持ちと、(当時彼女は「家計のため」と放課後と週末はほとんど働いていた)「がんばってる人」という尊敬の念が日に日に増す。

二人ともたった18~19歳(ムンちゃんは一歳年上)なのに、生い立ちとか話したりするとキリがなく、「あ、そろそろ時間じゃんな」と別れ際はいつの間にか「じゃ、また明日」が当たり前になる。

ある日の放課後。今まで「帰る」しか選択肢のなかった僕を彼女の自宅に連れて行ってくれる。「お寿司好き?韓国のだから日本のとは違うと思うけど」と聞きながら、ササっと「キムバップ(韓国の海苔巻き)」を作り出す彼女。「待て」状態で「ハァハァ」とシッポを振り「よし」を待つ犬のように俺。

その後、ほんとに言葉が通じないんだけど、笑顔で「ウェルカムウェルカム」と先方の家族に迎えいれられたその日の夕飯には涙出そうでした。てか、初体験の「韓国人が作る韓国料理」が予想以上にめちゃくちゃ辛かったのもあるけど。

三月上旬。

林君から「たっちゃん、最近どうよ」と久々に電話をもらう。

「新しいバンド入ってさ」という、リンの「シアトルの今」を聞きながら、違う環境への憧れが膨らみ出したのは、なんとなく当初の葛藤する自分への気持ちに「区切り」が付いたからなのか、この先の展開を考え出す。

年末の渡米から、丸二ヶ月半。

朝から晩まで暇があれば装着していたラジオのイヤホン。リュックサックに常備していた二冊の英和・和英辞書。とりあえず右も左も分からず音読に使っていた(未だにどんな内容だったのか分からない)小説。帰宅後に点けていたテレビ。小学校のときの漢字練習のように英単語を書きまくった裏紙の山。

ムンちゃんとの出会い、その後の毎日の会話。加えて、今ではすっかり趣味となった日課の「アメリカ人の発音をランダムに聞くヒアリング(人間観察?)」の成果なのか、気付けば恐れおののくことなくアメリカ人と英会話をできるようになっている「今の自分」。

第一声を発してから会話が終わるまでに「つっかえる」こともなくなり始めたのはこの頃。「え、日本から来たの?アクセントないから、アメリカ育ちかと思った」という本当に嬉しい言葉を聞くようになる。(とか言って、今でもたまに日本語ですら「つっかえる」んですけど)

う~ん、シアトルか。

つづく 

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2 comments on “「行ってから踏ん張んべ」 (8)”

  1. 踏ん張ってきた成果がでてきたのが2ヶ月半は早い!!
    私は5ヶ月位かかりました(涙)
    しかも今はその頃のように一切しゃべれません(はぁ~凹↓)
    今でもムンちゃんとはお友達ですか?
    私は最近韓国ドラマにはまってるので韓国語がやたら耳に入ります。
    オムニ~(笑)でも一度死ぬほどヒヤリングした経験は生きてるのか、
    韓国語聞いても意外にもスラスラ単語入ってきますー
    海外旅行したいけど旦那が英語ビビッてます。たっちゃん、帰国の際、ご指導お願い致します。

  2. りょ~ちゃん、旦那に「V系でブイブイだった過去に比べたら、英語の壁なんて屁でもないよ」とゴルフなんてしてる場合じゃないことをお伝えください。とりあえずComplexのカバーからだ、とも。

    韓国語のドラマ、俺も最近見直さないとなぁとは思ってるわ。「チャングム」はNHKでやってた頃は毎週見てたけど、はは。あと、韓国系映画は悲し過ぎて好き(結構マジで泣きます)。

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