続「行ってから踏ん張んべ」(1)
1995年冬の初渡米から季節は変わり、春。
TOEFLのスコアはまだ低く、ESLのままではあったその頃。
ワシントン州タコマ(Tacoma)にある「Tacoma Community College」から、シアトルにより近いベラビュー(Bellevue)にある「Bellevue Community College(現Bellevue College)」に転校。
渡米当初とは異なり、その頃までには、たどたどしくも、自力でホストファミリーを転々したりルームメイト募集などに応募できるところまで環境と英語には慣れて、行動範囲も広がっていた。今では携帯のナビを利用しないとウィチタ市内も運転できないのに、当時は地図がなくても車でシアトル内外の道を網羅していたもの。
ただ、貧乏症なので、いちいちお金の減りが気になる。
頑張って働いて十分貯めたはずなのに。
そこで、まず始めたのが、ホストファミリーと交渉し、「部屋のみ・食事無し」という形で生活費節約(というか食費削減)。
この時は「割安なものを上手に買う」ではなく、「極端に食べない」というもの。
一日の摂取内容は「特売のじゃがいも2個(野菜)、特売の食パン5枚(炭水化物)、特売のピーナッツバター一口(たんぱく質)、特売の牛乳コップ数杯(カルシウム、)、水」。
今思い出すと背筋がゾッとするが、当時は筋トレやジョギングも毎日欠かさなかったため、色々逆効果で、立ちくらみや運転中の目まいなどは日常茶飯事。
洗濯中に空腹のため、ホストファミリーのピーナッツを思わず勝手に摘んで怒られたり(若干厳しい中華系アメリカ人ホスト)…
酷いときは、頭を下げて友達からカフェテリア内の「持ち出しが可能な品」を差し入れしてもらったり、ハンバーガーを食べ途中で捨てそうになってる友達から貰ったり…
元々頭が弱いので、今思うと「何考えてんの?」と頭をひねるようなことも、「これが安い」と思いこんでいたもの。
必死に我慢していたが、人生の中であそこまで空腹になった記憶は他にない。
「タツヤくん、そういうのって骨がやせて、結構年齢が行ってからが大変になるから、食費削るのはやめなさい」
当時、たまたま学校のESLで知り合い、札幌出身の元看護婦・ホッシーに言われる。
そんなこんなで、ちゃっかりお呼ばれし、お邪魔してはご馳走していただいていたり…
「でも、お金が続かないしな、このままじゃ…」
2年くらいはいける金額を日本で用意したつもりだったが、予想以上の出費が重なり、ちょっと計画が狂い出す。
また、比較的安全な環境に身を置きつつ「より英語に浸りたい」「英語が上達したい」という気持ちだけで、引越をしたが、当時は「留学生の大半は日本人」という留学ブームの最中。
ただでさえアジア人が密集する「留学生に大人気なシアトル」は、下手すると「英語がなくてもいける」日本語OKな環境(実際そうだったかは微妙ですが、そういう印象だった)。
渡米当初よりは比較的力が抜けて、少しなら日本人留学生とも交わるようになるが…
「このままじゃ、いかん。絶対に、いかん。」
実際は、環境の問題ではなく「言語の習得」というのは単純に時間がかかるものだっただけなのに、結果が付いてこない現状にいらだつ。
もちろん、Bellevueでも素敵な出会いに恵まれ、英語面以外では何不自由することない。
でも何かが違う。
「ひょっとしたら、もっと安いところに移動すれば、お金の心配をしないで勉強に集中できて、色々立て直せるもんかも。」
何なのか分からないが「これ」というものを探して、「次の展開」を求め、学校の図書館に足を運ぶ毎日。
「ネットで検索する」という言葉を耳にする数年も前の話なので、学校に関する調べごとは全部「電話帳」のような全米大学・短大に関する本を借り出して、ひたすら読み込む感じ。
州内はどこの学校もほぼ値段が変わらない様子。
「じゃ、他州か。」
車を所有してしまっている今、シアトルからの移動距離を考えて、アメリカ西側の州だけに絞る。
選択肢は少ないが、値段を比較すると、アイダホが断然安め。
ふ~む、ジャガイモのアイダホかぁ…
待ってました!
タツヤさんのアメ10!
あらま、ヒサヨさん。
ありがとうございます。
また定期的に不定期になりそうですが、がんばりま~す。
よろしくお願いします。
>特売のじゃがいも2個(野菜)、特売の食パン5枚(炭水化物)、特売のピーナッツバター一口(たんぱく質)、特売の牛乳コップ数杯(カルシウム、)、水
これすごいですね・・・育ち盛り(?)の男の子なのに・・・苦笑
若いときは「節約=食費削減」と思っちゃいますよね。他にできることってあまりないし。
私もESL中には毎日、パスタだけとか、キムチチャーハンだけとかっていう生活してたのを思い出しました。今考えると、ありえないですね。笑
次回も楽しみにしてます。
エリナさん
あの当時、マルチャンの10セントのインスタントラーメンをスープの素半分で作って一食にして、別の時は炒飯をその残り半分で作って(具はネギと卵一個)とか…
ま、意外と何とかまとまるもんですね、人生とは(今がまとまってるかは別ですが)。