アメリカで働く自分の原点がここにあったことを思い出した

カレン・カーペンター

こんにちは、Masaです。

今、何気なくYoutubeをブラウジングしていたところ、あるミュージックビデオに行き当たりました。

それがこの曲。

 

イエスタデイ・ワンス・モア

 

で、歌っているのが

 

カーペンターズ

 

その当時、確か小学6年生だった私は(て、歳わかっちゃうじゃん 苦笑)、日曜日の朝は、自分の親と一緒に、朝寝坊をしていました。と言っても、親とは違って、朝早く目が覚めて、布団の中に持ち込んだ本やらラジオやらをいじりながら、親が起きるまで待っている週末でした。

 

で、ひょんなことから、日曜日朝、必ず聞くラジオ番組ができたのです。

ラジオ局名や番組名、朝何時からやっていたのか全く覚えていないのですが、その番組では、必ずカーペンターズの曲を取り上げていて、番組内で何度も曲を流していたのを覚えています。

 

その当時の小学校は英語教育など皆無、ゼロでしたから、当然私はわかるはずはありません。もちろん、中学生だった姉貴の影響もあり、グッドモーニングとか、ドッグ、キャットなどの誰でも知っているような言葉は知っていましたが、特に英語に興味があるわけでもなく、ただ、なんとなくそのラジオ番組を聞いていた…と思います。

 

が、その番組を聞き始めてどれくらい経ったころか覚えていないのですが、ラジオからカーペンターズのある曲が流れてきて…、何か…、こう…、よくわかりませんが…、体の奥の方から、じわ〜っと湧いてくるものがあって、

 

「わ〜、すごくいい曲だなぁ」

 

と思ったのを今でも覚えています。

 

もちろん、歌詞などわかるはずもありませんが、心の中に響いてくるとか、心が暖かくなると言うか…。

 

で、中学に入学して、英語教育が始まり、その後はカーペンターズにどっぷり。開けてもくれても、カーペンターズの曲を聞いていました。

 

当時、うちはそれほど裕福ではなかったので、ステレオなどなし。かろうじてあったのが、当時うちの姉貴が旺文社(懐かしい)の英語通信講座を受講していたためにあったカセットレコーダー(注:ラジカセではない)。オヤジのラジオから流れるカーペンターズの曲を姉貴のカセットレコーダーに一生懸命録音。そりゃもう、雑音だらけの録音。姉貴やお袋の声は入ってるは、自分のお菓子をボリボリ食べる音ははいっているは、音楽鑑賞なんて…と思うほどのもの。

 

中学3年生になったときに、同じクラスにカーペンターズファンがいるのを見つけてから、彼(うちよりも裕福でした)のレコードを片っ端からコピー………してもらうように彼に依頼。著作権などクソくらえで(すでに時効なので白状します)、バンバンコピってました。歌詞はレコードを見ながら、写経のように紙に写し取る。

 

その後、英語への興味もますます増し、アメリカントップ40や、今はなき、FEN(横田基地にあった米軍英語放送)で、英語歌番を楽しんでいました。日本の歌謡曲よりも、洋楽を好んで聞く毎日。

 

こんな毎日でしたから、私の英語への興味もますます深くなり、成績も他の教科とくらべて、かなり良かった…はずです。また、生の英語を聞いていたので、発音も他の人達よりも、「それらしい」ものじゃなかったかと思います。

 

ということで、久しぶりにカーペンターズを聞いて、昔を懐かしんでいる徐々にシニアに近づきつつある自分に、改めて気がついた瞬間でした。

 

では、カーペンターズの超有名な曲をお聞きください。

YouTube: Yesterday Once More

カーペンターズ

あなたがアメリカに来るきっかけになったことは、どんなことですか? 

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2 comments on “アメリカで働く自分の原点がここにあったことを思い出した”

  1. アメリカに暮らし始めて3年目のわたくしです。
    学生の頃は赤点しか取れなかったぐらいに英語が苦手。嫌いでした。
    短大に進学したものの、英語で落第して教育実習に行けず・・・その頃はバブルのハシリで若者が海外旅行に出かけ始め、英語が出来ない私も海外に興味を持ち、「ワーキングホリデーでオーストラリアに行こう!!」
    と計画をし始めました。
    ところが、父親の大反対にあって頓挫。しかし、彼の友人の息子さん家族が住んでいる場所ならOKと言う事になり、当時、日本に帰国していた息子さん家族と面接をし渡米が決定しました。
    学生ビザを所得するのも苦労しましたが、赤点でもなんとかなるもんです。
    無事にビザを所得してNYへ~(当時、NYがどんな場所なのか、何処に位置してるのかさえ知りませんでした)危ない場所だと聞いていたので、ベリーショートカットにして行ったら
    「オトコなの?オンナなの?」と、当時はよく聞かれたものです。
    3年目でホームシックになって帰国しましたが、それから25年経って今の夫と出会い、彼からの猛プッシュがあって再び渡米したところです。
    50歳よりも前にセミリタイヤしたいと考えていたのですが、(彼はそうしてくれると言ってくれてたのに・・・)
    ハタケ違いの職種で働いています。
    英語、苦手なんだけどな~~と思いながら(^^) 

  2. ゆかさん、

    ご訪問、コメントありがとうございます。

    なかなかすごい人生を歩んでいらっしゃいますね。笑

    もっといろいろとお話を伺いたいですね。

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