Sorryって、日本語では「ごめんなさい」ってことですよね。
I’m sorry.
Sorry about that.
I’m sorry?(聞き返す場合)
など、いろいろな場面で使われます。ごめんなさい以外にも意味がありますので注意を。
アメリカ企業に就職して、アメリカに移住、そして生活。アメリカ生活情報一挙公開!質問にお答えします!頑張れ日本人!
Sorryって、日本語では「ごめんなさい」ってことですよね。
I’m sorry.
Sorry about that.
I’m sorry?(聞き返す場合)
など、いろいろな場面で使われます。ごめんなさい以外にも意味がありますので注意を。
Discussion ディスカッション...議論することです。
Argument オーギュメント...議論...と言うよりも言い合いですかね。ディスカッションよりも白熱してる感じがあります。喧嘩の一歩手前かも。
このブログに来てくださる方たちの中には、ビジネスパースンとして会社で働いている人や、自分で会社を動かしている人もいらっしゃると思います。
スカイプって使ってますか?ヤフーメッセンジャーは?
いきなりわけのわからないタイトルで始めてみました(笑)。
人って、必ず誰かとつながっていますよね。血のつながりだけではなくて、学校でのつながり、会社でのつながり、地域でのつながり、いろいろなつながり、コネクションがあります。
逆に言うと他とつながっていない人は絶対にいないってことですね。
よく、「天涯孤独で云々かんぬん」と言いますが、この世にそのような状況は存在しません。
最近良く思うのですが、つながっている人たちを改めて眺めていると面白いと。
たとえば、私の会社でのつながり。
そこにはいろいろな人種がいます。アメリカ、中国、台湾、香港、韓国、インド、カナダ、フランス、ドイツ、イラン、イスラエルなどなど。珍しいところだと、ブラジル、パキスタンなんてのもいます。
そう言う人たちと会社生活をともにしています。日ごろ、そう言う人たちと、ただ、漫然と会議をしたり、雑談したり、食事したりしいると、特にどうってことないのですが、たまに思うことがあるんですね。
「こいつら、子供のころどこで暮らしてたのかなぁ」
とか、
「親にどのように育てられたのかなぁ」
なんて。どんなときにそう思うのかと言えば...
たとえば、食事をしているとき。
こんなことを観察するのは私くらいなものかもしれません。ま、意識して観察しているわけではないのですが、なんとなくそう感じると言うか。
で、どう言うことかと言うと、
ある人たちは、食事の際、口にものが入っているにもかかわらずべちゃくちゃ話をする。ある人たちは、食べているときには人の話を聞いていて、口にものがなくなったらいきなり話し始める。かと思えば、ただ黙々と食べ続け、人の話に対しては、「うん、うん」とうなずいているだけとか。
もちろん、その人の性格にもよるでしょうね。でも、たまに感じるのですが、そう言うのって国民性が出ていると言うか。国によってなんとなく違うんですよね。人口が多くて、人と人との間に埋もれてしまうような状況の中で育ってきた人たちはどちらかと言うと「はい、はい、俺、ここにいます!」みたいに自己主張型が多いとか。子供のころから大家族の中で育った人たちは、「ふーん、で、どうなったの?」のように聞き上手だとか。
雑談していても、やたら自己主張する人っていますよね。すっごくアグレッシブで、「俺の言うことがすべてだ!」みたいな人。そう言うのもお国柄が出ているような気がします。
食事後の歯磨きの仕方とかね。見てるとおもしろいですよ、ほんと。がーっと洗面所に入ってきたかと思うと、「クチュクチュ、ッペ」と2回ほどやっただけで、出て行ってしまう人もいるかと思うと、ゴシゴシとひたすら歯ブラシで歯を磨く人がいたり。
どこの国の人たちが、どう、と言う話はここではしませんが、国民性がはっきりと見えることがよくあります。
アメリカにきてすでに14年ですが、今でもそんなどうでも良いようなことを新鮮に感じ、そこから気付きを得たりすることがよくあります。
話が発散しそうですが...
人から何かを学ぶ、気付きを得ると言うのは、人から教えてもらって学ぶ、気付くと言うことだけではなく、その人たちの行動、しぐさ、言葉の使い方とか、どうってことないところからもたくさん学ぶものがありますね。良いこともあれば、悪いこともありますが、それをどう学ぶかはすべて自分次第です。自分にとって良いのか悪いのかを判断するには、自分自身を十分に知っている必要があります。つまり、「判断基準」があいまいだと、良いことも悪いことになり、悪いことも良いことになてしまう可能性があるからです。さらに、最悪、悪いこともすべて良いこととして学んでしまい、それに自分自身が気がついていないと言うことも起こりえるでしょう。
では、どうすれば良いでしょう...。
つながり、コネクションから学ぶことは非常に良いことだと思います。なので、どんどん学べば良いんです。それを多少間違って受け入れても良いんです。ただ、重要なのは、それらの学び、気付きを自分自身にきっちり合うように、必ず微調整の作業が必要になると言うことです。
そのためにはどうする?
多分いろいろな方法があると思うのですが、もっとも良いのは、「良いメンター」を持つことではないかと感じています。自分に合った「良いメンター」を見つけることはそれほ簡単ではないかもしれません。
でも、メンターも自分の「コネクション」から見つかるはずです。
話が発散してしまったようだな、こりゃ...。
会社勤めしていると...
1日に何回か上司のところへ行って、現状を報告したり。
週1度、課内ミーティングでプロジェクトの進捗状況をメンバーとシェアしたり。
月に1度、取引先へ行って、今期計画の進捗報告、来期計画予想などを報告したり。
会社勤めをしていなくても...
近所の人と、最近ポピュラーな食品の情報の話をしたり。
子供の学校の指導教官と大学ランクの話をしたり。
10年来の友達と就職情報を交換したり。
人間にとって、コミュニケーションは、自分自身がこの世に存在するために、なくてはならないことです。コミュニケーションを取らないと言うことは、「自分を捨ててしまう」ことと同じ...と思っています。
人とのコミュニケーションを避ける人は、この世に自分の存在価値を見出していない人とも言えるかもしれません。ほとんどの人はそれを「人の責任」にしているようですが。
一般的な話は、人それぞれ考えがあるので、ここで「こうだ!」とは言えませんので、少し横に置いておいて...。
「会社では、コミュニケーションは必須です」...。「必須」では、まだ十分に強調できてないような気がしますねぇ。「会社では、コミュニケーションが出来て当然です」...、何か少しずれているような気もしますねぇ。
ま、とにかく、言葉で表せないほど大切なことです。
英語が話せるようになりたい人は-現実的にかなり無理はあるのですが-アメリカ企業の一員になれば必ず話せるようになります。実際本末転倒ですけどね。英語が話せるからアメリカ企業に入れるんですけど...。
でも、それが出来るとした場合、確実に英語が話せるようになります。
それは英語で「コミュニケーション」しなければならないから。自分の意思を英語で伝えなければならないから。進捗報告、結果報告などなど、すべて英語。そりゃ、話せるようにならない方がおかしい。
おっと...話が横道に反れました...。今日はそんな話をしようと思ってなかったんだ...。
仮に社内でコミュニケーションがうまく取れなくなったら、何が起こると思いますか?今の問題が上司に伝わっていない。クレームになるほどの不具合が社長まで届いていない。お客様からのクレームがクレーム処理班から、品質部門に伝わっていない...とか。
何が起こるか簡単に想像がつきます。企業の存続問題に発展するのは目に見えています。
アメリカ人は個人プレーヤーが多いと言いますね。確か2年ほど前にもこのブログでそんなお話をしたと思います。ほんと、我が強い人間の集まり。それぞれが自分を信じて自分のやり方で仕事をする。同じ方向を向いていれば良いんだけど、当然、そんな人間の中には、他と違って、明後日の方向に向いてひたすら走ってる人間がいます。他の人間は、それを知っていながらも、自分が正しいと思っているから、そんな人間は無視して、ひたすら自分で走り続ける。
社内じゅうそんな状態なのに、いち企業として、大きな利益を上げ、社会貢献もしている。
どうしてそうなってるの?
当然、その人間の上に立つ人がコントロールしてるんですね。言うまでもないことです。
それは、マネージャーであったり、ディレクターであったり、バイスプレジデントであったり、CEOだったりします。
つまり、強烈なリーダーシップを持った人たちが、明後日の方向に向いている人間の頭を、すべて同じ方向に向けさせるのです。我が強い人たちがそんな簡単に言われたとおりのことをするのでしょうか?
それが、するんです。
「リーダー」は「必要以上」に彼らとコミュニケーションを取ります。時には煙たがられることもあるかもしれませんね。でも、根気良くコミュニケーションします。話の内容は他愛もないように聞こえるかもしれませんが、その中には、セクションゴールであったり、ディビジョンゴールであったり、カンパニーゴールだったり、が埋め込まれています。
そうすると、明後日の方向に向いていた頭が、少しずつ回り始め、ついには他と同じ方向に向く。しかも納得づくで。
「新入社員教育」ってありますよね。あれは、「とりあえず」社員の頭の方向を会社の方向に向けるためにやっていることです。「中堅社員教育」、「課長教育」なんかも同じでしょうね。
アメリカでもそんな教育、あります。うちの会社は、入社一日目に必ずそんな教育があります。午前中だけですが。その他にも、マネジメント教育などもあります。
これらは個人のためにやっているように見えますが、実は頭の方向をそろえるためにやっているんです...、と私は考えています。
会社にとって、お客様とのコミュニケーションも非常に大切ですが、それ以上に、社内でのコミュニケーションは重要です。その会社を存続させるためにも。
最近、あるきっかけであることをしていたのですが(なんのこっちゃ...それ)、そのときに痛切に考えさせられたのが、この「コミュニケーションの大切さ」です。
人との会話を大切にしましょう。