タグ: アメリカ生活
アメリカ在住主婦 おススメ アレコレ 第二弾!
Maki-Kです。
前回の【アメリカ在住主婦 おススメ アレコレ】なかなか好評いただきまして、ありがとうございます。
記事を書いた後に、そういやこれもお勧めなんだよな。あ、これも、あれも・・・という物が結構出てきまして・・・
で、第二弾行ってみたいと思います! 続きを読む
アメリカ在住主婦 おススメ アレコレ
スーパー主婦のMaki-Kです。
↑ ↑ ↑
友達に言われたので、使ってみた。
空飛びそうな肩書だな(笑)
もう、お久しぶりって挨拶は抜きで(毎度のことなんではは)✋
今日は主婦・主夫の皆さんへ、
私が普段使っている物で「これはみんなに知ってほしい!」
っと思うものを、台所回り中心に紹介したいと思います。
すべて自分で何年も使った上で、自信をもってお勧めするMaki-K太鼓判アイテム。
キッチンのリフォームを考え中の方も、ぜひ参考にしてください♪
少し英語の勉強にもなりますよ。
まずはこれ。
★ソープディスペンサー
おススメ度👍👍👍👍
もう5年以上使ってますが、便利便利。
見た目も良いし、生肉を手で触った後、
ポンプを触らず洗剤を手に取れるので衛生的 続きを読む
「自然に振る舞う」ということの日米の違い
こんにちは!Tomoです。
アメリカの大学を卒業そして完全帰国し、1年が経ちました。
これからは、
日本に居るからこそ感じる
日米文化の違いなどを
シェア出来ればなと考えております。
私のシェアが、
現在アメリカで頑張っている日本人の皆さん、
そして、
これからアメリカで何かチャレンジしようとしている皆さんの
少しでもお役に立てれば嬉しい限りです。
帰国してから
文化の違いで感じることの一つが、
「自然」に振る舞うということの違いです。
日本とアメリカでは「自然」という概念が違うのではないかなぁと。
それが、今日お伝えしたいことです。
自分が通う英語発音道場 升砲館でも
「日米で自然に振る舞うということはどういう違いがあるのか?」と
学びのテーマになることがあります。
一つ具体的に言えば、
目線の配り方や声の出し方。
日本の社会の中で
日本人は他人となるべく目線を合わせないようにして普段生活しています。
電車の中で知らない人と目線が合った時、
無表情のまま目線をスグに逸らします。
そして何故か気まずい空気感が漂う。笑
だから、
日本の電車の中に沢山ある中吊り広告は
目線を合わせない文化だからこそ、
根付いたものではないかな?
と最近よく思います。
また、
出勤時オフィスに入って朝一番の挨拶、
「おはようございま~す。」と言っても、
大抵はその場全体にぼんやりと何となく言っている感じ。
もちろん、特定の人に言う場合も勿論ありますが。
服など何か買い物に言っても店員さんは
「いらっしゃいませ~。どうぞご覧くださいませ~。」と
機械的にかつ
特定の誰かに言っているのではなく、
もう何か…
店内に流れるBGMの一種と思っても良いのではないかと感じるくらいです。笑
つまり
日本の自然に振る舞うという概念は、
「そこにさり気なく、慎ましく存在すること。
場合によっては、空気のように漂う。または気配を消すこと。」
ではないのかなぁと。
アメリカに居た時はどうだったか振り返ってみると、
もし、知らない人と道端ですれ違い、
その瞬間に目線が合ったとしても、
多くの人は無表情で目線を逸らさずに、
むしろ微笑んでくる人が多かったです。
電車やバス内の広告も
日本に比べて圧倒的に少ない。
知らない人同士でも電車やバスの中で会話がうまれるほどでした。
“Good morning” という朝の挨拶でも、
目線を合わせて
必ず特定の誰かに向かって言っていた気がします。
アメリカの店員さんで
「いらっしゃいませ~。どうぞご覧くださいませ~。」と
日本の店員さんみたいに
機械的にかつ、BGMのように言っている人を見たことがありません。笑
つまり、アメリカの自然に振る舞うという概念は
「自分という存在、思い、言葉を
特定の相手にキッチリ届けること。」
だと感じます。
どちらの振る舞いが良いとかいう問題ではないです。
これが文化の違いなのだというだけです。
しかし、
この自然の違いを理解しているだけでも、
これからアメリカへ留学や仕事に行く人にとっては、
アメリカでのコミュニケーションの取り方に
戸惑うことが少なくなるかもしれません。
または、
アメリカ在住歴が長い人は
日本に一時帰国などで戻ってきた際に
日本文化らしいコミュニケーションの取り方を
一早く思い出すことが出来るのではないかなと思います。
…
文化人類学者、エドワード・T・ホールの言葉を引用すると、
「異なる文化に属する人々は、
違う言語をしゃべるだけでなく、おそらくもっと重要なことには、
ちがう感覚世界に住んでいる。」
今回の記事を書きながら、その言葉が浮かびました。