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昨日、話そうと思ったことですが、ホットな芸能ニュースが巷を賑わせていましたので、そちらの方に流れました。
ところで、翻訳してもらいたいことってよくありません?
インターネット時代の今は、毎日そんなことを感じますね。
英和辞典片手に、時間をかけて読めば、英語のニュースも理解することはできますね。
英語のメールが来て、それに何か返信する必要がある場合には、和英辞典に英訳してもらえば、何とか通じる話を返信することができます。
でも、時間がかかりますね。
200ページの日本語の文庫本だったら、2~3時間あればおつりが来るでしょう。ささっと読めます。
でも同じ量の英語の本を読んだ場合、どれくらい時間がかかるでしょう?慣れていなければ、倍以上はかかるでしょう。
こんなとき、翻訳してくれる人がいたら良いのになぁと思いますね。
毎日10時間以上英語漬けの生活を送っている私でさえそんなことを思います。まぁ、それほど英語が得意なわけじゃないですけどね。
「日本語で話せたらどんなに楽だろう」
「日本語で読んだら、もっと役に立つんだろうなぁ」
文句を言いたくても、英語で言うと真意が伝わらないとか。
感動的な話を聞いても、日本語で言う「行間」がうまく伝わってこなくて、
「あぁ~、そう言うことね...それで?」
で終わってしまうとか。
コメディ番組を見ていて、子供たちが爆笑している横で、
「ね、ね、今何て言ったの?」
「何がそんなに面白いの?」
何てことがありますね。それで場を「盛り下げて」しまうこともあったり。
よく、「英語は英語のまま理解しろ」って言いますが、ありゃ、日本で生まれ育った人には無理でしょうね。どんなにがんばってもそこまではいかないでしょう。うちの子供たちのように、小さいころから英語漬けの生活を送っていれば、「英語脳」が出来上がりますから、英語を英語で理解することはできると思いますが、大学卒業した後とかにアメリカに来て、一生懸命英語を勉強しても、英語脳はできないと思うんですよね。ちょっと悲観的ですが。
そこで、開き直りが大切なんじゃないかって思うようになってきたんですね。
「わからんもんは、わからん。無理して英語で理解するよりも、日本語にしっかり訳して理解すりゃ、いいじゃないか」って。
英語で話しているときでも、「頭の中で翻訳しながらゆっくり話しても別にかまわないんじゃないか」って。
それでかまわないんですよ。格好つける必要もないんです。
と...わかりにくい自論を披露してしまいましたが...。
ところで...(と突然話を変えてみる)、
翻訳、したことありますかね?たとえば、何かの物語とか、レポートとか。
サラリと読んで理解できるような英語の物語でも、いざ日本語に訳そうとするとなかなかうまく訳せない。
そんなことありません?
紙の上に、日本語訳を書いてみる。で、読み直してみると...、意味不明。
文の構成を正しく理解していても、日本語にするとかなりおかしい。
どうしてなんでしょうね?
英語の達人と言われる人でも、日本語をしゃべらせると、「なんじゃこりゃ?」っていうことがありますよね。あれと同じでしょう。
うちの子供たちを見てもそう。英語はベラベラ。でも日本語をしゃべらせると...「お前なぁ、もっとしっかりわかりやすく話せよ!」
結局、翻訳は英語ができるだけではダメで、日本語の能力も必要なんでしょうね。
当たり前って言えば、当たり前のことですが。
だから、翻訳家ってすごいと思うんですね。英語を日本語に訳すと、非常にわかりやすい日本語になっている。
翻訳家は英語、日本語両方に長けていないとできない商売なんだと。
話がずれまくっていますが...
結局、頭の中で英語を翻訳して英語を理解するにしても、英語本を翻訳するにしても、正しい英語と正しい日本語を読み書きできる能力が必要になるってことじゃないでしょうか。
うむむ...当たり前って言えば当たり前のことかぁ...
収拾がつかなくなってきた...