アメリカで子育てして気づいた、日本の「親子風呂」が当たり前ではない理由
こんにちは、Masaです。
日本で子育てを経験した方なら、子どもと一緒に湯船につかった時間を覚えている方も多いのではないでしょうか。
「今日、学校で何があった?」と聞いたり、湯船で100まで数えたり。私が日本にいたころ、親子でお風呂に入ることはごく自然な日常でした。特別な文化だとは、考えたこともありませんでした。
ところが、渡米して子育てを始めると、その「当たり前」が通用しない場面に出会いました。私が暮らしてきたアメリカの環境では、親子で一緒に湯船につかり、ゆっくり話すという習慣は、日本ほど身近ではなかったんです。
これは日本が良くてアメリカが悪い、という話ではありません。30年以上アメリカで暮らし、子育てをしてきた一人の生活者として感じた、住まいと生活習慣の違いの話です。
日本の親子風呂は、会話が自然に生まれる場所だった
日本の浴室は、体を洗う場所と湯船が分かれていることが多いですよね。体を洗ってから湯船につかり、一日の疲れを取る。その時間は、子育て中の私にとって、親子が同じ目線でゆっくり話せる時間でもありました。
リビングでは話さなかったことを、湯船ではぽろっと話してくれる。そんなこともあります。お風呂は単に清潔にするための場所ではなく、親子の距離が自然に近づく場所として機能していたのだと思います。
アメリカで感じた、バスルームの「構造的な違い」
一方、私が暮らしたアメリカの住宅では、入浴はシャワー中心でした。バスタブのある家も多いのですが、日本の浴槽のように深く、肩までつかってくつろぐための形とは限りません。洗い場もなく、バスタブの中でシャワーを使うつくりが一般的でした。
その環境では、親子が並んで湯船につかりながら会話する、という日本の親子風呂の発想そのものが、生活の中に入りにくいんです。
日本での親子入浴の話をすると、意外そうに聞くアメリカの友人もいました。私が接してきた家庭では、入浴はまず個人の衛生を保つための短い時間であって、家族の団らんの場とは別に考えられているように感じました。
孫のバスタイムを見て、あらためて思うこと
いま息子や娘たちがアメリカで子どもを育てる様子を見ていると、ベビーバスを卒業したあとのバスタイムは、親にとってなかなかの重労働だとあらためて感じます。
日本なら、親が洗い場で子どもを洗う、という選択肢があります。でも、私が暮らしてきたアメリカの住まいには洗い場がありません。床に水を流すこともできません。
浅いバスタブの中にいる小さな子どもを洗うには、親が外から腕を伸ばすことになります。子どもが動けば水も外へ跳ねますし、前かがみの姿勢が続けば、親の腰にもなかなかこたえます。
孫たちのバスタイムを見ながら、「日本のお風呂の洗い場は、子育て中の親にもよく考えられたつくりだったのだなあ」と思うことがあります。これは文化の優劣というより、子育ての場面で見えてくる、住まいの工夫の違いです。
親子の絆をつくる場所が違うだけ
こうして振り返ると、日本が親子風呂でつくっていた時間を、アメリカの家庭では別の場所でつくっていることが多いように感じます。
たとえば、寝る前に絵本を読む時間。食卓を囲む時間。スクールバスや車での送り迎えの時間。私が見てきたアメリカの家庭には、そうした日常の中で親子が話す時間がありました。
⚫︎ 日本では: 湯船という空間で、自然に親子の会話が生まれやすい
⚫︎ 私が暮らしたアメリカでは: 寝室、リビング、食卓や車の中などで、親子の対話の時間がつくられやすい
どちらが優れている、ということではありません。親子が心を通わせる方法は一つではなく、住まいのつくりや毎日の生活リズムに合わせて、違う形になるのだと思います。
当たり前を見直すと、世界が少し面白くなる
海外で暮らしていると、日本では常識だったことが、別の場所では必ずしも常識ではないと気づく瞬間があります。
子どものころや子育て中には当たり前だった親子のお風呂時間も、アメリカで生活してみると、日本の住環境と生活文化の中で育まれた、親子のコミュニケーションの一つだったのだと見えてきました。
もし今、小さなお子さんと一緒にお風呂に入っている方がいたら、その湯船での時間を楽しんでください。アメリカで腰を痛めながら腕を伸ばして子どもを洗っていた我々から見ると、なかなか贅沢な時間です(笑)。
文化の違いを知るのは、相手の暮らし方を理解すること。そして、自分にとって当たり前だったものを、少し新しい目で見直すことでもあります。
それでは今夜も、温かいお風呂、またはさっぱりしたシャワーで、良い時間をお過ごしください。
Masaでした。

